第三話 「豪華なる客殿」
通されたのは、
海国屋の広大な敷地の最奥に位置する、
建てたばかりの「離れ客殿」であった。
檜の香りがまだ新しく漂うその建築は、
細部に至るまで贅を尽くされていた。
天井は格天井、柱には
一切の節がない最高級の吉野杉、
そして部屋を仕切る巨大な障壁は、
何枚もの厳選された越前和紙で
張り巡らされている。
「どうだね、信斎殿。
城の奥御殿にも引けを取らぬ作りで
あろう?」
徳兵衛は
金の輪郭をあしらった煙管から
紫煙をくゆらせながら、
自慢げに顎をしゃくった。
「誠に素晴らしい造営にございます。
空間の広がり、柱の配置、
どれをとっても大家の格式に相応しい」
信斎が恭しく応えると、
徳兵衛は満足そうに腹を揺らして笑った。
「わしが求めておるのは、
ただの絵ではない。
わしの威光を永遠に誇りつけるような、
眩いばかりの『金碧障壁画』だ。
金箔を惜しみなく使い、
天下を統べるかのような猛禽を
描いてほしい。金はいくらでも出す!」
「ははっ。狩野派の総力を挙げ、
極上の逸品を仕上げてご覧に入れます」
信斎が平伏する傍らで、
小太郎は部屋の広さと光の入り方に
目を輝かせていた。
「師匠、この南向きの窓からの光なら、
朝と夕方で金の輝き方が変わります!
背景の金箔を抑えめにして、
中央の鷹を
浮き出たせるような構図にすれば……!」
「出しゃばるな、小太郎」
源次が静かに小太郎の肩を叩き、制した。
徳兵衛はその様子を見て、
「威勢のいい小僧だ」と
面白そうに鼻で笑った。
「まあよい。完成までの数週間、
お前たちにはこの屋敷の客分として
滞在してもらう。
酒も飯も最高のものを用意させよう。
ただし――」
徳兵衛の目が急に細くなり、
冷酷な商人の光が宿った。
「作業はこの離れのみで行うこと。
わしの屋敷には色々と
『込み入った事情』があってな。
無断で他の部屋をうろつくことは
許さん。……分かったな?」
その言葉と同時に、
部屋の隅に立っていた用心棒の
鬼頭厳十郎が、
カチリと刀の鍔を鳴らした。
言葉以上の脅迫であった。
「承知いたしました。
絵師たる者、筆以外のものに
心を奪われることはございません」
信斎は何の動揺も見せず、
静かに頭を下げた。
その夜。
信斎たちに与えられた離れの一室で、
小太郎がすやすやと寝息を立て始めた頃、
暗闇の中で三人の気配が交錯した。
天井裏から滑り降りてきたのは、
漆黒の装束に身を包んだお蓮である。
「……探りました」
お蓮は声を殺し、
信斎と源次に報告を始めた。
「徳兵衛の言葉通り、
母屋への警備は厳重です。
特に夜間は鬼頭の部下たちが
廊下を見回っています。
ですが、屋敷の抜け道と
密輸の裏帳簿が隠されている
金庫の位置は特定しました」
「よし。だが、我々の目的は
帳簿を盗むことでも、
徳兵衛を刺すことでもない。
余計な工作は一切するな」
信斎は静かに戒めた。
お蓮は小さく頷き、
離れの構造についての調査結果を続けた。
「離れの構造ですが、
徳兵衛の自慢通り
極めて密閉性が高く作られています。
防寒のために窓の噛み合わせは固く、
欄間の風通しも
意図的に塞がれています。
……そして徳兵衛は、
障壁画が完成した暁には、
毎夜この部屋に酒と女を呼び、
一人で寝起きする計画のようです」
源次が闇の中で薄く笑った。
「完璧だな。
あの狭く逃げ場のない密閉空間……。
火鉢に炭を焚き、
酒を飲んで血巡りが良くなれば、
皮膚から、そして呼吸から、
我々の仕込む『毒』が完璧に体内へ回る」
「作業は明日からだ」
信斎は静かに立ち上がり、
窓の外の月を見上げた。
「小太郎には本物の構図を描かせる。
我々は、その美しき絵の『裏』に、
死の網を張り巡らせるのだ」
暗闇の中、信斎の目が妖しく光った。
名画の制作という名の、
静かなる殺戮の準備が、
ついに翌朝から始まろうとしていた。
この後 14:10 に投稿します。




