17.心配させないでくれ
別荘に戻って鞄の中にある薬を確認し、取りあえず今日の分の抑制剤を飲んだ。
――あれ……、変だ……。
飲んだ瞬間グラグラと揺れはじめる視界、そのまま辺りの景色がどんどん溶けて行く感覚に、キャリーは身体を支えていられなくて、そのまま倒れ込んだ。
霧が舞い降りて来るような意識の中で、優しい声が耳の奥深くへ侵入してくる。
「ゆっくり呼吸して」
そう言いながら大きな手が背中を擦ってくれる。
「あまり、心配させないでくれ――」
ちゃんと彼の話を聞きたいのに、ぼんやりする意識のせいで、途切れ途切れになってしまう。そのまま虚ろな思考に飲み込まれていると、優しい声色で、「大丈夫、俺がいる」と言われてキャリーは意識を断った――。
パチパチと瞬きを繰り返したキャリーは、いつの間にかベッドに横になっており、顔を上げるとベッドの端に腰を落としているグレンが視界に入った。
こちらに気が付いた彼は、ほっとしたような表情で、「大丈夫か」と優しい声を出した。
「僕……」
「抑制剤を飲んだせいで倒れたみたいだな、何錠飲んだ?」
「二錠……」
「午前中は抑制リングも付けていたから、量が多かったのかもしれない。ゆっくり休むと良い」
ギッとベッドが揺れて彼が離れていくのを感じた瞬間、なぜか服の袖を掴んでいた。
自分でもどうして引き止めているのか分からないまま、グレンの顔を見上げる。
「傍にいて欲しいか?」
一瞬の迷いはあったものの、その言葉にコクリとうなずくと、彼はキャリーに寄り添うように横になる。彼の腕が躊躇なく腰に回され、その広い胸板に頭をすっぽり埋める形になった。
「あまり驚かせないでくれ、君が倒れているのを見つけた時、心臓が凍りついた」
「大袈裟ですね」
「いや、半分ほど凍ったはずだ」
そういって彼はこちらの手を取ると心臓の位置へ誘導する。
「ちゃんと動いてます……」
そんな報告しながら、キャリーはグレンを見上げた。
「まるで……迷い猫みたいだな」
色っぽく掠れた声が耳に響くと、彼の長い指が前髪に触れてくる。あ……、と小さな声がこぼれる前に、彼の唇がそれを拾った。
子供にでもするかのような、触れるだけの本当に優しいキス、それが悪いことでもしているような気にさせた。
「少し寝ろ」
いつになく彼は乱暴な言葉を吐くと、大きな手で瞼を閉じるように促してくる。その手の動きにつられるようにキャリーは目を瞑った。
素直に目を瞑った様子を見て安心したのか、腹の底から吐き出したかのようにグレンが長い息を吐くのが聞こえる。
面倒をかけてごめんなさいと謝るべきなのか、それとも彼が言うようにこのまま眠るべきなのか、そんなことを考えながらキャリーは微睡の中へ沈んだ――。
「少し考えれば抑制剤の量が多いことくらい、分かることだと思うが?」
あんなに優しかったのに、キャリーの体調が治ったと同時に、目を三角にしてグレンは説教を続ける。
「そうですね! すみませんでした!」
夕飯の支度をしているグレンの後姿を見つめながら、おかしい、おかしいな、もしかしてグレンは二人いる? と疑いたくなる。
あれは何だったのだろうか、幻覚だったにしても生々しいし……、と優しくキャリーの頭を包んだ大きな手と広い胸板を思い出す。
――キス……。
ぷにっと唇を摘まみながら頬に熱が宿るのを懸命に抑え込む。
どちらにしても、いつも通りのグレンで良かった。あんな甘い態度や言葉を毎回浴びせられたら……、と考えて知りたくもない核心に辿り着き、自分がどうしてグレンを怖がっていたのか、何をそんなに不安に思うのか、今更のように事実と向き合う。
「ほら、食べられる分だけ食べるといい」
彼の声で思考の渦から這い出たキャリーは、ダイニングテーブルの上に置かれた皿を見つめる。綺麗に捌かれた魚はこんがりソテーされており、ハーブの香りが食欲をそそった。
ナイフとフォークを手に取り、魚の身を切り分けると、ふんわりとした身を口にし、「美味しい……」と当たり前の感想を口にした。それにしても、本当に彼は器用だなと改めて思う。
「グレンって何でも出来るんですね」
「何でも出来るわけじゃないが、得意なものは多いかもしれないな」
言いながらワインを開けるグレンの姿を、まるで映画のワンシーンを見ているようにキャリーは鑑賞する。
ワインを一口含んだ彼は、こちらを見てしばらく思考を巡らせてから口を開く。
「……予定より早いが、明日……宮殿へ戻ろうか」
「どうしてですか?」
「抑制リングもなしでは心許ないだろ? それに錠剤は君の身体に合ってないようだし」
確かに、血液や体温に合わせて適量流れるように出来ている抑制リングとは違い、今持っている錠剤は市販の物なので度数がきついのかもしれない。
でも、でも、と何故か彼の提案に頷きたくない自分がいた。
「大丈夫です」
キャリーは少しくらいは平気だと笑みを浮かべたが、グレンは少し困ったような苦い笑みをこぼした。
「大丈夫……ね」
そう言ったあと彼は立ち上がると、ワインをもう一本取りに向かう。
「俺は君が思っているほど、……ではないんだが……」
ぼそぼそと何かを言ったことは分かったが、キャリーには聞き取れなかった。ワインをもう一本開けるのを見つめながら、この人は自分がフェロモンを発してもゴミ扱いしないだろうか……、と変なことを考える。
そもそも、アルファはオメガのフェロモンを好むと教えられていたのに、兄に植え付けられた出来事のせいでトラウマ化している。
――結婚するしないは別として……。
おかしな考えが頭をもたげる。もし、グレンが自分のフェロモンを否定しないなら身を任せても……、ふわふわとした感覚が襲う。何かが崩れていく危うい思考にキャリーはハッとした。
――何考えてるの……。
そもそも彼は『男を抱く趣味はない』って言ってたじゃないか、それだったら兄と同じような反応を示すかもしれない。グレンにあんな目で見られるのは嫌だ、とキャリーは先ほどまで抱いていた思考を必死で切断する。
こちらの様子を注意深く見てくる彼に、「具合が悪いのでは?」と聞かれて頭を振る。
「具合というより、薬が合わないのかもしれません」
普段、まったく考えたことがない不純な考えがぽんぽん浮かぶなんて、そうとしか考えられない。
「……そうか、念のために、今日は別々で寝よう」
「はい」
これはグレンの言う通り、宮殿に戻った方が良いのかもしれない。せっかく時間を作ってくれたのに何だか勿体ないな、と思っていると彼から、「ちゃんと部屋に鍵をかけて寝るように」と忠告を受けた。
本当に心配してくれているのだと分かる言葉を聞き、素直にうなずいたキャリーは早めに就寝することにした――。




