06.サルスジャミン諸王国
あんぐり口を開けたまま、キャリーは宮殿の前で固まる。ネット上に上がっている写真で見る建物と、実際に見るのとでは迫力が全然違った。
グレンの提案に乗り、夏休み期間を利用して王国へ来たものの、自分が住んでいる都市の景色との違いに驚くばかりだ。
「こちらに」
グレンに呼ばれて門をくぐる。その瞬間、次々に現れる美しい造形にキャリーは目を丸くした。
以前、食事にドバイに連れて行ってもらった時に見た夜景より、こっちのほうが数倍も綺麗だと思う。
端から端まで視線を泳がせながら、まるで美術館にでも来たかのような建物を堪能していると、目の前に長身の女性が現れ、「キャリーね」と確認の声を出した。
隣にいるグレンから母親だと小声で教えられ、ごくんと唾を呑み込んだ。
身長は自分と同じくらいの170センチ前後で、スラリとした体型に見合う豪奢な模様の入ったスリットドレスを着た女性は、こちらへ歩みを進めながら、赤色の口紅が塗られている唇を動かした。
「あなたが幼い頃に会ったことがあるのよ」
「そうなんですか、すみません覚えてなくて」
彼女は握手を求めるように手を出し、「ローラよ」と名を名乗った。
「Ms.ローラ、しばらくお世話になります」
「何か不自由があれば、彼に何でも言えばいいわ、ああ、もちろん私に言ってくれてもいいのよ」
そう言って彼女は微笑む。自分の息子を『彼』なんて他人行儀な呼び方をする感覚は、自分の家族とまるで一緒だったけど、彼女の場合は特に〝他人〟を連想させた。
ちらりとグレンを覗き見ても、平然としているし、彼にとってもこれが日常なのだと思った。
――アルファが主軸の家庭は、結局どこも一緒なのかも……。
血など通ってないかのような、そんな家族のありかたを見て、キャリーは寂しくないのかなと思った。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するわ。ここにいる間は自分の家だと思って寛いで頂戴」
「ありがとうございます」
こちらの返事に微笑むと、ローラは身を翻し、宮殿の奥へ去って行った。
無事に挨拶を終えてほっとしていると、さっきまでキャリーの傍に居たはずのグレンが、数十歩先の廊下で黒服を着た男性と話をしているのが視界に入る。
相手が恭しく腰を曲げているのを見る限り、使用人なのだろう。彼の立場を考えれば簡単に想像がつくことだけど、実際にこうしてみると次期国王になるだけの威風を感じた。
話が終わったのか、こちらへと戻って来たグレンは、「弟を紹介しよう」と言う。
「弟さんがいるとは知りませんでした」
片眉をぴくりと動かした彼は、「俺に興味がない証拠だな」と笑う。
確かにそうかもしれないけど、仮にも結婚しようと思っている相手なら、事前に家族構成くらい教えてくれてもいいじゃないかと、キャリーは不貞腐れた。
「弟は双子だが、一人は結婚してフランスに住んでいる。もう一人は病弱だから簡単な自己紹介だけになるが……」
急に言葉尻が弱くなったのを聞き、キャリーは不思議に思った。
気弱な彼を見ることなどないと思っていたし、しかもその原因が弟だということが信じられなかった。
なぜならキャリーの兄はもし自分が病弱でも、今のグレンのような顔は見せないからだ。どういうわけか、モヤモヤとした気分にさせられて、グレンの弟に会うことに躊躇いの気持ちが湧いた。
彼に案内されるがまま部屋へ向かう。扉前には厳重なセキュリティが施されており、扉付近にあるインターフォンを押すと、声変わりもしてない少年のような声の主が応答した。
扉は自動ドアのようで、中から施錠が外れるような仕様になっており、オリエンタルな建物に近代要素があることに少し驚いた。
「いらっしゃい」
そう言って出迎えてくれた人物は、オリーブブラウンの髪色と瞳を持ち、オメガだと一瞬で分かる甘ったるい雰囲気を漂わせていた。
彼は右側の髪をくしゃっと掴むと、はにかむように、「わぁ、キャリー……天使」と言うけれど、そちらの方が天使ですよ、と言いたくなった。
本当にグレンの弟なの? と疑うレベルで可愛らしくて驚いてしまう。初対面なのに守ってあげたいと思えるなんて、これが生粋のオメガなのだと思った。
元々、オメガとアルファの発祥地はこの中東からと言われているし、だから彼のようなオメガはこの土地なら他にも多くいるのだろう。
「はじめまして僕はフェルナンド、君より五歳年上かな」
「え⁉ それ本当ですか?」
同じ歳くらいかと思っていた自分は衝撃を受けた。しかも彼はキャリーが昔CMに出ていたことを知っているようで、その話題に触れた。
「僕、君のCM見た時、あまりの可愛らしさに画面に釘付けになったよ。男の子だって知って二度びっくりしたけどね」
「うっ、それ黒歴史です……」
キャリーの反応を見たフェルナンドは、そうなんだ? とくすくす笑う。
幼い頃、母の知り合いの広告代理店がどうしてもと言うから引き受けたCMで、人形の玩具で遊ぶというシーンを撮らされた。
しかも、そのCMでは女の子の格好をさせられていたので、ハイスクールで散々弄られたし、出来ればお蔵入りして欲しいのに、特番でたまに昔のCMの話題が出て流されたりする。
――いつか権限を買い取ってやるんだ。
虚しい野望を胸に秘めつつ、彼と雑談していると、その目元がじわじわと赤みを帯びていくのが分かった。
熱を発しているような気がして、大丈夫ですか? と声をかけようとしたが、グレンもそう思ったのか、「熱は」とフェルナンドに聞いた。
「ないと思う……」
ちょっと不貞腐れたように彼が口を尖らせると、グレンから深い溜息がこぼれた。
「もう休んだ方がいいな」
そう言ったと同時に、フェルナンドを抱き抱えて奥の部屋へと連れて行った。信じられないほどの過保護っぷりに、キャリーは呆然とした。
しばらくしてグレンが戻って来ると、フェルナンドの具合が悪いから今日はここまでだと説明されて、当然だがうなずいた。
病人なんだから休ませるのは当たり前だ。それなのに、なぜか優しい気持ちになれないでいる。その理由は兄であるグレンに大切にされている彼を羨ましいと思ってしまったからだ。
――僕は心配されたことなんか一度もない……。
子供の頃キャリーが交通事故に巻き込まれて入院したことがあったが、自分の兄達は一度だってお見舞いに来なかった。
こんな些細なことで、フェルナンドを羨ましがり、僻んだりするなんて子供だなと自己嫌悪に陥りながら、グレンのあとを追うように部屋を出た。
渡り廊下から見える吹き抜けを眺めていると、先を歩くグレンが弟の病気が免疫不全症候群であり、Ω細胞疾患を患っていると教えてくれた。
なんだか難しい病名を聞き、よく分からないキャリーは眉を寄せながら、「その病気は治らないのでしょうか?」と聞いた。
「ああ、治らない。だから少々の熱でも命に関わるほど重大なんだ」
熱が出るだけで命に関わる病気を患っていると聞き、先ほど抱いた僻んだ気持ちを消してしまいたいと思った。
妙な自責の念に囚われている間に、彼と距離が離れてしまい、慌てて歩みを早める。
他に選択肢がないから彼のあとを着いて行くけど、先ほどいた場所から随分と歩いている気がして、「何処へ行くのですか?」とキャリーは尋ねた。
「俺の部屋だ」
躊躇なく言われて、内心どきりとした。グレンの部屋に何しに行くのだろう? とキャリーが考え込んでいると、それが伝わったのか。
流れるように向けられた視線と同時に、「一緒に生活する約束だろう?」と言われ、その言葉を理解するのに少し時間がかかった。
「一緒って、そういう意味だったんですか?」
「当たり前だ、生活をしてみないことには、お互いのことが分からないだろ」
一緒に暮らす提案を受けたけど、寝泊まりは別だと思っていたキャリーは急に怖気づく。それを悟ったのかグレンは、耳をくすぐるような吐息をもらし、「手を出される心配か?」と目を細め、こちらを見据えてくる。
言われた途端、キャリーは全身がカッと熱くなった。確かにその心配をしていたのは事実なので、なんだか丸裸にされた気分になり、つい感情的な返事をした。
「そんな心配してません!」
「それなら良かった。俺も期待に応えてやれる自信がないからな」
期待なんてこれっぽっちもしてないし、なんなら経験もないのに、どう期待すればいいのか教えてもらいたいくらいだ。
若干おかしな方向にキレていることに気が付きながらも、初めての相手が彼になる可能性を想像して体温が上昇した。
彼の歩みが止まると、見るからにゴージャスな一角に到着する。宮殿の中に専用の玄関ポーチまであるなんて……、と豪華な玄関に唖然としていると、どこから入るのか分からない扉の前で、グレンが壁にあるセンサーにタッチした。
自動ドアが開き、促されるようにキャリーは中へと入る。
「なんだか無駄に広い気が……」
リビングの広さが尋常ではなく、猛獣を二匹飼っても余りそうな空間が広がっている。
「俺も、どうしてこんなに広いのかと疑問に思っている」
真顔でそんなことを言う彼に笑いを誘われそうになり、必死で平静を装った。
グレンがリビングを見回しながら、「要望があれば何でも取り寄せよう」と言ってくれたが、寛ぎやすい空間があれば、それだけで十分だったため、キャリーは軽く頭を振った。
「寝室はそっちだ。その隣は書斎になってる、入っても構わないが荒らさないように、それから食事は後で運ばせる。俺は少し母と話をして仕事をするから好きな時に寝るといい」
諸々の説明をしたグレンは部屋を出ていった――。




