↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/16

第五話:鉄の匙と黄金の舌

 生活部門の1日は、夜明け前に始まる。


 ミレーユが厨房棟に入った時、ドーラは既にかまどの前に立っていた。赤銅色の巻き毛をお団子にまとめ、エプロンの紐をきつく結び直している。


「遅いよ、新入り。火はもう起こしてある」

「すみません、ドーラ班長。あと3分早く起きます」

「3分じゃ足りないね。5分だ」


 ドーラの基準は常に厳しい。だが、理不尽ではない。5分あれば卵を15個割れる。15個あれば王の朝食のオムレツが3皿余分に作れる。彼女の厳しさは全て、合理的な数字に裏打ちされていた。


 今日のメニューは、王家の朝食だ。


 王——ヒカルと、6人の竜妃、盟約側妃のレオーネ、そして子供たち。総勢20名を超える大所帯の食卓を、ドーラ率いる生活部門の7名が支えている。


「いいかい、ミレーユ。王家の食事は、ただ腹を満たすもんじゃない。政治だよ」

「政治ですか?」


 ドーラが大鍋をかまどに据えながら言った。


「レヴィア様は辛いもの。炎竜の体質で、辛味が魔力の循環を助ける。アクア様は薄味。水竜は味覚が繊細で、濃い味は舌が痺れる。テラ様は量が多い。土竜は基礎代謝が高くて、人間の3倍は食べないと午前中もたない」


 ドーラの太い指が、棚から次々と調味料の瓶を取り出していく。


「セフィラ様は甘いもの好き。朝から蜂蜜パンを出さないと機嫌が悪くなる。ルーナ様は素材の味を重視するから、余計な味付けはしない。ヴァルキリア様は——」


 ドーラが一瞬だけ言葉を切った。


「あの方は、何でも召し上がる。好き嫌いは一切ない。……ただ、温かいものを出すと、ほんの少しだけ表情が緩むんだよ」


 ミレーユは息を呑んだ。好き嫌いがないのではない。好みを口にしないだけだ。闇の竜姫として孤高を貫いてきた方の小さな本音を、ドーラは料理という手段だけで読み取っていた。


「レオーネ様は帝国仕込みの繊細な味覚をお持ちだ。あの方には、出汁の引き方ひとつで手抜きがバレる。7人の妃に、それぞれ違う味。子供たちにも個別の対応。間違えれば朝から食卓の空気が凍る。——だから、政治なんだよ」


 ドーラは鍋の蓋を開け、湯気の匂いを確かめた。


「鉄の匙で味を決め、黄金の舌で仕上げる。それがあたしらの仕事だ」



 朝食の準備が佳境に入った頃、厨房に来客があった。


「ドーラ班長。今朝の薬草サラダの件で相談が……」


 穏やかな、しかし芯のある声。入ってきたのは、白いヘッドドレスで髪を覆い、修道女だった名残で姿勢のよい女性だった。


 セレナ・グレイスフィールド。養育部門班長。聖女クラリスの教会から派遣された元修道女。


「またサラダの話かい?」


 ドーラが鼻を鳴らした。


 この2人の間には、長年にわたる「食事哲学の衝突」がある。


 テラが養育部門を通じて提案した「子供たちの食事に薬草サラダを取り入れる」という方針を、セレナが推進している。テラは土竜として薬草の効能に詳しく、子供たちの健康を食事から支えたいと考えていた。


 一方、ドーラの信条は「薬より旨い飯が最高の薬」だ。


「ライオス皇子は、薬草の苦味が苦手です。でも、成長期の今こそ、この薬草の栄養が必要なのです」


 セレナが差し出したのは、鮮やかな緑の葉と紫色の根を刻んだサラダだった。


「う~ん、見た目が悪い。色が暗いし、盛り付けに華がない。これじゃ食べてもらえないよ」

「見た目より効能です。この紫根には成長促進の——」

「効能がどうだろうと、食べてもらえなきゃ意味がないだろう……」


 2人の視線がぶつかる。厨房の空気がピリッと張り詰めた。

 しばらくの沈黙の後、ドーラはかまどの横に手を伸ばした。


 ミレーユは、ふと違和感を覚えた。


 ドーラが取り出したナッツの瓶は、朝の仕込みで使う棚ではなく、ドーラの私物を置く引き出しの上にあった。しかも、ナッツは既に細かく砕かれている。蜂蜜の瓶も、封が切ってあった。


(まるで、今日使うことを分かっていたみたいだ)


「……貸しな」


 ドーラはセレナのサラダを受け取ると、まな板の上で手早く作業を始めた。薬草の葉を細かく刻み、苦味のある紫根は薄くスライスして蜂蜜に漬ける。砕いたナッツを振りかけ、柑橘の絞り汁をひと回し。


 その手つきは、初めて試す人間のそれではなかった。迷いがない。分量も、手順も、既に答えを知っている者の動きだった。


 ものの3分で、暗い色だったサラダが、緑と琥珀色のグラデーションに変わった。


「食べてみな」


 セレナが口に運び、目を丸くした。


「……苦くない。薬草の風味は残っているのに、蜂蜜とナッツで和らいでいます!」

「これなら、ライオス皇子でも食べるだろう。あの腕白坊主は意外なほど甘いものに弱いからね」


 ドーラは鼻を鳴らし、それから小声で付け加えた。


「昨日の夜から3パターン試してたんだよ。蜂蜜だけだと甘すぎる。ナッツだけだと食感が邪魔になる。柑橘を足したのが一番マシだった。——あんたが持ってくるのを待ってたのさ」


 セレナの目が、大きく見開かれた。


「待って……いてくれたんですか?」

「勘違いするなよ。あたしは料理人だ。テラ様とあんたが推す薬草サラダを、ただ突っ返すだけなんて、料理人の沽券に関わるんだよ。どうにかして旨いものに仕立て上げるのが、あたしの仕事だ」


 ドーラはそっぽを向いた。だが、その耳の端がわずかに赤い。


 セレナは修道女らしい端正な笑顔を浮かべた。今度の笑みには、驚きと、そして深い感謝が混じっていた。


「……負けました。ドーラ班長」

「勝ち負けじゃないよ。あんたの薬草がなきゃ、あたしのナッツだけじゃただのおやつだ。——次からは、素材を持ってきな。味付けはあたしがやる」


 2人は、ぎこちないが確かな握手を交わした。




 朝食の配膳が始まった。


 ミレーユは料理を銀のトレーに載せて運ぶ。レヴィア様の唐辛子ペースト付きオムレツ、アクア様の薄味の出汁巻き、テラ様の大盛り粥。セフィラ様の蜂蜜パン、ルーナ様の蒸し野菜、ヴァルキリア様の温かいスープ。レオーネ様には帝国風の繊細な前菜。


 そして、子供たちのテーブルには——ドーラとセレナの合作である薬草サラダが並んだ。


「うまい! おかわり!」


 ライオス皇子が匙を振り回すのを、隣のシズクが冷ややかに見つめる。


「食べながら叫ばないでください、ライオス兄さん。行儀が悪いです」

「うるせーな、うまいもんはうまいんだよ!」


 その向かいで、マリンが姉とは違う角度で皿を観察していた。


「蜂蜜の浸透時間から逆算すると、紫根は食前30分に漬け込んだはず。苦味成分の分解率を考えると、最適解に近い処理ね」

「……マリン、それ朝食の会話じゃないわ」


 シズクが呆れたように呟く。双子でありながら、分析の矛先がまるで違う。


 テーブルの端では、ユリウスが静かにサラダを口に運び、小さく頷いていた。彼は感想を口にしない代わりに、皿を綺麗に空にすることで料理人への敬意を示す。母レオーネ譲りの礼儀だった。


 その声を聞いたドーラが、厨房の奥で小さくガッツポーズをしたのを、ミレーユは見逃さなかった。


 セレナも配膳口から子供たちの様子を覗いていた。その目は少し潤んでいる。


「食べてくれましたね……」

「当たり前だろ。あたしの味付けだからね」


 ドーラは素っ気なく答えたが、その太い指が、セレナの肩をぽんと叩いた。



 その頃、厨房のさらに奥の検査室では、オーリアがいつも通り王家の食事の毒見をこなしていた。


 今朝は品目が多い。妃と子供たちの分を合わせれば30皿を超える。その全てを、味覚だけで確認していく。


 ドーラとセレナの合作サラダも、王家の食卓に並ぶ前に、オーリアの舌が先に触れている。誰よりも先に。


 配膳を終えたミレーユが検査室に顔を出した。


「オーリア様。今朝もご苦労様でした」

「……いえ。私の仕事です。新しいメニューでしたので、念入りに確認しました。異常はありません」


 ドーラとセレナの共闘で生まれた一皿。その裏で、オーリアが自分の命を賭けて安全を保証していた。


 ミレーユは、小さく頭を下げた。


「いつもありがとうございます」


 オーリアが一瞬だけ目を見開き、それからいつもの無表情に戻った。


「……どういたしまして」



 夕刻。厨房の片付けを終えたミレーユは、リリアの長官室の前を通りかかった。

 扉が少しだけ開いている。中から、ネルの声が聞こえた。


「——あの子、情報部門にも使えますよ。リリア長官」

「ええ。私もそう思います。生活部門での仮配属を延長しつつ、情報部門との兼務を検討しましょう」


 ミレーユは、足音を殺してその場を離れた。


 これ、もしかして私のこと!?


 心臓が跳ねていた。兼務。自分の居場所がもう1つ増える。嬉しさと、それ以上の不安が押し寄せる。


 だが、ドーラの鉄の匙と、セレナの薬草。オーリアの毒見と、ネルの観察眼。魔力に頼らず、それぞれの技術だけで王を支えるプロフェッショナルたちの姿が、目に焼きついていた。


 自分にも、自分だけの武器がある。それを磨き続ければ——



 日記帳を開く。今日は2行書いた。


『ドーラ班長の匙は鉄より硬い。でも、セレナ班長の薬草と混ざると、子供が笑う味になる。』


『人と人が混ざると、1人では作れないものが生まれる。サラダボウルのドレッシングは、そうやってできるのかもしれない。』


【第六話:子守歌と火の粉 につづく】


ぜひご感想をお寄せください。

また評価とブックマークもしていただけると嬉しいです!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の姫たちと世界を変える戦いへ!
《音楽xSFxファンタジー戦記》【交響詩】竜の姫と絆のユニゾン ~最強の力は絆の中に。人類に裏切られた天才軍師の俺は、六竜姫の激情を調律し和音を奏でて覇道を往く~(代表作)
《重厚ファンタジー戦記》【交響詩】竜の姫と絆のユニゾン 外伝:断罪の前奏曲 ~処刑寸前の軍師を竜姫が略奪!十二年待った『我の夫となれ』の言葉。亡国の逆境を焼き尽くし覇道を往く~
《王宮裏方奮闘記》【交響詩】竜の姫と絆のユニゾン:奉仕の練習曲(プレリュード)~商家の娘は皿洗いの先に王の盾を見る。伝説のメイド長に叩き込まれる覚悟と作法で王宮の誇りを守る~外伝②
(あらすじ)
元・天才軍師候補のヒカルは、仇敵カインの謀略と人類の憎悪により「裏切り者」の濡れ衣を着せられ、処刑寸前にまで追い込まれる。人間社会に絶望した彼の前に炎の竜姫レヴィアが降臨し、救われた彼は、六人の竜姫(六龍姫)の感情をリアルタイムで把握する「絆の共感者」の異能に目覚めさせられる。
ヒカルの義務は、レヴィアの激情的な愛や、アクアの理性的な愛といった、制御不能な竜姫たちの愛の感情を音楽の和音(ユニゾン)として調律し、軍団の戦闘力へと変えること 。彼は裏切りのトラウマを抱えながら、まず古王軍(闇の竜族)との絶望的な劣勢を覆す内戦に勝利し、六龍盟約軍を完成させ、竜の世界の新たな王になることを誓うのだった。

こちらも超オススメ!!

《SFファンタジー冒険譚》物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中―



その他の作品もぜひ!

《冒険者ギルドのお仕事ファンタジー》鉄の受付嬢リリアンのプロの流儀 ~冒険は、窓口から始まります~
《純SFハイファンタジー》星を穿つ槍と、黄金のオムライス――放浪の戦術師とポンコツ戦闘メイド――
メゾン・ド・バレット~戦う乙女と秘密の護衛生活~
軌道エレベーターの管理人たち〜地上コンシェルジュは、宇宙(そら)の英雄に恋をする
スローライフを目指したい鈍感勇者のラブコメは、天《災》賢者の意のままに!!〜システィナ様の暴走ラブコメ劇場〜
桃太郎伝 ~追放された元神は、きびだんごの絆で鬼を討子、愛しき仲間たちと世界を救う~
異世界グルメ革命! ~魔力ゼロの聖女が、通販チートでB級グルメを振る舞ったら、王宮も民もメロメロになりました~(週間ランクイン)
時間貸し『ダンジョン』経営奮闘記
【ライトミステリー?】没落お嬢様の路地裏探偵事務所~「お嬢様、危険です!」過保護なメイドと学者と妖精に囲まれて、共感力と絆で紡ぐ、ほのぼの事件簿
ニャンてこった!異世界転生した元猫の私が世界を救う最強魔法使いに?
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。