20.僕は馬鹿だ……
「ハァ……」
「あんたって、最近は会うたびに溜息しか吐いてないの知ってる?」
ミランダにカフェラテを奪われても、ぼんやりとそれを見つめるだけのキャリーは、「僕だって、吐きたくて吐いてるわけじゃないよ」と言い返した。
あの国から戻って早一ヶ月が経ち、夏休みも終わりが近づいてきている。なんだか、本当に夢のような時間だったと思う。
国に戻る時、グレンは空港まで送ってくれたけど、やはりどこか素気なくて、それがショックだった。
結婚しないと言って彼を振ったのだから、あの態度も当然といえば当然なのに、どうしてショックを受けているのか。
「僕は……、やっぱり自分勝手で酷い人間なのかも……」
「はいはい、あんたは昔からそうなのよ。何でも自分で決めつけて、他人の心なんか考えたこともないでしょう」
そう言ってミランダは子供の頃の話をする。
「ほら、十歳くらいの時、近所に住んでた子、確かケビンだったっけ? せっかくキャリーの誕生日に用意した花束だったのに、『僕は女じゃない!』って投げ捨てたわよね……、いやぁ、本当に血も涙もないわ」
それは、キャリーが悪いのだろうか? 女の子扱いする男の子の方が悪いのでは? と思う。
普通は誕生日だからといって、男は男に花束をプレゼントしない。プレゼントするなら絶対にベースボールグッズかお菓子だ。
いや、そんなことより、今は優しかったグレンがこんな風に冷たくなるとは思ってなかったという話をしてるのに、とミランダを睨む。
「ハァ、やっぱり、結婚するべきだったかも……」
「彼のことが嫌いだから結婚断ったんじゃないの?」
「う……」
嫌いなわけない、寧ろ好きになってしまったのだ。
それなのに、その事実に怖くなって逃げ出して、こうして後悔している最中だ。けれど、ビジネス結婚だと宣言された相手を好きになってしまったのだから、不幸を背負ってしまったようなものだ。それに――。
「グレンを傷付けたのかなぁ……」
いじいじしながら、テーブルの上に顔を乗せて屈していると、ミランダの笑い声が聞こえてくる。
「馬鹿ね、アルファが傷つくわけないでしょ、グレンって人は今頃キャリーをどうやってどん底に突き落とすか考えてるわよ。だから安心しなさい」
――もし、そうだとしたら、全然安心出来ないのだけど……?
グレンのどん底計画が実行されたら、キャリーは間違いなく奈落の底へ転落するだろう。世捨て人になって部屋に引きこもる可能性〝大〟だ。
「ハァァァ……」
「ああー、もう、鬱陶しいわね」
うつ伏せ状態のキャリーの前髪をミランダがバサバサと左右に分け、持っていたヘアゴムで縛ってくる。
「キャリー聞きなさい。あなたは結婚したくないから、今ここにいるのよ」
「うん、分かってる」
「それなら、もっと嬉しそうにしなさい」
確かに結婚したくないから、あの国から帰って来た。
だけど、それにしたって、元気か? くらい聞いてくれてもいいじゃないか、と自分勝手な要望を抱きながら、携帯画面を見つめる。自分からかける勇気もなければ、何を話題にすればいいのかも分からない。
本当にどうしようもないな……、と自分の愚かさに呆れる。どちらにせよ、早く忘れる努力をしなければいけないのだろう。
しばらく携帯を眺めていると、ミランダから気晴らしに買い物へ行こうと誘われて、仕方なく出掛けた――。
夏休みも終わり、大学が始まった頃にはグレンのことを考える時間は随分減ったが、ぽっかり空いた心はそのままだった。
その日の授業が終わり、学校の門を出た先で目立つ人物と遭遇する。
「キャリー!」
抱き付きそうな勢いで近付いてくる男をキャリーは凝視した。
「え……シャザ?」
異国の雰囲気を漂わせる彼はかなり目立つようで、通り過ぎる学生が物珍しい物を見る目でシャザを見る。
高身長なうえに美形で艶やかな黒髪を靡かせているのだから、人目を惹くのも仕方がない。それにしても、彼がどうしてアメリカにいるのだろうか? と疑いの目で見た。
ひゅっと目を細める彼が、「あれ、なんだか雰囲気が変わったね……」とそんなことを言うが、キャリーが今知りたいのは彼が何故ここにいるかだ。
「そんなことより、どうしてアメリカに?」
「グレンからアルセロ製鉄と契約することになったと教えられて、私も事業の手伝いをすることになったんだ」
「え……」
「それで、せっかくだからキャリーの様子を見に――」
それを聞いて、目の前が真っ暗になった。
アルセロ製鉄といえば、フランスの大企業であり、フロベールと肩を並べるほど歴史ある製鉄会社だ。そんな会社と契約をしたのであれば、キャリーはビジネス結婚の相手として用無しになったということになる。
もう二度と彼の隣に立つこともなければ、彼が自分を気にかけてくれることはないのだと知って、絶望的な気持ちになった。
――馬鹿だ……、本当に……、自分がここまで馬鹿だとは思ってもなかった。
キャリーが逡巡している間にグレンは先に進んでしまった。
それはそうだろう、だって彼はアルファだ。くだらない過去を考えるより、新たな道を切り開く方が効率がいいし、何の取り柄もないオメガのことを気にかける必要などないのだ。
本当に自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。それでも、グレンのことを聞きたいキャリーは震えそうになる声を必死で抑え込みながら彼のことを聞いた。
「グ、グレンは……今、どうしてるの?」
「ああ、彼ならフランスで……ってキャリー大丈夫? 真っ青な顔してるけど」
「ごめんなさい、気分が悪くて……」
立っていられないほど気分が悪くなったキャリーは、身体がふらふらと揺れてしまう。
「キャリー、病院に行った方がいいんじゃないかな?」
「ううん、大丈夫。実は今日は朝から体調が悪かったんだ」
「そう、じゃあ、私が送って行くよ」
正直なことを言えば、今は早く一人になりたかったが、せっかく心配してくれている彼の厚意を無下にするのも気が引けて仕方なく頷いた。
彼が拾ってくれたタクシーに乗り込むと、深い息を吐くシャザは、「グレンから聞いたよ」とキャリーが結婚を断った話に触れた。
「どうしてグレンと結婚しないのか聞いていい?」
「したくなかったから……」
ビジネス結婚なんて嫌だったし、彼にとっての自分の価値がフロベール製鉄会社だなんて悲しすぎる。だから結婚はしたくないと思ったし、今でもそう思うのに、どうして傷ついているのだろう。
ふとシャザと視線が絡まり、目元を緩めた彼が、「宮殿で私が言った言葉覚えてる?」と聞いてくる。
キャリーは小さくうなずいた。彼の言った言葉は、鮮明に覚えている。だから今日シャザを見てすぐに〝どうしよう〟と思ってしまったのだ。
あの時、彼の問いにうなずいてしまったけど、彼の好意を受ける気にはなれないキャリーは彼に謝罪した。
「ごめんなさい、グレンと結婚しないと決めたからと言ってシャザとなんて考えられない」
「あー……、うん、そうだよね、それは分かってるんだ。ただ、君が困った時に力になれたらいいなって思ってる」
彼はそう言ったあと、自身の話をした。
子供の頃の話はグレンから大方聞いていたので、シャザがどれだけ大変だったかは知っていたけど、本人から聞くと一層ひどい話に聞こえた。
「グレンは私と母が困っていた時、色々助けてくれたんだ。もちろん、それが兄から言われたことだって分かってたけど、それでも人の助けってありがたいものだって分かってるから」
どちらにせよ、何か困ったことがあれば何でも言って欲しいと言われて、彼の心からの親切心にキャリーは素直にうなずいた。
見慣れた景色が近づいてきた時、キャリーは妙な感覚に戸惑う。腹の奥が急に痛み出し、まるで中から何かにつねられているような、キンッと突き刺す痛みに襲われた。
「変……」
「キャリー?」
「お腹が……」
「やっぱり病院へ行こう」
朝から体調は悪かったけど、こんな痛みを感じたのは初めてのことで、もしかして本当に病気かもしれないと思ったキャリーは、そのままシャザに付き添われて病院へ向かった――。




