11.プール
グレンの宮殿に戻ったキャリーはリビングでぼーっとしていた。気を許すとシャザが言った言葉が頭の中で繰り返し再生される。
『もし、キャリーがグレンと結婚しないと決めたら……、その時は私のことを考えてくれる?』
これがルイードに言われたのなら考える間もなく断っていたはず。けれど、シャザの切実な願いに断るに断れなくて頷いてしまった。
いや、どうして断らなかったんだろう?
彼がアルファじゃないから?
もしかして生い立ちに同情した?
自分に質問を投げかけながら、キャリーはグレンから教えられたことを思い出した。
国王の子を宿したことで、嫉妬に狂ったハーレムの女たちから恨みを買い、シャザの母親は何度も殺されかけたと言っていた。
――酷い話だ……。
そのまま宮殿にいたら殺されていた親子はグレンの手助けでサルスジャミン諸王国で保護されたのだという。
それから、ずっと平穏に暮らしていたのに数年前に宮殿に呼び戻されて王位継承権を与えられたけど、シャザは王位に興味がないからと返還したようだった。
勝手な親族に振り回されている彼を見て何となく自分を重ねた。
じっと携帯の画面を見つめていると、いつの間に部屋に戻って来たのかグレンが自分を見下ろしていた。
「どうした? 食事も手を付けてないようだが」
そう言って彼がダイニングテーブルに置かれたままの食事を見つめる。
「お昼を食べ過ぎたみたいです……」
「……なるほど、では少し運動でもするか」
運動ですか? と返事する間もなくグレンに腕を取られて立たされた。
ついて来いという彼の後をついていくと、エレベーターに乗り、下の階へと移動する。
その移動中に今日のゼビアナ王国はどうだったか聞かれて、宮殿の歴史を教えてもらった話など、差し障りのない報告をした。
「あの国は我が国と同じくらい古い歴史を持つ。根強く残っている風習も多いから楽しめただろう」
そう言ったあと彼は微笑んだ。
この時、グレンがキャリーが暇を持て余していたことを気にして、ルイードの宮殿へ遊びに行かせたのだと気が付いた。
彼が必要以上に自分に気遣うのを見て、この態度に絆されて結婚したあと、豹変されたらと考えてぞっとする。
そんなことを考えて、どうして毎回こんなネガティブな考えに行きつくのだろうかと嫌になるが、その理由はグレンが完璧だからだと思った。
「こっちだ」
エレベーターから降りて案内された場所は、五十メートルほどの幅がある室内プールで、キャリーは思わず息を飲んだ。
月の光だけが差し込むプールの底には絵が描かれており、深い青色の背景から浮かび上がる人魚の絵が圧巻だった。
無駄に豪華な水底を眺めていると、グレンが衣服を脱ぎ始める。
「え⁉ どうして……」
「どうした?」
急に全裸になったら、びっくりするのが普通なのでは? とキャリーは抗議の声をあげる。
それを聞いたグレンは、自分の専用プールでいちいち水着を着るのは面倒だと微笑む。何をするにも紳士でスマートな彼しか見てこなかったからなのか、野性味ある行動をする彼を見て少し驚いた。
――それと、分かっていたけど……。
普段、ふとした時に、グレンの胸元へ寄せられることがある。
その度に細身に見えるのに意外と逞しい身体つきだと感じていたし、だから実際に彫刻のような身体を持っていても当たり前なのに、何故か目を背けてしまう。
彼の身体が素晴らしいのは分かっていることなのに、キャリーは顔を向けられなかった。
「泳がないのか?」
「え……」
「もしかして、泳げないのか、それとも恥ずかしいのか?」
どうして、いちいち癇に障ることを言うのだろうか。
恥ずかしいのは当然じゃないか、あなたの彫刻のような身体と、自分の貧相な身体が比べられるんだから! とグレンの言葉に苛々しながらキャリーは衣服を脱いだ。
ちゃぽっと足先から水に入れると、温水になっており、快適な温度にほっとしていると、グレンが奇妙な表情でこちらを見ている。
「なんですか?」
グレンから笑みが消えたことで、キャリーは自分の予想通りになったと思った。
ほらね、どうせ貧相な身体に驚いて言葉も出ないんだ、と不貞腐れていると彼が近付いて来る。
「競争かタイムアタックでもするか、もし俺が勝ったら――」
そう言って、意外と子供っぽい遊びを提案してくる。
自信満々の表情で勝負を仕掛けてくるグレンの言葉を遮り、「あなたの想像通り、僕は泳げません」と告白し、だから競争なんて無意味な勝負はしないと告げた。
無言のままキャリーを見つめてくる彼が、さらに距離を縮めてくる。月の光に照らされた身体と、水に揺らめく裸体が妙に艶めかしくて目線だけ逸らした。
「なんですか……」
「じっとして」
目の前にはグレンの浅黒い胸板があり、正直、目のやり場に困ってしまう。下は向けないし、上を向けばグレンの真っ黒な瞳がキャリーの視界を襲う。
なんだか熱が出そうだと思っていると、そのままグレンが身体をくっつけようとするので、一歩下がった。
「じっとするように言ったが?」
「だ、だって……」
彼の身体がぴったりと合わさり、その肌の感触にドキドキしてめまいがする。くすっと鼻にかかる吐息も、普段以上に甘く感じて、どうして彼はこんなことをしているのかと思う。
「お、泳がないんですか……」
「今は必要ない、観察で忙しい」
観察? と顔を上げた瞬間、彼の妖艶ともいえる瞳がキャリーの視界を覆いつくした。
自分の意志では動かせないほどの感覚に襲われて、このまま失神してしまいそうだった。
グレンが何の確認をしているのか分からないが、彼の瞳に映る自分がどれだけ惚けた顔をしているのかだけは分かる。
何度も近くで顔は見ているのに、この男の凛々しく整った顔に自分は本当に弱いのだと思う。そんなことを考えていると、彼の手が頬に添えられた。
ひんやりと冷たくて気持ちがよくて、思わず自分からすり寄せそうになる。
その時、はじめて自分の顔が熱を持っていることを知り、違う熱が足元からじわじわと上昇していく感覚に襲われた。
閉じられていたグレンの唇が揺れて何かを言いかけた時、プールサイドに脱ぎ捨てられた衣服から無機質な音が聞こえてくる。
「こんな時間に誰だ……」
鬱陶しいとでも言いたげに、グレンは自身の衣服へと目を向けた。
明らかに面倒だと思っていそうな顔だったが、それでも誰からの連絡なのか確認せずにはいられなかったようで、プールから出てジャケットのポケットから携帯を取り出した。
画面を確認した途端、彼は近くにあったローブを慌てて羽織ると、そのままキャリーを置いて出て行った。
――何があったのかな?
きっと仕事のトラブルか何かだと思うけど、いつも冷静で余裕を見せる彼でも、あんなに慌てた顔をすることがあるんだなと、キャリーは少しびっくりした。
プールから出て辺りを見渡し、身体を拭くタオルを手に取ると、それを肌にあて水分を吸わせた。
ホッと一息ついたキャリーは、先ほどのやり取りは何だったのかと考えた。
そもそも、グレンが何を考えているのかさっぱり分からない。ただ、思うことはひとつだけ。
――発情期じゃなくて良かった……。
あの感覚は嫌いだった。脳の細胞がひとつひとつ崩れて、アルファに身体を満たして欲しいと発情熱に支配される。まるで別の人格になる自分がたまらなく嫌だ。
グレンに発情した姿を見られたら、自分はきっと死んでしまいたくなるだろう。
着替え終わったキャリーは、ふと脱ぎ捨てられているグレンの服が視界に入り、それを拾い上げてたたむと、足早に部屋へ戻った――――。




