18.君は馬鹿なのか
翌日、異様な気怠さに襲われる。いつもあるはずの温もりもなく目覚めたせいなのか、それが発情期のせいなのか、よく分からないけれど不安に駆られた。
チェストに置かれている抑制剤を手にし、飲みかけのペットボトルの水で錠剤を流し込む。
――大丈夫っぽい……?
秘部に違和感はあるものの、多少のことは仕方ないと諦める。けれど、やはり宮殿に戻って抑制リングをつけるべきだと部屋を出た。
「グレン……、やっぱり宮殿に戻った方がいいかもしれないです」
「……そうだろうな」
ふいっと顔を逸らされて、彼の素っ気ない態度にショックを受ける。もしかして怒っている? とキャリーは気持ちが沈む。彼からすれば、せっかく時間を作ったのにという気持ちがあるのだろう。
申し訳なく思いつつ、自分の荷物を片付けるために部屋へと戻った。
全てをバッグに詰め込んだあと、部屋を出てグレンに荷物の整理が終わったことを伝えた。
こちらを見る表情が硬く、緊張が走っていることに気が付き、どうしたのかと思っていると、彼は立ち上がり慌ててキャリーを抱きかかえる。
「グ、グレン?」
「フェロモンが出てる。大人しくしてろ……」
寝室の扉を乱暴に開けると、グレンは空調の温度を下げてから物置にあるコンフォーターを数枚取り出し、キャリーにそれを被せる。
「薬は飲んだか?」
「さっき飲んだばかりです」
それを聞いたグレンは更に表情を険しくさせた。
「今日はもう飲めないな、少し辛いかもしれないが……、我慢出来るか?」
「でも僕は発情状態になってないと思います」
発情期特有の脳の細胞が熱によって欠けていくような感覚もなければ、身体もとくに異常はなかった。
「ならフェロモンだけ出てるのか……、自分で確認出来るか?」
それは秘部から蜜が溢れていないかという問いなのだと理解した途端、自分でも分かる程に強烈にフェロモンが漂い始めた。
「あ、ぁ……」
「大丈夫、落ち着いて、横になるんだ」
身体の温度が急激に上昇し、頭がぼーっとしてくると同時に、脳の中が作り変えられるような、あの不思議な感覚にくらくらしてしまう。
彼の顔を見れば苦悶に満ちた苦々しい表情をしており、その顔を見ていると自分の中の何かが壊れそうだった。
グレンにだけはそんな顔をされたくなかったのに、と視界が次第にぼやけていく。
「僕が……臭い……?」
思わず出てしまった言葉は、自問自答のような呟きで無意識に近い言葉だった。
それでも彼の耳にはちゃんと届いたようで、背中を見せていたグレンの肩が分かりやすくギクリと震えた。
「……君は馬鹿なのか……」
振り返った彼の唇から詰るような言葉が吐き出され、キャリーの自尊心が萎んだ。次第に視界の先が歪んでいき、彼の姿どころか部屋の景色ですら原型を失い始める。
しばらく瞳の端に留まっていた雫が、もう限界だと言わんばかりに零れ落ちた瞬間、卑屈に満ちた言葉はさらに続いた。
「どうせ、あなたにとって……」
発情状態のせいか感情がセーブ出来なくて、言いたくもない言葉がぽろぽろ口から出てしまう。
「僕など取るに足らない存在なのは知ってる……、けど、そんな風に嫌な顔をしてっ――」
虫けら扱いしないで……、と続ける予定の言葉は彼の唇に吸い取られた。
あてがわれた唇が濡れて行く、強引な舌が簡単にキャリーの口内へと侵入してくると、そのまま絡みつきながら卑猥な音を奏でた。
しびれるほど口の中を貪られ、重なる彼の熱気に埋もれそうになっていると、唇が離れて物足りないと訴える瞳がキャリーを見つめた。
「……何されてもいいか?」
ずっしりと重みのある声でそんな確認をされてしまう。
あなたにそんなことを言われたら、うなずくしか道は残ってないのに、と思いながらキャリーは返事をした。
「いい……です」
こちらの返事を聞き、一瞬だけ顔を強張らせたグレンが、自身のシャツに手をかけると躊躇なく脱ぎ捨てた。
シャツのボタンが引きちぎれ、それが勢いよくピンッと弾けると、小さな落下音が耳にこびりついた。
けれど、次の音でそれは上書きされた。カチャリと金属音が鳴り、腰のベルトを荒々しく外したグレンがキャリーの上に跨る。
上半身裸のグレンは熱気に満ちており、その逞しい肉体を持つ男が腹の底から深い息を吐き出しながら胸板を揺らす。
「俺をこんなに苦しめるとは……、君は天使ではなく悪魔か……」
若干、恨めしそうな顔を見せた彼は乱れた髪をかき上げる。髪の隙間から見える真っ黒な瞳がいつも以上に煌めいており、その瞳を潤ませながらキャリーの頬に手をあてがう。
――大丈夫なの? 僕は臭くないの?
本当はそれを確認したかったのに、それを聞けないまま病魔のような熱に包まれた。
キャリーの首に舌を這わせた彼は、まるで洗脳されたかのように、「きれいだ」と何度も呟き、その甘い声と言葉にキャリーは全身がとろけそうになった。この人がそんなことを言うなんて信じられないと耳を疑う。
その後も彼から数えきれないほどの甘い言葉を浴びせられたキャリーは、時間の感覚を失いながら彼から与えられる至福にどっぷりと身を落とした――。
気怠かった身体も、ぼんやりしていた頭の中も、すべてがクリアな状態でキャリーは目が覚める。
「あ……」
すやすやと寝息をたてるグレンが横にいて、キャリーは急に恥ずかしくなった。
あれは何だったのだろうか、と記憶の整理をしながら自分の身体に残る彼の感触を確かめる。
隅から隅まで余すことなくグレンに見つめられ、与えられた言動の全てが身体に刻み込まれた感覚に震える。
熱気に包まれた彼との時間を思い出し、余韻に浸りながら皆こうやって発情期を越えるんだ……、と初めての経験を噛みしめる。
――夢のよう……。
キャリーが夢見心地な気分になっていると、彼の瞼がピクリと動いて睫毛が持ち上がった。彼の大きな手が伸びてくるとキャリーの腰にまとわりついてくる。
「……大丈夫か?」
「はい……」
「気分は?」
「すごく……いいです」
くすっと鼻にかかる吐息を出した彼は、「よくも俺を翻弄してくれたな」と掠れた声で詰るが、その吐息はどこまで甘かった。
「予定通り、あと二日ほど、ここに居ようか……?」
甘すぎる声に反抗出来ないキャリーは静かに頷いた。
「君の発情期も、これで一段落しただろうし、薬も必要ないだろう」
そう言われて、また彼の体温に包まれた行為を思い出し、恥ずかしくなると同時に、自分のフェロモンについて彼に聞こうかどうしようかと悩む。
グレンが不快に思ってないならそれでいいと思うのに、「僕……、発情期に良い思い出がなくて」と気が付けば過去の話をしはじめていた。
「十五歳くらいの時、たまたま突発的な発情期が来て、それを兄に知られて、『臭い』と言われたことがあったんです……」
その時から発情期が来るのが怖くて仕方なかったことや、兄のゴミを見るような目が忘れられなくて、とキャリーは自分のことを曝け出した。
「……兄というのは会場で君の護衛をしてた子か?」
「はい、以前から仲は悪かったんですけど、それがきっかけで、更に仲が悪くなりました」
キャリーは当時の話をしながら、軽く笑みを浮かべた。こちらの話を聞きながらグレンは、兄は弟のフェロモンに動揺したんだろうと言う。
「兄弟でもフェロモンを嗅いだら、誘発してしまうからな、まあ、君の兄の行動や言動は愛情の裏返しのようなものだろう」
「それは絶対に違いますから!」
くすくす笑いながら、君は本当に自分のことが分かってないんだなと呟いた。つーっと彼の指が顔を撫でながら首元を通り過ぎて鎖骨へと移動する。
くすぐったいような、気持ちがいいような、不思議な刺激に思わず身を捩った。
「やめて下さい。くすぐったいです……」
「また発情するといいのに」
「え……」
「発情中の君は素直で可愛かったから……」
甘い吐息を混ぜながら言われた言葉の糖度が高すぎて、考える力が欠落していく。この真っ黒な瞳はやはり何か暗示をかける力でもあるのかもしれない。
今の自分なら何でも従ってしまいそうな危うい雰囲気を断ち切るように、ぎゅっと目を固く瞑る。でも、それはあまり良い選択ではなかったようで、彼の手がキャリーの身体を撫でまわしてくる。
「あ、の……」
「じっとして」
前もそうだったが彼に言われると、どうして動けなくなるのだろうか。
好き勝手に動き回る彼の手を止めたいのに、動けないジレンマに襲われたまま、しばらく怠惰な時間を過ごした――。




