16.抑制リング
就寝時間が近付いてくると、やっぱり? とベッドに横になってから隣にいるグレンを見つめる。
――どうしていつも一緒に寝るのかな……。
何もするわけでもないのに一緒に寝るのが不思議だった。
例えばおやすみなさいのキスをするとか、恋人らしく身体に触れるとか……、とそこまで考えて何を想像しているのかと、必死にその妄想を頭の中から追い出す。
変なことを考えたせいで、急に彼の身体のラインが気になり、キャリーは彼に背を向けた。
しばらくして、パタンと何かの物音と同時にグレンの小さな吐息が聞こえてくる。
「……寝たか」
そう言って彼はベッドライトを消した。
この時、ふと思った。もしかしてグレンは別に本を読みたかったわけではなく、自分が寝付くのを待っていただけなのかもしれない。その可能性を考えて、それなら、もっと早く寝たふりをしてあげれば良かったと思った。
――え、ちょ……、ちょっと……?
軋むベッドの音と共に、腰に何かがまとわりついてくるのに気が付き、それが彼の腕だと分かった瞬間、思わず悲鳴が出そうになった。
ぴったりと自分に張りつく彼の体温がキャリーの思考を鈍らせる。どうすればいいのか分からないでいると、ものの数分で腰に巻き付いていた腕の力が抜けていくのを感じて、彼が眠りについたのが分かった。
わずか数分で寝付いたことに驚きながらも、キャリーは安堵の息を吐くと、次第に聞こえてくる彼の呼吸音に耳を傾けた。
ずっと聞いていたい気分になるほど規則正しい呼吸音、それに誘われるようにキャリーも深い眠りについた――――。
翌日、目覚めると既に彼の姿はなく、慌てて身体を起こせば、彼はキッチンで朝食の用意をしていた。
「起こしてくれたら良かったのに」
「君は客人だからな。世話されるのは当然の権利だ」
「手伝いくらいさせて欲しいです」
子供のように拗ねた言い方で言葉を吐き出したキャリーは、彼が何を作っているのか覗き込む。スクランブルエッグの隣にサラダとポテト、一般的な朝食が彩られた皿を見つめた。
「クロワッサンは冷凍品だが、そこそこ美味いはずだ」
「ありがとうございます……」
テーブルに朝食を並べる姿を見つめ、キャリーの心の中には聞きたいことが溜まっていく。
普段からこんなにマメなの?
今までも作ってあげた?
どうして一緒に寝るの?
あと抱き付いてくるのはなぜ?
色々と確認したいのに、グレンの前だと何故か引っ込み思案になる。
「これを食べたら釣りに行こうか」
「大丈夫なんですか?」
「何が?」
ここぞとばかりにキャリーは昨日のことを蒸し返した。
「疲労が限界に達したって言ってたじゃないですか」
「あー、そうだった。なら君に一日中全身マッサージでもしてもらうのも悪くないな」
彼に何を言っても勝てないのに、なんて馬鹿なんだろうと、自分で自分の首を絞めたことを今さら後悔する。
「やっぱり、釣りに行きたいです」
「そうか、俺はどちらでも構わないが」
くすくす笑うグレンを横目に、本当に意地悪だなと思う反面、こんなやり取りが楽しいと思うなんて変だと思う。
いつもなら、アルファが自分を揶揄っていることが分かると嫌悪感しか湧かないのに、どういうわけか彼にはそういった感情は湧かない。
その理由を探しているうちに、食事を終えた彼が、「出かける準備をしてくる」と言って外へ向かった。
「いい夫って、ああいう人だよね」
くすっと笑みを浮かべてから我に返り、両手で口を抑えた。
まるで新婚気分を満喫している妻みたいじゃないか、こんなのは駄目だとキャリーの中で得体の知れない不安が襲った。
何度か深呼吸を繰り返し、大丈夫これは今だけのことで夏休みが終われば、いつもの日常に戻るのだと暗示をかけた――。
クルーザーに乗り込み、釣りのポイントに来てみたものの、キャリーの竿には魚一匹かからないまま数時間が経過した。
「魚も選り好みするんですね……」
そんな独り言を言いながら、グレンのクーラーボックスを覗く。活きの良さそうな魚が数匹暴れているのを見つめ、お前達もオメガよりアルファがいいの? と八つ当たりに似た自嘲をしそうになる。
「キャリー、引いてるぞ」
「え?」
そう言われて自分の竿を見れば、ピクンと竿先が跳ねているのが見える。慌てて駆け寄り竿を手に持った瞬間、あまりの引きに驚いて足を滑らせ、キャリーはそのまま海に落下した。
「キャリー!」
鼓膜に水が入ったのか、周りの音が濁って聞き取りにくいが、そんな雑音の中でも彼の声だけはしっかり聞こえた。
ライフジャケットを着ていなかったら、溺れて死ぬところだったと胸を撫で下ろしていると、グレンに腕を掴まれる。
「大丈夫か?」
真っ青な顔を見せる彼を見て、こんなに心配してくれることに嬉しさが込み上げる。けれど、釣り竿が紛失したことに気が付き、「釣り竿が……」と辺りを見回した。
「魚に持っていかれたな」
「すみません」
「謝る必要はない、取りあえず船に戻ろう」
彼に先導されて船に戻る。魚の影しか見えなかったけど、かなり大きかったことを説明すると、彼はくすっと笑みを浮かべる。
「もしかすると、カジキかもしれないな、小ぶりでもかなり力が強い」
「そうなんですね。また釣れるかなぁ……」
「釣れたとしても、そんな大きな魚は俺には捌けないから逃がすことになる」
「そっか……」
ちょっと残念だと思いながら水平線を見つめていると、グレンがいきなりキャリーの手を掴んだ。
「血が」
「え……、あ……、抑制リングが……ない」
「海に落ちた衝撃で外れたのか」
どうしよう。最近はこのリングに頼りっきりだったせいで、自分の発情期がいつなのかまったく分からない。
慌てて携帯を取り出し、自分の発情期を調べると、今日からだということが分かり、とてつもない不安に襲われる。
「大丈夫か」
「……今日から発情期でした」
「代えの抑制剤ならあるが……、アルファ用だから君にはキツイだろうな」
そういえば以前、洗面台に使用済みだったポンプ式の抑制剤があったことを思い出した。
「よく使うんですか?」
「いや、滅多に使わない、この間――」
言いかけて彼は口を閉じた。バツの悪そうな顔をしているのを見る限り、あまり良い話ではなさそうだと感じ取ったキャリーは話を切り替えた。
「代えの抑制リングは宮殿に置いてきてしまって……、でも錠剤を持ってきてます」
「そうか、ならいいが、もし不安なら宮殿に戻ろうか」
彼の優しい言葉に思わず涙腺が緩みそうになる。自分の発情期を心配してくれる人がいるとは思ってもみなかったからだ。
母でさえ、思春期に突然発情期が訪れた息子に顔をしかめ、自分の発情期の管理くらいはオメガとして当然だと言って渋い顔を見せていたのだから、グレンの態度はキャリーにはかなり嬉しいことだった。
「グレンはオメガに優しいですね」
「……そうか? そう感じるなら、オメガではなく〝君〟に優しいんだろうな」
それってどういう意味? と聞こうとして、自分がどんな人間なのか再確認した。
フロベール社の息子であり、祖母の持つ株やその他の権限が将来キャリーへ譲渡される。
彼はそのことを知っているのだろう。将来的に重役を味方につければ会社の実権を握ることが出来る立場になり得るのがキャリーだ。
もちろん自分はそんな大それたことは考えてはいないし、株だって父が手放せというなら売るだろう。急に心の中が空洞になっていくのを感じた。
――そっか、そうだった……。
彼の好意や優しさを勘違いしてしまうところだった。『馬鹿なキャリー』子供の頃から何度も兄達に言われてきた言葉が、今さらのように自分の背中を突っつく。
色々な意味で頭が冷えたキャリーは、真っ直ぐに彼を見つめた。
「そろそろ、戻りませんか? 夕飯には十分そうです」
そう言ってクーラーボックスへ視線を移動させ、そよそよ泳ぐ魚に、「釣られなければ食べられずに済んだのにね」と小さく呟いた――。




