第一話 伊賀、燃ゆ
第一話 伊賀、燃ゆ
天正九年、長月。
第二次天正伊賀の乱が最悪の結末を迎えようとしていたその日、柘植朔太郎は伊賀惣国一揆の残存兵五百を率いていた。
一 火の雨の朝
空が裂けた。
大和から国境を越えて侵攻してきた筒井勢の放った火矢が、初秋の冷えた空気を焼き切る。
朔太郎は長槍を握り締め、丘の上から戦場を見下ろしていた。
火矢が落ちるたび、木々の間に広がる村々から炎が赤く跳ね上がる。黒煙が風に流れ、兵たちの顔を灰色に染めていった。
「……来るぞ」
低い声だった。だが、動揺する兵たちの背筋を自然と伸ばす凄みが宿っている。
敗北の渦中にあっても、彼は決して声を荒らげない。戦況を冷徹に俯瞰するその指揮能力こそが、兵たちを繋ぎ止める唯一の楔だった。
二 黒鉄の軍勢
大和の足軽兵が、地鳴りとともに迫ってくる。
黒塗りの当世具足が朝の光を鈍く弾き、整然と並べられた槍衾はまるで動く鉄の壁だ。その隙間から、織田から貸与された鉄砲隊の黒い筒先が覗く。
朔太郎は忍びの郷に生まれながら、忍術の才能には恵まれなかった。だが槍を握り、陣を指揮する瞬間、彼の思考は冷たく研ぎ澄まされる。
「前列、槍を構えよ。横隊に広がるな。奴らは正面突破だ。間合いを詰めさせるな!」
兵たちは寸分の狂いもなく従った。
朔太郎の指揮には、無駄な情や恐怖を押し殺させる『理』があった。
しかし――。
鉄砲の一斉射撃と押し寄せる黒鉄の波は、伊賀の五百を飲み込むにはあまりに凄まじい質量だった。
三 崩壊
最初の衝突で、前列が一気に崩れた。
鉛玉が肉を穿ち、槍が折れ、悲鳴が上がる。赤黒い血が湿った土を濡らしていった。
朔太郎は槍を突き出し、躍り出た敵兵の喉を正確に貫く。
だが、敵の波は止まらない。圧倒的な物量が、押し寄せる津波のように視界を埋め尽くす。
「引け! 全員、引け!」
その声が自分のものかどうか、朔太郎には分からなかった。
兵たちが散り、叫びが途切れ、視界は黒煙と返り血で曇っていく。
四 敗走
丘を下りる途中、朔太郎は一度だけ振り返った。
そこには、かつて自分が率いた五百の兵がいたはずだった。今はただ、黒焦げた山肌と重なり合う死骸があるだけだ。
槍を握る手が、かすかに震えた。
五百の命を散らせた敗北の重さが、冷たく肩にのしかかる。
「……生きねばならん」
誰に向けたものでもない。朔太郎自身が己に言い禁じた呪文だった。
彼は槍の柄から手早く穂先だけを外し、布に包んで懐深くねじ込んだ。柄を投げ捨て、ただの木切れを杖代わりにつくと、背後で燃え落ちる伊賀に背を向ける。
向かう先は――敵陣の背後にあたる、大和への越境ルート。腰の袋にあるのは、かき集めたわずか五百文の銭のみ。
残党狩りの気配を背中に感じながら、朔太郎は山道をひた走る。
伊賀の国は滅んだ。
だが、柘植朔太郎という男の戦いは、まだ終わっていない。




