13.昨夜は置き去りにして悪かった
夕方、グレンが部屋に戻って来た。昼間に疲れた様子を見せていた彼とは違い、いつもの余裕ある姿に戻ったグレンは、「そういえば、今日の朝は食べてないと聞いたが……」と歩み寄って来る。
「お腹空いてなかったから」
意外と心配性なのか、キャリーの行動は全て把握しているみたいで、朝食を食べてないことを指摘された。
ホームシックになったのであれば、一日くらい家に帰る手配をしようと彼は言うが、往復の道のりを考えると、とても頷ける話ではなかった。
――それに、まだここに来て二週間くらいだし……。
子供扱いなのか大切にされているのか、よく分からないけど、自分のことを気にかけてくれていると知り、急に心が満たされていく。数時間前の彼の態度を考えてモヤモヤしていたのが嘘みたいに消えてしまった――。
部屋に食事が運ばれてくると、一緒に届けられたシャンパンをグレンが開け、慣れた手つきでグラスに注ぎながら、「少しは飲むんだろ?」と聞いてくる。
「少しなら」
注がれたシャンパンを見つめる。何の話をしよう? 聞きたいことが山のように積み重なっているのに、聞き出せない自分がいる。言い淀むなんて自分らしくないなと思いながら、目の前にいるグレンを見つめた。
そういえば、この宮殿に来てから、初めて夕食を一緒に食べる。しばらく仕事で忙しいと前もって言われていたので特に気にしていなかったけど――。
「あの……、普段、夕食はどうしてるんですか?」
「いつも事務室で適当に済ませてる。わざわざ、部屋に戻ってまた事務室に戻るのは……」
そこまで言ってから言葉を区切ると、彼の手がキャリーの頬へ伸びてきた。
「そうだな、今後はこの部屋で食べることにしよう」
そう言って微笑む。もしかして自分の発言が寂しがっていると思わせてしまったのかも? と急に焦る。
頬にあてられた掌のせいで、キャリーの体温があがっていく。彼はいつも躊躇いなく触れてくるけど、こういう扱いになれてない自分は、いつも緊張で身体が強張る。
潤んだ彼の唇が隙間を開け、舌先がキャリーに言葉を伝えようと動く。それを惚けたように見つめた。
「明日から数日は何もない、何処かにでかけないか?」
あからさまに、昼間の失態を補うかのような発言だったが、退屈していたのも事実なので彼の提案に素直にうなずいた。
「ガヴィス島にでも行ってみるか」
「そこには何があるんですか?」
「何もない」
即答で答えてくるグレンに返す言葉がなかった。
「俺しか頼れる人間はいない場所だから覚悟しておいた方がいい」
じっとこちらを見つめる目に囚われて、今まで感じたことのない熱気に体が包まれる。これは自分の身体から出ている熱なのか、彼の瞳から特殊な何かが出ているのか。
普段は大人しい心臓の音が妙にうるさくて目がくらみそうになる。
「あー、それから、昨夜はプールに置き去りにして悪かった……」
「いえ、お仕事だったなら――」
「そうじゃない、弟の容態が悪化したんだ」
急に亀裂が入ったかのように、穏やかだった空気がピンと張り詰めた。
そういえばフェルナンドが命に関わる病気を患っていると言っていたことを思い出す。意外なことにグレンは一日に数回、弟の様子を見に行くらしい。
「そ、そうだったんですね、それで症状は悪いのでしょうか?」
「心配することはない、良くあることなんだ。明日からはレーナが見てくれることになってる」
それを聞き、大丈夫なのかと思った。あの人あまり印象が良くなかったけど……? と病弱な弟の面倒をあんな人に任せて良いのかと思った。
「少し気性が荒いが、あれでも優秀な医者でね」
医者と聞き、あー、それっぽいと思った。
どうやら今日の昼に部屋に彼女が押し掛けて来たのも、フェルナンドの過去のデータを見るためだと説明してくれる。
「彼女に過去データが部屋にあることを伝えたんだ。そしたら、最初から用意しておくべきだとキレて――」
グレンはその時の彼女を思い浮かべているのか、くすっと笑う。
その表情を見て、なぜか奇妙な感覚がキャリーの心臓を刺激した。まるで誰かが自分の心臓を握り潰しているかのような息苦しさに襲われる。
「まあ、君が心配する必要はない」
それは家族になるかもしれない相手に言う言葉だろうか、とあまりにも他人扱いするグレンに不満が出そうになり、キャリーはハッとした。
結婚したくないと願っているのに、この身勝手な感情はなんだろう。自分がどれだけ自分勝手な人間なのか再認識すると同時に、決して認めたくない気持ちに蓋をする。
――大丈夫、これは一時の気の迷いだから、彼を好きになったわけじゃない。
言い訳なのか、それとも言い聞かせているのか、どちらにせよ、結婚しないのだからと、湧き出そうになる気持ちを押し潰した。
ふと、もう一人弟がいると聞いていたことを思い出し、そちらの方は病弱ではないのだろうか? とキャリーは話題にした。
「もう一人の弟さんは、健康なんですか?」
「……ミハエルは……」
なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまったかも? とグレンの表情を見て思う。彼の瞳が揺れて、何かに怯えているような戸惑いの眼差しに、吸い込まれそうになっていると、彼の唇が動いた。
「……この間、妊娠をしたんだ。だから健康には気を使っているはずだ……」
「そうなんですか、おめでとうございます」
乾いた笑みをこぼすグレンを見て、あまり嬉しいことではないのかと思う。
それと、ミハエルという弟もオメガなのだと知り、必然的にグレンの伴侶が生む子供は後継者となるのだと責任の重さも感じた。
「いずれ、君にもちゃんと話をしたいと思う」
「何をですか?」
「俺の家族について、君が思っている以上に複雑なんだ」
そう言って彼はシャンパンのグラスを飲み干す。キャリーに家庭の事情を話すことに躊躇いがあるのは当然だと思った。
結婚するのを渋っているキャリーに、家の内情を晒せないのも納得出来る。彼の家は普通の家庭ではないのだから、自分が結婚を承諾しない限り、彼が抱えている悩みは聞けない。
そう思ったら急に蟠っていた気持ちが解け、「僕の家も結構、複雑なんですよ?」と伝えた。
「そうか、君も俺に話す気になったらいつでも言ってくれ」
「はい」
その後、他愛も無い話を続け、彼の意外な一面も含めて有意義な時間を過ごした。
この日、グレンは仕事に戻ることなく、キャリーと同じ時間を過ごし、その後、就寝時間がやってくると、当然のように同じベッドへ入ったけれど――。
「あの……」
「なんだ」
どうして一緒に寝るのか聞きたいのに、その言葉が出なくて唇が開かない。
ベッドヘッドに凭れながら本を読む彼を見つめ、「それは何の本ですか」と気が付けば、聞きたい事とはまったく違う質問をしていた。
「人類細胞に関する論文だが……、読むか? いや、読んで聞かせようか?」
悪戯な笑みを向けるグレンは、キャリーを子供扱いする。
どうせ聞いても分からないからいいと答え、そのまま彼を見つめた。彼の視線が本へと戻るのを確認して、その端正な横顔を眺める。
結婚したらこんな風に毎日過ごすんだ……、と居心地のいい安心感を感じ、瞼が急激に重くなっていく。
もう少し彼の横顔を見ていたいと思う気持ちを裏切るかのように、睡魔に襲われてキャリーの意識は断ち切られた――――。




