4. 昔と今
昨日のアルフレッドの甘い告白から一夜明けたが、セシルは一睡もできずに朝を迎えた。
眠気を隠しながら気まずそうに執務室へ向かう。
(昨晩のことがあって、どんな顔をして一緒に仕事したらいいの…?)
セシルが執務室に入るとアルフレッドがすでに仕事をしていた。
「セシル、おはよう。よく眠れた?」
「ええ…おはよう…ございます。アルフレッド様」
アルフレッドは微笑んで挨拶を交わし、すぐに仕事に戻った。
(えっ…?なんでアルフレッドは普通にできるの?なんか私ばかり意識してしまって…)
あまりにも仕事に集中しているアルフレッドに思わずセシルは恥ずかしくなった。
あっさりした会話に思わず、呆気にとられたセシルだがすぐに気持ちを切り替えて自席について翻訳作業を始めた。
しばらく作業を続けていると、どうしても確認したい単語が出てきた。辞書を探そうと顔を上げた瞬間、ふいにアルフレッドと目が合ってしまった。
「あ…、アルフレッド様、辞書をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、後ろの本棚にあるはずだよ」
彼の言葉に従って席を立ち、本棚を見上げる。目的の辞書を見つけたものの、それは一番上の段に収まっていた。 背伸びをして手を伸ばすが、あともう少しのところで指先をかすめ、届かない。踏み台を探そうと振り返ろうとしたその時、背後からすっと伸びてきた長い腕が辞書を抜き取った。
「僕に言ってくれたら良いのに」
アルフレッドが、呆れたような、けれどどこか楽しげな声で言った。 包み込まれるような密着感にハッとして振り向くと、すぐ後ろに彼が立っていた。
突然自分の背後にアルフレッドがいたのでセシルはびっくりしてしまった。
「えっ……あ、こんなことでアルにお願いするのも申し訳なくて……ありがとう」
至近距離にアルフレッドがいたことでセシルの胸が跳ねる。 辞書を受け取り、逃げるように自席へ戻ったものの、もう作業どころではなかった。
(アルってあんなに背が高かったっけ…?)
セシルは思い出の中の幼い少年と今の彼とのギャップに混乱し、少しずつ彼を意識し始めた。
◇
それからの日々、仕事に真摯に向き合う彼の姿や、ふとした時に見せる大人びた仕草に、セシルの心は知らず知らずのうちに惹きつけられていった。
昔の彼は大切な友人として『好き』だった。けれど――
(……私、今のアルのこと、一人の男性として好きなのかなぁ……)
仕事の合間のお茶の時間、カップを傾ける彼を見つめながら、セシルは自分の胸の深鳴りを自覚するのだった。
ふと、アルフレッドがカップを置き、優しく微笑みかけてくる。
「今週末、街の方の仕立て屋に行かないか…?今度夜会があるんだけれど、その衣装を仕立てたくて…それと君に街の案内もしたいんだ」
アルフレッドはどこか伺うような瞳でセシルの反応を待っている。 着任してから屋敷に籠もりきりだったセシルは、彼の提案にパッと顔を輝かせた。
「ぜひ街を散策してみたいです。……連れて行ってくださいますか?」
セシルは、はにかみながら答えると、アルフレッドの表情が一気に明るくなり、隠しきれないワクワクとした高揚感を漂わせた。
◇
デート当日。セシルはアルフレッドから贈られたドレスとジュエリーを身に纏い、彼とともに馬車で街へ繰り出した。
賑やかな街並みに到着すると、まずはアルフレッドが幼少期から贔屓にしているという仕立て屋へ向かう。
「まあーー!アルフレッド坊ちゃま!ようこそいらっしゃいました!本日はどんな衣装をご所望で……!あらっ!こちらの方は…まさか…♡」
店に入るやいなや、華やかな装いの貴婦人がテンション高く出迎えてくれた。その迫力にセシルが少し圧倒されていると、アルフレッドが誇らしげに胸を張る。
「こちらは私の婚約者のセシル・オルコット伯爵令嬢です。王都から来ていただいて、今は僕の屋敷に滞在してもらっています」
その言葉と同時に、店内にどっと祝福の歓声が上がった。長年彼を知る従業員たちが、口々に彼の婚約を心から祝福している。
「まあ♡おめでとうございます!ということは本日はお二人のご衣装の仕立てでしょうか?」
「ああ、今度夜会で着ていく衣装を仕立ててほしくて…セシルと僕と…夫婦に見えるような衣装にしてほしい」
「アル…!もう贈り物でたくさんドレスを頂いたから大丈夫よ…」
慌てて小声で辞退しようとするセシルに、アルフレッドは逃がさないように腰へ手を回し、耳元で甘く囁いた。
「君とお揃いの衣装にしたいんだ…夜会で余計な虫が近寄らないためにね…」
至近距離での吐息混じりの言葉にセシルの心臓が跳ね上がり、「わかったわ…」と真っ赤になって頷くしかなかった。
「では寸法を測りましょう! 奥様、こちらへどうぞ!」
奥へ案内され、手際よく採寸が進められていく。
「まあ!! なんて美しく豊かなバストでしょう! 奥様の魅力を最大限に引き出す最高の一着に仕立てますわね!」
興奮気味の店主にそう褒められ、セシルは気まずそうに恥ずかしくなってしまった。 ふとアルフレッドの方へ目を向けると、彼は若い女性従業員と楽しそうに談笑しながら採寸を受けていた。
その光景を見た瞬間、セシルの胸がズキリと重く痛む。
(ここはアルが昔から通っている場所だもの…私よりずっと前から彼を知っていて、仲がいいのも当たり前よね…)
湧き上がる自分の苦い感情を誤魔化すように、セシルは店内に置かれている衣装用の生地を見ることにした。繊細なレースに可憐な花々が散りばめられた生地を見つけると、セシルは心躍った。
(わぁ…この生地をドレスに使ったらとっても素敵だわ…!)
「やっぱり、セシルはこういうのが好きだよね。僕も好きだろうと思った。ぜひ今回のドレスに使おう」
不意にすぐ隣から声がして振り返ると、アルフレッドの顔がすぐそばまであり、セシルは思わず「ひゃぁ…!」と小さな甘い悲鳴が漏れ出す。アルフレッドは愛おしさに目を細めながら、セシルの反応を楽しんでいた。
「ア...アルも気に入ってくれたなら…お揃いで着れるなんて、すごく嬉しいわ」
思わず口から零れた本音に、アルフレッドの瞳がかすかに期待と動揺を帯びて揺れる 。けれどすぐに溢れ出す愛おしさを誤魔化すように、ふっと優しく口元を緩めると、セシルの耳元でコソリと呟いた。
「さっき採寸の時、僕のことを見つめていただろう? ちなみに僕を測っていた従業員は、うちの屋敷の使用人の奥さんなんだよ。……僕にはセシルしか見えていないから、安心して」
しっかり見られていたことを察し、セシルは恥ずかしさのあまりカッと顔を真っ赤にするのだった
◇
生地を選び終えて店を出たあとは、カフェでお茶を楽しみ、賑やかな街を散策した。
街は活気に満ち溢れて、人々が生き生きと行き交う楽しげな雰囲気に包まれている。
アルフレッドと歩いていると、度々彼の知り合いから声をかけられ、祝福と共にこの街でのアルフレッドとの思い出話を聞かせてくれた。セシルはその様子をすこし引いて見つめていた。
街の人から聞かされる「頼もしいグランヴィル伯爵家当主としてのアル」「友人から慕われている大人なアル」の思い出話を聞くたびに、自分の知っている「泣き虫で可愛かった昔のアル」が上書きされていくような寂しさをセシルは感じた。
(私は幼い頃のアルしか知らない……。離れていた間のアルを、みんなは知っているんだわ……)
自分だけが取り残されているような歯痒さと寂しさが、胸の奥にじわじわと広がっていく。
やがて街を一望できる高台へとたどり着いた。傾きかけた夕日が、街全体をあたたかな橙色で包み込んでいく。
「少し歩いただけだけれど、とっても素敵な街だわ……。また色んなお店にお出かけしたい」
セシルが素直な感想を口にすると、アルフレッドは優しく微笑んだ。
「また二人で来よう。これからは、いつでも来られるんだから」
そう言って、アルフレッドがセシルの手にそっと自分の手を重ねてくる。 だがセシルは自分の手をギュッと握り、少し寂しそうな眼差しで夕日をみつめながら
「街でアルの知り合いから、ここでのあなたの思い出を聞いて... 私ってアルのことほとんど知らないんだなって…自分の知らないアルがいることを寂しく感じちゃった…」
ポツリと呟くと、アルフレッドが慌てて
「それってどういう――」
問い返そうとした瞬間、お迎えの使用人の声がかかってしまう。 二人は言葉を途切らせたまま馬車に乗り込み、静かに屋敷へと戻るのだった。
全5話+SSの短期連載、毎日20時更新予定です。




