28 助っ人登場!(其の1)
いやぁ、不覚にも私…
昨夜寝落ちてしまい…
投稿ボタンを押してしまった様なんです…
朝起きて、編集中の物が無く...
恐る恐る、投稿済みの方を見ると…
エピソード28が投稿されてました…
どうも、すいませーん!
明くる朝、原清岩虎胤様は、我が殿・豊田安芸守治親様とガッチリ握手を交わして、生まれ故郷の下総千葉の方へと旅立って行かれました…
今思えば、千葉家中興の祖・千葉常胤様の御正室様は…確か…豊田家中興の祖・豊田四郎政幹様の娘だった筈…
と言う事は…ひょっとしたら…清岩様と治親様は…遠い親戚なのかも…?
いや…きっと…そうに違いないだろうなぁ…きっと…
そして、また、その翌日、歴史上の流れ通りに、結城晴朝の仲裁を受け入れて、豊田氏と多賀谷氏は和睦したのだった…
とは言え、私と道鎮殿は、何れまた来るであろう有事に備え、各城の防御設備の一層の強化と、各兵一人一人の能力向上と、様々な侵略パターンを想定しての木目細かい演習を日々、積み重ねていったのだった…
年が明けて永禄七年(1564年)…
川中島の合戦の終結を待って、武田二十四将・武田家五名臣の一角・原清岩虎胤様永眠の報が入ったのは、桜の蕾が開き始めた、春未だ浅い、弥生三月の事だった…
治親様は御自身の名代として小治郎殿を甲斐に派遣されましたが、暫くは悲し気な表情で過ごされて居りました…
豊田・石毛・四ヵ村・北域の侍達は皆、喪章を付けて一年間過ごしました…
皆、あの日、清岩様に受けた恩を忘れては居なかったのです…
豪快だった清岩様の話題が出ない日は無かった…
それが何よりの清岩様への御供養ではなかったかと思う…
悲しみの一年が過ぎ去り…
永禄八年(1565年)、御屋形様こと小田氏治様は、上杉謙信に奪われていた小田城の奪還に成功していました…が…
翌、永禄九年(1566年)、またしても上杉謙信に小田城を奪われてしまいました…
翌、永禄十年(1567年)、御屋形様は、甲斐の武田信玄様に、佐竹義重を討つべく援助を求めましたが、武田家と上杉家が不戦状態だった為、信玄公に断られてしまいました…
翌、永禄十一年(1568年)、結城晴朝を通じて、御屋形様は、上杉謙信に降伏を申し出て、漸く小田城に帰還する事が叶いました…
翌、永禄十二年(1569年)五月、小田城に攻め寄せた佐竹義重の軍勢に対し、御屋形様は城を出て、得意の野戦を仕掛けて、これを撃退しました!
元号が変わって、元亀元年(1570年)八月、父・政治様の代からの宿敵・結城晴朝が、多賀谷氏の嫡男・重経を先鋒にして、小田領内に侵入して参りましたが…
御屋形様は菅谷政定様を派遣し、夜襲を仕掛けて、平塚原の戦いにて大勝利を収めました…等々…
御屋形様が佐竹や結城との戦いに忙殺されていた…この頃から少し経って、また元号が変わりました…
天正元年(1573年)…
(遂に…天正元年かぁ…何か…天正と言うフレーズには…謀反と言う名の香りが漂っているような…何か不吉な響きがあるよなぁ…)
五家・千本木の戦いから、早10年の時が過ぎ去り、私は51歳になっていた…
タイムスリップして、この戦乱の世に迷い込んで来てから、もう20年以上もの歳月が流れたのか…
実は、その10年前…
五家・千本木の戦いの戦勝祈願で金村分雷神宮に参集した際に、私は凄い物を発見していたのだ!
私の愛車・ホンダシビックが分雷神宮近くの叢の中に放置されていたのだ…
私は目を疑ったが、戦いが終わり、戦勝報告を終えて、豊田城内での戦勝祝いの最中に、こっそりと抜け出して確かめに行ったのだった…
道から少し逸れた林の中に入り、少し小高い所に大きな岩があって、その後ろに、確かにホンダシビックがあった!!
木の枝や葉っぱがたくさん覆い被さっていて、通りからは全くの岩の一部にしか見えないのだろうけれど…
そのボンネットの低く美しい曲線…
その精悍なヘッドライトの形状が…
少しだけはみ出しているのを私が見間違う筈が無かった…
私の愛車であるっ!!
(次回につづく…)
いやぁ、ビックリの寝落ちでしたが…
何とか…読める内容だったので、このまま多少手を加えて放置します…
今後も…
次々、有り得ないことが起こりそうですが…
次回「つぐみ龍の伝説」…
「29 助っ人登場!其の2」 にどうぞ御期待下さい!
私は歴史に何をしようとしているのか…?




