04.何が不満だ
「わ……」
「どうだ、なかなかいい場所だろう?」
宝石を鏤めたかのように美しい夜景を目の前に、まるで乙女のように瞳を輝かせている自分に、ハッとしたキャリーは、「別に……」と口を尖らせた。
「美しい物は素直に美しいと認めた方がいいと思うが?」
そんなのは言うまでもないことで、誰が見たって、この夜景は美しいに決まっている。そもそも、どうしてこんな事になったのだろう。
夜景の美しい最高級フレンチレストラン、そこまではいいけど。
――いや、よくない!
だってここは世界の富裕層が集まる金融国〝ドバイ〟だ。
いきなり家に来たかと思えば、拉致同然で車に押し込まれ、空港に辿り着くと同時に自家用ジェット機に乗せられ、「さあ、食事に行こう」と言われて現在に至る。
「Mr・グレン、どういう心算なんでしょう?」
「食事に誘っただけで、心算も何もないだろ。君は友人と食事もしない人間なのか?」
「僕達、友達じゃありません」
ン? と片方の眉を上げたグレンが、「そうだった、婚約者だったな」と皮肉っぽく笑う。
ああ、頭が痛い、やだやだ、これだからアルファは嫌いなんだ……、とキャリーは睨みつけた。
「そもそも、君の要望は何でも聞くと言っているのに、何が不満だ」
「Mr・グレンがアルファだからです」
「つまり、俺がアルファでなければいいのか?」
「そうですね」
本当にそうなのだろうか? と自分で返事をしておきながら、何だか違う気がしてくる。
「では、流行りの属性転換でもするか」
「属性転換なんて、別に、そこまでしなくても……」
流石に、属性転換なんて大がかりなことはして欲しくないし、そもそも、この人が違う属性になった日には、キャリーは罪悪感から一生抜け出せなくなる。
「君はアルファが嫌なんだろう? 俺ではなく〝アルファ〟が嫌いと言った」
そうやって揚げ足を取るところが嫌いなんです! と目に力を入れて睨めば、彼の顔が優しい顔つきになる。
グレンは小さな子を宥めるかのように、「まあ、取りあえず」と言葉を区切り、一呼吸置いたあと話を続ける。
「もうすぐ夏休みだろう? その期間中、しばらく一緒に暮らしてみるのはどうだろうか?」
突拍子もない提案を持ちかけられたが、そんな話に心を動かす気にはなれないキャリーは、断りの言葉を発しようとした時、彼の宥めるような声色が続いた。
「それで、どうしても嫌だと思うのなら俺も諦めよう」
「一緒に暮らすって、サルスジャミン諸王国?」
こくりと彼がうなずく。確かにお互い知らないことだらけだし、キャリーが一方的に毛嫌いをしているのも事実だ。
けれど、グレンと一緒にいると自分は平常ではいられなくなることが多い。その理由を知るのが嫌だし、万が一という考えが頭に浮かび、これは絶対に断るべきだと自分の気持ちが固まった時だった。
「嫌なのか?」
キャリーは思わず絶句した。極上のアルファが眉を下げて、待てを強いられた犬のように返事を待っている。
「どうしても嫌?」
あの傲慢なアルファから放たれたとは思えない従順な言葉に、キャリーは胸の奥の大事な部分をくすぐられている気分になる。
今まで見てきた彼とは全然違う態度を見て、「いい……です……けど」と、キャリーが答えた瞬間、勝ち誇った顔をしたグレンが、「決まりだな」と言う。
――あぁ……、騙された!
あの口角を上げて、鼻先で笑う顔を見れば分かる。あんな演技に騙されるなんて何て自分は馬鹿なんだろう。
悔しい、本当に悔しい! と一人で地団駄を踏んでいると、グレンがデザートを頼んだ。
「苺ケーキ、好きなんだろう?」
「はい……」
キャリーが好きな苺のケーキを頼むグレンを見つめながら、大きなため息が出る。
自分に関するどれだけの情報が、祖母からグレンへと流れ出ているのかと考えて、ぞっとすると同時に何もかもが気に入らなかった。
――悔しい、何か悔しい!
そもそも、彼はフロベール製鉄会社との繋がりを望んでいるだけで、キャリーが好きなわけではないのだ。だから、そのことを指摘した。
「フロベール社と繋がりが持ちたいなら、別にうちの兄とかでも良くないですか?」
「アルファを抱く趣味は無い、本来なら男を抱く趣味もないのだが」
にべもなく言われてキャリーは思わず顔がひきつりそうになる。
「だ、抱くって……」
「当然だろう、結婚をするんだから、そもそも、アルファでは子孫が残せないだろう」
涼しい顔をして性交渉の話をするグレンに向かってキャリーは、「そ、そんなの他で済ませればいい」と拒絶反応を示せば、「なるほど?」と彼が目を細める。
「浮気を促す妻というのも、なかなか珍しいな」
先程とはうって変わって厳しい目で睨まれて、キャリーは顔面が凍り付きそうになる。
小馬鹿にした態度を見せてくれた方が、ずっとマシに思えるほど、彼の怒った顔は精神的によくないと思えた。
確かにオメガに〝浮気しろ〟なんて言われて、はいそうですかと指示に従うなどアルファのプライドが傷つくことだ。
彼が怒ったのも仕方がないことだと自分の言動を反省していると、美麗な眉を微かに動かし、「ビジネス結婚だとしても不義理はしないつもりだ」と言う。
「それに、子供でも出来た場合、その子は将来権力を持つことが決まってる」
あーなるほど、とキャリーは納得する。
けれど、彼だって今まで付き合ってきた恋人くらいいるわけで、もしかしたら知らない間に子供がいる可能性もある。
キャリーがグレンについてあれこれ想像を膨らませていると、「君は分かりやすくていいな」と笑う。
「今までに遊びで付き合った相手のことなら心配いらない」
ぴしゃりと言い放たれて、またもや顔がひきつりそうになる。
「付き合う時に契約をするし、別れるときには強制的だが我が国の身体検査も受ける」
まるで犯罪者を扱うかのように彼は言う。曲がりなりにも恋人の役割をしてきた相手にそんな扱いをしてきたのかと思うと、その相手に同情してしまうと同時に、グレンに対して軽蔑に似た感情が湧いた。
「俺は自分の立場を弁えているつもりだ」
まるで自分の父親を見ているみたいだった。権力のある人間が、無力な人間を道具のように扱うような感じがそっくりで、何故かそれがショックだった。
彼の言っていることは理解出来るけど、あまりにも血の通ってない言い方にキャリーは、「僕は好きな相手と結婚したいです」ときっぱり言った。
「つまり、俺が嫌いだと? だから結婚したくないと言っているわけだな」
「そうです」
普通はそうじゃないのだろうか、好きな相手と結婚するのが大半のはずだ。
グレンはテーブルのデザートへ目を移したあと、こちらを見据え、柔らかく口元をほぐす。
「で、君には好きな相手がいると?」
「い、今は、いないけど……、あ、明日、好きな人が現れるかもしれない」
ふっと表情を緩めた彼は、「あまり俺の神経を逆なでしないように」と、こちらへ手を伸ばしてくる。
何をされるのか分からなくて、その手から逃れようと顎を引けば、追って来た長い指がツイっとキャリーの顎を上へと向ける。
「生意気なのは嫌いじゃないが度を超すな」
グレンはじっと見つめ、「とにかく結婚してもらえるよう努力はするつもりだ。君も少しは譲歩することを覚えるように」と言う。
熱い眼差しで、こちらを見つめる黒曜石の瞳は、もしかすると人を暗示にかける力があるのかもしれないとキャリーは疑う。
そうでなければ、平常を保っていた心臓がこんなにもバクバクと跳ねるわけないのだから――――。




