10.昔からオメガは
玄関を抜けてすぐに見えて来たのは、広々としたラウンジで、月に一度パーティーが開催されると説明してくれる。
「我が国の重要なポストにいる人物達を招いて食事と会話を楽しむ交流会に使う」
何と言うか、本当に中世の時代の風習がそのままあるのだと思った。
そのラウンジを抜けると、道が三つに分かれており、右側にある丸い屋根の可愛らしい建物が目に留まった。
「わ、何だか可愛い」
つい出た独り言に、ルイードはニタと笑みを浮かべる。
「行ってみるか?」
「はい、行きたいです」
元気よく返事したものの、シャザが駄目だと止めに入った。
どうやら、あの建物はハーレムの女性達が住んでいるらしく、あの場所に踏み込むと女性を必ず一人選ばなくてはいけないらしい。
「別に何人選んでもいいぞ? 心配することはない、相手に全部任せておけばいい」
「なっ、ぼ、僕は……」
そんなことを言われて、カッと身体が熱くなった。
「ん、ああ、そうかキャリーは抱かれる方だったか」
「も、もう、そういう発言はやめてください!」
キャリーの体温が上昇していく。けれど、その理由は〝抱かれる方〟と言われたからではなく、瞬時にグレンを思い浮かべたからだった。
どうして咄嗟に彼の顔が浮かんだのだろう? と不可解極まりない頭の中を整理する。
――変だ、僕はグレンのことを嫌いだったはず。あ、違う、アルファが嫌いなだけだ……。
グレンのことは嫌いじゃないという事実に辿り着き、馬鹿だったなと思う。初めから自分だって宣言していたことだ。
グレンが嫌いなのではなく〝アルファ〟だから嫌なのだと、彼にそう言い放った言葉を思い出し、何だか急に打ちのめされた気分になった。
だったら、一緒に居る時間が長くなればなるほど、彼に心を奪われてしまうのは時間の問題だ。だって〝顔が好み〟なのだから……。
「ハァ……、僕は馬鹿だな……」
うっかり出てしまった独り言を聞かれて、「おっと、自虐めいたセリフなんてオメガらしいな」と、ルイードがくすくす笑う。
彼を睨みながら、それはそうでしょうね、とキャリーは口元を歪めた。
「アルファは、良いですよね。自分達に出来ない事はないと思っているでしょう?」
「そうでもないぞ? 仕事はどうとでもなるが、人の心は難しいからな」
キャリーの僻み丸出しの発言に失笑するでもなく、ちゃんと受け答えするルイードに驚くが、そんなことより、意外な言葉を聞いてもっと驚いた。
他人の心なんて、アルファからしてみれば、それこそどうでもいいと思ってそうなのに……、とキャリーの中で何かがカタンと傾いた。
一方的に持っていた偏見、そういった価値観が本棚の隅にある本のように、不意に倒れたような感覚だった。
「君にハーレムは刺激が強いようだから、あちらへ行こうか」
そう言って笑みを浮かべたルイードは反対側の道へと進む。その先にあったのは礼拝堂だった。
美しい壁画も当然ながら、灯りなど点けなくてもキラキラと眩しいシャンデリアに見惚れて上を向いていると、くらりと体勢が崩れた。
「危ない!」
「あ、あ……、ありがとう」
シャザが咄嗟に支えてくれて良かった。大理石の床に倒れたら、激痛を伴う打撲に苦しむところだった。
気を付けて、と彼に注意をされていると、複雑な表情でルイードがこちらを見ているのが目に留まる。けれど、何かを言うでもなく、彼は目線を逸らすと礼拝堂の説明をしてくれた。
今から数千年前、この地は当時バビロニアの王だったケントゥスの妹ルムランが、兄との婚儀を逃れるために建てた宮殿だという。
「……兄との婚儀ですか?」
「ああ、昔は近親婚が多かったからな」
「そうなんですか……」
そういえば、属性の発祥した土地はバビロニアからだと聞いたことがある。近親婚のせいで両性具有を保有する者が増え、特殊な誘惑香を放つようになったとか。
歴史の授業で少しかじった程度だから、あまり詳しくはないけど、その貴重な歴史に触れられてキャリーの気分が上昇した。
「最初に発症したオメガは王女の奴隷だったらしいよ」
シャザが壁画を見つめながら教えてくれる。礼拝堂の光が彼の顔をなでるように降り注ぐのを見つめながら話の続きを待った。
「奴隷のオメガが放つ誘惑香を使い、数多くの追随者や愛人を確保したとか……」
どうやら昔からオメガは冷遇か利用しかされていなかったのだと知り、少しだけ寂しい気分になる。
「さて、そろそろ休憩でもしないか? グレンの幼い頃の写真も見たいだろ?」
ルイードの何とも魅惑的な言葉に飛び付きそうになるのを抑えつつ、「はい」とだけ返事した。
礼拝堂を出て応接間へと移動する際、前を歩くルイードがシャザに中東の言葉で何かを言った。
当然、キャリーには二人のやりとりは分からないけれど、シャザが若干ぎこちない雰囲気に変わったことだけは分かった。
不意に、「何を言ったか気になるか?」とルイードに聞かれた。
「いいえ、仕事の話は僕が聞いても」
「キャリーがいて仕事の話などするわけがないだろう?」
そうなのかな、とシャザの顔を覗き込めば、ざっと彼が後ずさった。その反応を察するに、何かよくない話をしていたのだと感じた。
「じゃあ、僕の悪口ですね?」
キャリーはにっこり微笑みながら言い返したが、ルイードは驚いた顔をした。
どうしてそう思ったのかと問い詰められて、自分の中にある被害妄想と向き合う。そうだった。この人達は自分の兄とは違うのだ。
こちらを見てニヤニヤしながら話をしたからと言って、蔑むような会話をするわけじゃない。
キャリーは咄嗟に、「ごめんなさい」と謝り、自分の周りにはオメガを揶揄うような人間しかいないから、と下唇をぎゅっと噛んだ。
「なるほどな、大都会では人間関係も複雑そうだな、シャザ応接室へ案内してやってくれ」
ルイードはそれだけ言うと、一旦席を外した。
シャザがさり気無くエスコートをしながら、中東の言葉で話をしたことを謝罪してくる。
「ごめん、兄さんが誤解を招く態度を取ったみたいで……」
「あ、ううん、違う。僕の被害妄想が激しくてごめんなさい」
キャリーが今まで家庭でどれだけ嫌な思いをしてきたからと言って、彼達には関係のないことだし、言ったところで惨めになる。
それに、自分もいい加減に家族のことをいちいち思い出して、アルファはどうせこうなのだと比べることにうんざりしていた。
色々なことを振り切るかのようにキャリーは、「ね、さっきは何を話してたの?」と彼に聞いた。
うっ、と言葉を詰まらせて言い淀むシャザを見て、あれ、やっぱり悪口だった? と思い直していると、彼が頬を赤らめた。
「兄が、あなたが結婚しても、愛人枠があるというから……、けど、私はグレンが聞いたら怒るからやめてくれと……」
「へ……、愛人?」
なるほど、だからあんなに狼狽えていたのだと、納得したキャリーだったが、グレンが『契約結婚だとしても不義理はしないつもりだ』と言っていたことを思い出した。
グレンが浮気しないって言ってるのに出来るわけがないし、大体、そんな度胸がキャリーにあるわけがない。
いや、そもそも、結婚しないんだから……、と脳内を整理したキャリーは素直に自分の気持ちを伝えた。
「実は、僕、まだ決めてないんです」
「え、決めてないって……、愛人……?」
ああ、話の流れ的にそうなってしまうのは当然だと思ったキャリーは、慌てて頭を横へ振る。
実は滞在期間中にグレンと結婚してもいいと思えたら、結婚するという約束をしただけという話をシャザにした。
「そ、そうなんだ――」
彼はキャリーとグレンの事情を聞くと、深く息を吸い込んだ。
急に彼の視線が熱を帯びてくるのを感じる。妙な緊張感が漂った時、彼の唇が動いた。
「もし、キャリーがグレンと結婚しないと決めたら……、その時は私のことを考えてくれる?」
彼からの提案にキャリーは固まった――。




