07.適当に楽しめばいい
広い部屋に取り残されたキャリーは、リビングに広がる大きなガラス窓へと近付いた。
ガラスにふと自分の姿が反射する。正直、自分の容姿が好きではないため、思わず目を背けそうになった。
頭が軽そうに見える金髪の髪、男らしくもない顔に、逞しくもない身体、アイスブルーの瞳だけは祖母譲りなので気に入っているが、その他は全てが難癖をつけたいほど嫌いだ。
なるべく自分の姿を見ないように、キャリーは中庭へと視線を向ける。
――まるで中世の世界に紛れ込んだみたいだ……。
大きな噴水の周りに咲き誇る花々は、温かい国ならではの鮮やかな色を発色させ、それこそ神秘の女神が舞い降りてきてもおかしくないほどに美しい。この景色を見に来れただけでも価値のあることに思えた――。
その後、グレンが言っていたように夕食が運ばれてきた。
東館と呼ばれるところに厨房があり、そこには専用のシェフが数人いるらしく、何でも好きな物を頼んでいいと食事を運んで来たスタッフが教えてくれる。
「では、何か欲しい物がございましたら、二十一時までにご連絡下さい」
高級ホテルみたいな対応をする使用人を見送ったあと、運ばれてきた料理を眺める。料理も一級品と呼べる食材が使われているのは一目瞭然で、しかもキャリーが好きな物ばかりだ。
これを見る限り、グレンが何度も言っていたように、自分が望むことは全て叶えてくれるのだろう。
だけど、それと引き換えに、愛のない生活を送ることにもなる。それが幸せなことなんだろうか? 好きでもない相手と、ビジネスがうまく行くならそれでいいと結婚するグレンの気持ちがキャリーには、さっぱり分からないし、分かりたくもなかった。
――どちらにせよ、僕はこの夏休み期間、適当に楽しめばいいんだ。
そう、それだけのことだと気持ちを切り替え、美味しい料理を堪能することにした。
食事を終えたあと、今日は疲れたことだし、シャワーを浴びて早く寝ようと考える。一応グレンに連絡だけはしておいた方がいいと思ったキャリーは、簡単なメッセージを送った。
寝室だと言われた部屋へ入ると、本当にベッドしかない部屋で、パッと見て分かるほど使った形跡のないマットへ身体を沈めた途端、キャリーはあっと言う間に睡魔に襲われた――。
「ん……」
いつの間に眠ったのか覚えがないけど、どちらにしろ休みだ。慌てて起きることもないと思ったキャリーは寝返りを打つ。
ふと顎下にもぞもぞ動く毛むくじゃらを感じて、ああ、愛犬のドリューだと認識した。
まったく、いつの間にベッドにもぐりこんだのか、「困った子だなぁ……」と、なめらかな毛ざわりを堪能する。こんなに滑らかな毛だったかな? ちょっと変だなと思うが、まあ、些細なことだ、気にする必要ない。
「ドリュー……大人しくしてて」
「くすっ……」
いやに色気のある吐息が聞こえて、首筋に熱く柔らかいものが触れる。ドリュー? と思って身体をなでるが、何となく全体的に硬い。
――あれ、ちょっと待って、ここにドリューがいるはずが……
よくよく考えれば、愛犬がいるわけがないのだと目を開けた瞬間、黒曜石の瞳が自分の視界を覆い尽くしていた。
「まさか、こんなにも熱い抱擁で起こされるとは思ってもみなかった」
はっ? えっ? と驚いて言葉も出ない自分を見つめるグレンが、乱れた髪のまま目を細め、「明日はもう少し色っぽく起こしてくれ」と言う。
何事もなかったかのように上半身裸のグレンがベッドから起き上がると、近くにあったガウンを手に取った。
「Mr・グレン、どうして一緒に……」
「俺の寝室で、『どうして』という質問が出るとは思ってなかったな」
彼の言葉を聞き、寝室……、グレンの……、と頭の中で整理する。
確かに、ここはグレンの部屋なのだから、彼が寝るのは当然だけど、キャリーがここで寝てるのなら、彼は他の場所で寝ればいいのでは? と思う。
いや、それは流石に横着な話かも知れない。え、でも自分だったら……、と全く正解に辿り着けない。
まだ起きたばかりの頭でいくら考えても無駄だと思ったキャリーは、取りあえず身体を起こした。
「朝食を食べるならクロワッサンを焼いてもらうが、どうする?」
「食べます……」
常に主導権があちらにあるのが癪に障るけど、ここは彼の家なのだから仕方がないと諦める。
先に部屋を出た彼のあとを追うように少し遅れて寝室を出たキャリーは、洗面台から出て来る彼を見つめた。
起き抜けのボサボサの髪が一瞬で整っていて、ちょっと残念に思う。
――可愛かったのに……。
「は?」
思わず声を出してしまった。
グレンを可愛いと思うなんて、どうかしてるし、たった一日で彼に気を許してしまった気分にさせられて、自分を殴りたい衝動に駆られる。
ぶるぶると頭を振り、ちゃんと見て、ほら、いつものグレンだよ、と目を見開いて彼を見る。
「どうした? ベッドに戻りたいならいつでも言ってくれ、俺からは手を出す気はないが、どうしてもと言うなら相手に――」
「結構です!」
ああ、ほらね、あれが本来あるべきグレンだ。可愛いところなんてひとつもない俺様な彼を見て、逆に安心したキャリーは洗面台へ向かうと顔を洗った。
リビングで寛ぐグレンを横目に、ダイニングテーブルに置かれた朝食を見つめる。
「美味しそう……」
焼きたてのクロワッサンからコクのあるバターの香りが漂ってくる。
「他に欲しいものは?」
いつの間にかキャリーの真後ろに立っているグレンに驚き、びくっと身体が震える。背後から支配力たっぷりの声が降り注ぎ、「ほら座って」と促される。
こんな些細なことにもアルファの支配下にあるのだと痛感してしまうのは、キャリーの卑屈すぎる性格のせいかもしれない。
無言で椅子に座り、グレンが注ぐコーヒーを見つめる。彼の言葉の端々に支配力は感じるものの、細やかな配慮も含まれていて少し意外に思う。
――あの家に居た頃、こんな風に自分を気遣ってくれた人がいただろうか…… いや、あの人達は全員に対して無関心だった。
無関心だけならそれで良かった。祖母の家に逃げ込んだ決定打は、二つ上の兄のイアンから向けられる虫けらを見るような目に耐えられなくなったからだ――。
忘れもしないあの日、学校から帰ってきた直後、急に発情状態に陥った。理由は最新の抑制剤リングの誤作動で、体内に流れるはずの薬が流れなかったせいだった。
慌てて部屋に駆け込み、すぐに即効性の薬を飲み、症状が収まるまで部屋でぐっと堪えていると、どういうわけか兄のイアンが部屋を訪ねてきた。
廊下に放り出したままの鞄を兄が拾い、キャリーの部屋へ持って来たのだ。いつもならそんな行動をとるはずもないのに、何の気まぐれなのか部屋にやってきた兄は、部屋に充満する香りを察知した途端、深く眉間にシワを作り、吐き捨てるように言った。
『はっ、一丁前に発情期か、さっさと処理しろよ……』
鼻をつまみ、まるで汚物でも見るかのような目を向けられた。
ショックと言うより、まるでゴミにでもなったような気分にさせられて、二度とあんな目で見られたくないと思った。
大学に受かったと同時に家を出て、祖母と住むようになり、家族のことも必要最低限の集まりに参加する程度になった。
そのおかげでキャリーは自分のことを嫌いにならなくて済んでいる。あのまま実家にいたら、また汚物を見るような目で見られ、自尊心は地面にゴロゴロと転がり、自分のことを許せないほど嫌いになっていたと思う。
アルファと一緒に住んでいるだけで卑屈になっていく自分を何とか立ち直らせてきたのだ、今更、アルファと一緒に生活なんて……、と過去の出来事を振り払おうと顔を上げた時だった。グレンの大きな手がキャリーに迫ってくる。
「な、なに?」
「熱でもあるのか」
自分の体温より温かい手がキャリーを心配するかのように、額にピタッと当てられて言葉を失った。
早く、何か言わなきゃいけないと思うのに、なかなか言葉が出てこない。
「熱はなさそうだな」
キャリーの顔をじっと見つめ、その視線がゆっくりと様々な場所へ動く。その意味ありげな目線に頬がカッと熱くなり、「Mr・グレン、僕はあなたの弟ではありません」と嫌味を混ぜて抗議した。
一瞬、綻んでいた彼の顔に陰りが生まれ、「確かにな」と言ってキャリーの額から手を放した。
彼の小さな溜息に、ちくりと胸に何かが刺さったが、何事もなかったかのように朝食に手を伸ばした。
「ところで、そのMr・グレンと呼ぶのをいい加減やめないか」
「だけど、敬称なしで呼ぶのは……」
「問題ない」
そんなことを言うが、彼は次期国王になる人だ。敬称なしにグレンなどと気安く呼んでいいはずがない。
キャリーが困っていることに気が付いたのか、彼は何かを思いついたような顔で言葉を続ける。
「では、こうしよう。グレンと名を呼べるまで、君をキャッシーと呼ぶ」
「は、はぁ? ど、どうして……」
「CMではそう呼ばれていただろう?」
くくっ、と肩を揺らす彼が面白がっているのは誰が見たって分かることだ。
キャリーがあのCMを黒歴史だと思っていることを逆手に取るなんて、どれだけ意地が悪いんだろう。
しかも、グレンですらあのCMを見たことがあるのだと思うと妙に恥ずかしい気分だった。
「わ、分かりました……、では今後はグレンと呼ばせて頂きます!」
キャリーはこれ以上、自分の黒歴史の傷を広げたくなかったこともあり、仕方なくグレンの要望を飲んだ――――。




