第16話 定期試験
【リツ視点】
入学して46日目。朝のホームルームで、ハイデマリー先生が言った。
「3日後から定期試験です。期間は4日間。途中に休日を1日はさんで行います」
定期試験。
前世では病室で受けたことがある。先生が問題用紙を持ってきてくれて、ベッドの上の小さな机で解いた。周りに誰もいない試験だった。
今度は教室で、みんなと一緒に受ける。
少しわくわくした。
ただ、問題が1つある。
科目は4つ。歴史と魔法基礎と算術と博物だ。このうち歴史と魔法基礎は、この国に来てから習い始めたばかりだった。歴史は女王様が何代も続いていて、名前と年号が全然覚えられない。魔法基礎は殿方が実技を受けないので筆記だけ。でも魔法を使ったことがないので、何を書けばいいのか分からない。
これは、勉強会が必要だ。
*
放課後、遊戯部の部室に3人を呼んだ。
「勉強会をしませんか!」
部室ならエレオノーラ先輩の常設許可証がある。3mの決まりを気にせず、同じ机で勉強できる。
コルネリアさんとリゼットさんとロジーナさんは、すぐにうなずいてくれた。
あの古い四角い机に教科書を広げる。この前は麻雀をした机が、今日は勉強机だ。壁のやりたい遊びリストは、まだ丸が2つしかない。
「リストに勉強会は入ってないですけど、これも部活っぽいですよね」
誰も答えなかった。たぶんもう教科書に集中しているのだと思う。
イルゼさんはいつものように部室の隅に立っている。机の上には、コルネリアさんが差し入れてくれた焼き菓子の箱が置いてあった。
「じゃあ、まず歴史から教えてください。僕、全然覚えられなくて」
コルネリアさんが教科書を開いた。
「王国の建国は、831年ですわ」
「831年……」
数字だけだとすぐ忘れそうだ。
そのとき、前世の歴史の勉強法を思い出した。
「語呂合わせにしましょう」
「ごろあわせ?」
「数字を言葉に置きかえて覚えるんです。8は『や』、3は『さ』、1は『い』。831で『やさしい』。『やさしい王国、831年』」
部室が静かになった。
リゼットさんが小さく手を挙げた。
「……『し』は、どこから」
「『し』は、おまけです。最初は『野菜王国』になっちゃったんですけど、それだとこの国が畑みたいなので」
リゼットさんは帳面に「し=おまけ」と書いた。その下に「野菜王国(不採用)」とも書いた。
3人とも教科書を見たまま止まっている。
「……あれ、分かりにくかったですか」
「いえ」
コルネリアさんが小さな声で言った。それからものすごい速さで帳面に何かを書き始めた。
分かりにくかったのかもしれない。
*
2日目は算術と博物。算術は僕が教える番だった。
この国では掛け算を大きな表で覚えるらしい。9×9の表を丸ごと暗記する。
「僕の故郷では、歌みたいにして覚えるんです。いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん……」
節をつけて歌ってから、付け足した。
「小さいころ、お風呂で母さんと一緒に覚えた節です」
また、部室が静かになった。
ロジーナさんは両手で耳を押さえていた。耳が真っ赤だ。リゼットさんは帳面に歌詞を書き取っている。コルネリアさんは口の中で小さく「いんいちがいち」と繰り返していた。
3人とも真剣だ。
でも、誰も笑わなかった。
前世の小学校の教室なら、みんなで歌って間違えて笑うところだ。僕が教室にいたころの記憶は、もうずいぶん遠い。
この国の勉強会はすごく静かだ。
博物は図鑑で読んだことがほとんどだ。カエルの卵の話をしたらリゼットさんの字が大きくなったので、たぶん役に立ったのだと思う。
*
3日目は魔法基礎。今度は僕が教わる番だ。
教科書には、魔法を使うと体の中の「魔力」が減ると書いてあった。
ゲームと同じだ。
「質問いいですか。MPって、何で回復するんですか」
3人が固まった。
「えむ、ぴー……」
リゼットさんがペンを持ったままつぶやいた。
「あ、えっと。魔力のことです。故郷のゲームでは、魔力をMPって呼ぶんです」
少しして、コルネリアさんが口を開く。
「魔力は、在庫のようなものですわ」
「在庫?」
「使えば減ります。眠れば、夜のうちに入荷します。無理に使い続ければ品切れになって、その日はもう何も出せません。倉の大きさは人によって違いますけれど、鍛えれば少しずつ広がりますの」
「分かりやすいです! コルネリアさん、先生みたいです」
コルネリアさんの帳面の上で、ペン先が止まった。黒い染みがじわじわ広がっていく。
「じゃあ、魔力が回復する薬はないんですか。飲むと一瞬で全部戻るような」
「ございません」
コルネリアさんはすぐに答えた。
「ございましたら、当家が売っております」
説得力がすごい。
*
僕は試験までの計画を紙に書いて、部室の壁に貼っていた。やりたい遊びリストの隣だ。
『1日目:歴史(語呂合わせ)』
『2日目:算術(九九)と博物』
『3日目:魔法基礎(3人に教わる)』
3日目の夕方、計画表の項目に全部丸がついた。
僕は計画表の前に立って、前世で読んだ漫画の天才の主人公の真似をした。少し顔を伏せて、口の端だけで笑う。
「……計画通り」
部室が今日いちばん静かになった。
リゼットさんのペンが止まる。ロジーナさんは、福引きの4等で僕があげた鉛筆を両手で握りしめている。ぎしっと音がした。折れるかと思ったけれど鉛筆は無事で、ロジーナさんはそれをそっと机に置くと、両手で顔を覆った。
「あ、今のは故郷の漫画の真似で。悪い顔をするのがポイントなんです」
悪い顔は、たぶん失敗した。
*
そのとき、気がついた。
焼き菓子の箱が空になっている。
最初は12個入っていた。僕は2個食べた。コルネリアさんとリゼットさんとロジーナさんは1個ずつ。それなら7個残っているはずだ。
7個が、消えている。
僕は箱を手に取った。
これは、事件だ。
前世で読んだ推理漫画の小さな名探偵を思い出した。どんな事件も最後は必ず解いてみせる。
箱の周りにはお菓子のかけらが落ちていた。かけらは机から床へ、床から部室の隅へ、点々と続いている。
部室の隅には、イルゼさんが立っている。
イルゼさんの鎧の胸当てに小さなかけらが1つ。
僕はイルゼさんを指さした。
「真実は、いつもひとつ!」
イルゼさんはまっすぐ前を見たまま言った。
「……毒見です」
「7個も?」
「念入りに」
3人が同時に下を向いた。肩が震えている。
笑っているのかと思って顔をのぞいたけれど、3人とも無表情だった。たぶん気のせいだ。
その夜、寮の窓から中庭を見ると、イルゼさんが剣を振っていた。
「イルゼさん、何回振るんですか」
「……7個分です」
何回なのかは、最後まで教えてくれなかった。
*
試験の初日は歴史だった。
教室に入って、僕は故郷の試験の日の決まり文句を言ってみた。
「僕、全然勉強してないんですよね」
「……3日間、ご一緒しておりましたわ」
コルネリアさんに真顔で返された。
次の日は休日だった。
試験の途中の休みは、ゲームで言えばセーブポイントだと思う。僕は中庭に出て、魔法基礎の教科書を片手に手のひらを前に出してみた。
何も出なかった。
「イルゼさん。魔力って、どうやったら出るんですか」
「殿方は、魔法の実技を受けられませんので」
「出ないってことですか」
「……出さなくてよい、ということでございます」
イルゼさんは少しだけほっとした顔をしていた。
休み明けに魔法基礎、その次の日に算術。最終日は博物だった。
問題用紙をめくった瞬間、僕は思わず声を出していた。
「これ、図鑑でやったところだ!」
教室じゅうのペンが止まった。
試験監督の先生が、ゆっくりこちらを向く。
「……すみません。声に出てました」
先生は何も言わずに、窓の外を見た。30人のペンがまた少しずつ動き出す。
*
結果は最終日の夕方、廊下に貼り出された。先生たちは毎日その日の答案をその日のうちに採点していたらしい。
1年の1位はコルネリアさんだった。2位はリゼットさん。3位はロジーナさん。
遊戯部が上から3人並んでいる。
僕は算術が満点だった。博物も9割取れた。
歴史は12点。
語呂合わせを作るのに夢中で肝心の女王様の名前を1人も覚えていなかった。
魔法基礎は0点。
解答欄に「魔法を使ったことがないので分かりません」と書いたら、「正直でよろしい」と書き添えて返された。
総合で、僕は31人中16位。
ちょうど真ん中だ。
それでも、うれしい。
教室で、みんなと同じ日に同じ試験を受けた。廊下の貼り紙に、みんなと同じ大きさの字で僕の名前が書いてある。
前世の病室の試験には順位がなかった。比べる相手がいなかったから。
「みんな、すごいです! 1位、2位、3位ですよ!」
僕が言うと、コルネリアさんがこちらを見た。
何か言いかけて、口を閉じる。
それから、もう一度口を開いた。
「……次は」
「はい」
「次は、わたくしが、歴史をお教えする番ですわ」
勉強会以外でコルネリアさんが自分から何かを言ってくれたのは初めてだった気がする。
「お願いします! 女王様の名前、全然覚えられなくて」
僕が頭を下げると、コルネリアさんは小さくうなずいた。
それから、なぜか急ぎ足で廊下の角を曲がっていった。
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【コルネリア視点】
ヴァーレン商会の三女、コルネリア。
本日の定期試験の結果、学年1位。
入学してからずっと2位か3位だった。1位を取ったのは生まれて初めてである。
理由は、はっきりしている。
*
勉強会の初日、殿方はおっしゃった。
「やさしい王国、831年」
わたくしはペンを取り落としそうになった。
数字が、言葉になった。
この国の歴史の授業では、年号は年号として丸暗記する。数字は数字、言葉は言葉。その2つをつなげるという発想を誰も持っていなかった。
しかも、831はそのまま読めば「や・さ・い」である。
野菜。
殿方はご自分でおっしゃった。最初は野菜王国になった、と。覚えやすさだけなら、それで足りている。
そこに殿方は「し」を1文字、足された。
野菜を、やさしいに。
商人なら、余計な1文字は削る。値札の字は少ないほどよい。それが商いの鉄則である。
殿方はわざわざ1文字足して、この国を、畑ではなく、やさしい国にした。おまけ、とおっしゃって。
落ち着きなさい、コルネリア。
数字が言葉になった。言葉は売れる。それだけのことである。
殿方が「やさしい」と。
……王国に向けて、である。わたくしにではない。念のため。
念のため、もう1回。王国に向けて、である。
帳面に書き取りながら頭の中では別の計算をしていた。年号の語呂合わせ。歴代女王56代ぶん。1冊の帳面にまとめて購買部で売る。王国じゅうの学舎に卸す。
値がつく。とてつもない値がつく。
その夜、わたくしは56代ぶんの語呂合わせを全部作った。朝までかかった。殿方の作り方を真似して、数字を1つずつ言葉に置きかえていく。「し」が足りないところには、おまけ。
作りながら、全部覚えてしまった。
*
九九の歌には、もっと驚かされた。
「いんいちがいち、いんにがに」
殿方の歌う節は少しだけ寂しげである。
それから殿方は「小さいころ、お風呂で母さんと一緒に覚えた節です」とおっしゃった。
殿方が母君の話をされるのを初めて聞いた。
殿方の故郷がどこにあるのか、わたくしたちは誰も知らない。殿方もあまり話されない。ただ故郷の話をされるとき、殿方の声は少しだけ低くなる。
わたくしは口の中でその節を繰り返した。いんいちがいち。
掛け算の表を丸暗記するより、ずっと早く覚えられた。
覚えてしまってから、少しだけ困った。この節には値がつく。分かっている。でも、殿方が母君と覚えた節である。
帳面の「九九」の行には、値段を書かなかった。
*
3日目は、もっと危なかった。
「MPって、何で回復するんですか」
えむ、ぴー。
殿方の口から出た2文字が魔力のことだと分かるまで3秒。
わたくしは商いの言葉でしか物を説明できない。だから在庫にたとえた。使えば減る。眠れば入荷する。無理をすれば品切れ。
殿方はおっしゃった。
「分かりやすいです! コルネリアさん、先生みたいです」
落ち着きなさい、コルネリア。
先生。殿方の、先生。
違う。殿方は「みたい」とおっしゃった。「みたい」は見積もりである。確定ではない。確定ではないのに、帳面のペン先が止まった。
インクが染みた。帳面の端から3行ぶん。
回復薬の件は即答した。ございましたら、当家が売っている。これは本当である。今夜から、念のため調べる。
*
その日の夕方、殿方は壁の計画表の前で「計画通り」とおっしゃった。
顔を少し伏せて、口の端だけで笑って。
殿方は「悪い顔をするのがポイント」と付け加えられたが、少しも悪い顔ではなかった。むしろ見てはいけないものを見た気がした。
ロジーナが握っていたのは、福引きで殿方にいただいた鉛筆である。あの子は筆を何本も折ってきた子だ。でも、あの鉛筆だけは折らない。代わりに、両手で顔を覆った。
そのあとの「真実は、いつもひとつ」は、もっと危なかった。
殿方の指の先には、騎士様。
騎士様は焼き菓子を7個召し上がっていた。わたくしが朝、勉強会のために持ってきた箱から。
「……毒見です」
毒見で7個。
わたくしとリゼットとロジーナは同時に下を向いた。淑女の平静を保つために。肩が震えたのは、平静の限界である。
騎士様は甘いものがお好きなのだと思う。王都で殿方からいただいた飴もまだ胸のポケットにしまったままだと聞いた。
*
試験の初日の朝、殿方は「僕、全然勉強してないんですよね」とおっしゃった。
3日間、同じ机で勉強しておられた殿方が。
思わず真顔で事実を申し上げてしまった。あとで殿方が「故郷の試験の日の決まり文句」だと教えてくださった。故郷では試験の朝に、みんなで嘘をつくらしい。
殿方の故郷は、ときどき分からない。
最終日の博物では、殿方が問題用紙をめくるなり「これ、図鑑でやったところだ!」とおっしゃった。
教室じゅうのペンが止まった。わたくしのペンも止まる。答案の端に小さな染みが1つ。
それでも1位である。染みは減点されないらしい。
*
歴史の試験には、歴代女王の年号が12問出た。わたくしは12問とも殿方の作り方で覚えた語呂合わせで解いた。
算術の試験では掛け算が30問出た。九九の節を頭の中で歌いながら。
殿方は16位だった。
歴史は12点。魔法基礎は0点。
わたくしたちに語呂合わせを教えてくださった殿方ご本人は、語呂合わせを作るのに夢中で、女王の名前を1人も覚えておられなかった。
殿方は貼り紙の前でうれしそうに笑っておられた。
「みんな、すごいです!」
すごいのは、あなたです。
あなたのおかげです。
そう言いたかった。淑女の平静がそれを許さなかった。
でも黙っていたら借りを返せない。
商人は借りを作ったままにしない。
わたくしは口を開いた。
「次は、わたくしが、歴史をお教えする番ですわ」
殿方は「お願いします」と頭を下げられた。
わたくしは廊下の角まで急ぎ足で歩いた。角を曲がってから、壁に額をつけた。
生徒会長様が以前、廊下の角で倒れられたと聞いたことがある。今ならその気持ちがよく分かる。
*
その夜、帳面を開いた。
殿方取り分
殿方式語呂合わせ帳(歴代女王56代):購買部にて試験の前に販売。初日の見込み20冊、実売200冊
九九の節:王都の学舎3校より問い合わせあり。返答は、まだ
現在の積立額:金貨21枚、銀貨8枚
見込みの「20」を見て、手が止まった。
桁を1つ、間違えている。
見込みを桁ごと違えたのは、生まれて初めてである。殿方の言葉の値を、わたくしは10分の1に見積もっていた。
インクが「20」の上に染みて、0の字が丸ごと黒くなった。
学年のほとんどが、同じ語呂合わせ帳で試験を受けた。それでも1位はわたくし。作った者が、いちばんよく覚えている。商いの道理である。
書き終えて、もう1行だけ足した。
借り:1(歴史の授業にて返済予定)
それから引き出しの中の白紙の申請書を少しだけ見た。
まだ、出さない。
でも、借りを返したら。
わたくしは引き出しを閉めた。




