15.彼に出来ないことはない
クルーザーの操縦席でGPSの地図を見ながら目的地を目指す彼は、「ヘリでも良かったんだが」と言う。どうやら島に着いたあとでトラブルが起きると困るからという理由で船にしたようだった。
確かに彼の言う通り何か問題が起きても、この船があれば寝泊まりするのに困ることはないと思った。
それにしても、この人に運転できない物はないのではないだろうか。
――そのうち宇宙船とかも運転しそう……。
彼が宇宙服に身を包む姿を想像して、キャリーはこっそり微笑した。
船に乗り込んでから三時間が経過した頃、ようやく目的の島に辿り着いたが、建っている建造物を見て驚いた。
小高い丘にぽつんと建っている建物は、真っ白な正方形の形をしており、アート感も漂うが酷く閉鎖的でもあった。
所々に小さな窓がいくつかあり、遠目から見ればまさにサイコロのようだ。ぼーっと建物に目を奪われていると、ここで待っているように言われる。
――なんだか凄い景色……。
当たり一面広大な野原で、船の停泊箇所以外は切り立った崖だ。景色の凄さに見惚れていると、グレンが別荘から電気自動車を運転して戻って来た。
彼が乗ってきたコンパクトカーを見つめながら、「あなたにも似合わない乗り物があるんですね」とキャリーはくすくす笑った。
こちらを眩しげに見つめた彼が深い息を吐くと、クルーザーへ視線を向ける。
「笑ってないで荷物を運んでくれ、このままだと夕食に間に合わない」
そう言ってグレンはコンパクトカーの後部トランクを開けた。
全て自分達でやらなくてはいけないことをすっかり忘れていたキャリーは、急いで船から荷物を下ろして積み込み作業に移った。
自分達の着替え以外にも、細々とした備品があり、取りあえず小さなコンテナボックスのひとつを手に取った。
「それは重いだろ」
「あ……」
不意にグレンに荷物を取られてバランスが崩れる。キャリーの足元がグラつき、咄嗟に自分を支えてくれたグレンだったが、支えきれず結局は一緒になって転倒した。
細かい砂の上に二人で倒れ込むが、厳密に言えば彼だけが砂の上で自分は逞しい身体の上だった。
「す、すみません、怪我は……」
「……いや」
苦痛なのか歪んだ彼の表情が気になり、慌てて起き上がろうとしたが、腕を取られて彼の瞳に射抜かれる。
「怪我はないが……、せっかく助けたんだから、お礼くらい欲しいものだ」
「はい、ありがとうございました」
「くっ……」
お礼をしろと言われてお礼をしただけなのに、どうして笑われているのだろう? まったく解せない彼の態度に苛立ち、掴まれていた腕を振り払う。
「ちゃんと、お礼を言いましたよ?」
「ああ、確かにな」
相当おかしかったようで、「君に期待した俺が馬鹿だった」と言いながら寝ころんだままずっと肩を揺らしている。
しばらくそうしていた彼は立ち上がると、目を細めながらキャリーの顎先を摘まんでくる。
「まるで恋愛経験がないんだな」
「恋愛……、け、経験くらい……、はあります」
「なるほど、それなら俺よりは上級者か……」
彼が言った言葉が不可解で、しばらく考え込んでしまった。
――僕があなたより上級者なわけない……。
恋愛経験といっても、ベータだと騙された子と数回のデートをしただけ、そのあと連絡するのも億劫で自然消滅した。
あれを恋愛とカウントしている自分が情けないけどね……、と自嘲気味に小さく息を吐いていると、「それで全部か?」と荷物の最終確認をするグレンの声にハッとしてキャリーは頷いた。
「忘れ物はなさそうだな」
全てを積み終えて、コンパクトカーに乗り込むと、遠目に見ていた建物へ向かう。いつも乗る車とは違い、全体的に小さいせいで密着度が高くて、ほんのわずかな彼の動作が気になった。
平常心を保っているつもりでも、鼓動が勝手に早くなり、それが彼に聞こえないか心配になった――。
「なんだか……、未来の建物みたいですね」
辿り着いた別荘を見つめ、キャリーは素直な感想を口にした。
「有名な近代建築家が建てたもので、かなり合理的な造りになってる」
グレンの話を聞きながら、遠目で見ていたよりも、さらにモダンな造りになっている建物を見上げる。
建物の全てが太陽光を取り入れられる仕組みになっており、地下にある発電機に蓄積するのだと教えてくれる。
家の中は言うまでもないほど、優雅で上品な家具が備わっており、無駄なものが一切ない空間だった。
「明日は天気も良さそうだから、魚でも釣りに行こうか」
「……僕は魚釣りしたことがないです」
「餌を付けて糸を垂らすだけだ。そんなに難しいものじゃない」
簡単だと笑みを浮かべる彼だったが、言うほど簡単ではないことはキャリーだって知っていた。
その日の夕食は国の伝統料理だというグラタンの作り方を教えてもらった。普段キャリーが口にするグラタンとは違い、牛肉や南瓜や豆など変わった物が混ぜられており、とてもジューシーで濃厚な味わいだ。
「美味しい……」
「それは良かった」
料理している彼の手さばきを思い出し、いつどこで料理をする機会があるのだろうと、疑問を抱いた目でグレンを見つめる。
今までの恋人にも振る舞ってあげたのだろうか? だとしたら、ここにも何度か女性を連れて来たに違いないという考えに行きつく。
キャリーの妄想の波はなかなか穏やかになってくれず、顔のない何人もの女性が脳裏をかすめる。
聞いてみる? どうする? と口の中で舌が迷うが、湧いてしまった好奇心の方が強かった。
「ここは、よく来るのでしょうか?」
「いや、年に一回くるか来ないかだな、他人を連れて来たのは初めてだ」
「そ……うなんだ」
なんだか、特別だと言われている気がして、胸の奥がきゅっとなる。
いやいや、と自惚れそうになる思考を止めた。他に連れて行く所がなかったからここに来たのかもしれないし、彼は自分と結婚するために最善を尽くしているに過ぎない。だから特別なんて思わない方がいい。
彼の言葉にいちいち過剰に反応したら負けだと、何度目か分からない自分との戦いを思い出した。
「ここは……」
そう言って彼が何かを言いかけたが、紡ぐことなく唇は静かに閉じられた。
じっとキャリーを見つめる目が言うのを躊躇っているのに気が付いたけど、どうしても続きが気になった。
「どうかしましたか?」
「ああ、この島は父から譲り受けた場所なんだが、一度も父とは一緒に来たことはなかったなと……」
どうやら、亡くなったグレンの父が残した建物らしいが、思い出はほとんどないようだった。彼は淡々とした口調で、「父も一人になりたい時に使っていたのだろう」と言ったあと口を閉じた。
「いくら一人になりたいからって、この島は寂し過ぎる気がしますね」
「そうか?」
「だって本当に何もない場所みたいだし……」
「俺はそういうのは感じたことがないな」
彼は寂しいという感情が湧いたことがないと言う。それは、誰一人として彼の心に留まる人間がいなかった証拠なのだと思った。
「きっと、あなたのそういう態度は人を不安に……」
思わずレーナのことを口に出してしまいそうになり、ハッとして唇を閉じた。
「……もしかして、ずっと寂しかったのか? なるべく早く仕事を片付けたつもりだったが、今後は寂しい思いをさせないように努力しよう」
「あ、いえ、そうじゃなくて」
言い出せない言葉を呑み込んだせいで、彼が大きな誤解をしている。
「そもそも、仕事がこんなに忙しいのは君のせいでもあるんだがな?」
ため息交じりの言葉を聞き、どうして自分のせいなんだろう? と小首を傾げていると、キャリーがずっと携帯に出なかったことを蒸し返してきた。
あの会場へ出席するための日程を組むのに何度も自国とアメリカを往復したのだと、恩着せがましいことを、くどくど言ってくる。
「そ、そんなの……、あなたが勝手に……」
「俺を散々振り回しておいて、君に責任がないというわけか?」
口角を上げたグレンは、なるほどな? と器用に片方の眉を動かしたあと、持っていたスプーンを皿に置いた。
「ハァ……、どうやら疲労が限界に達したようだ、自分でスプーンも持てない……」
「は? 何を言って……」
「俺はこのまま餓死するんだろうな……」
そんなことあるわけないでしょうが! と喉元まで出ているのに言い出せない。肩肘をつき自分の顎を支えながら、片方の手でグラタン皿とスプーンをこちらへ寄せてくる。
――う、嘘でしょ?
彼が何を要求しているのか分かり絶句する。真っ黒な瞳はいつもと変わりなく煌めいており、とても餓死しそうに見えない。
いや、そもそも餓死するならもっと前に……、と論点がズレ始めた時、彼がパカッと口を開けた。
「ほら、食べさせて」
子供のようなことを言う彼に呆れる。じっとこちらを見つめ、まったく折れる気がない彼に絆され、仕方なく皿を取ると、スプーンでグラタンを掬う。
戸惑いながら口へと運べば、それを素直に食べる彼の姿に奇妙な感情が湧く。
――なんだか、子供みたい。
何処をどう見ても立派な成人男性なのに、心許ないような子供に見えるのはどうしてなのか。
そんな彼を見て、うっかり〝可愛い〟と世界で一番似合わない言葉が浮かびそうになり、ぶるぶると頭を振る。
「本当は自分で食べられるくせに……」
キャリーは批難の声を出したが、それを聞いた彼はわざとらしく肩を下げた。
「いや、もう限界だ。船の運転に、荷物の運搬に、君のお世話に――」
「わ、わかりました!」
この後も、グレンに翻弄されながらグラタンを食べさせ、なんとか無事に夕食を終えた――。




