十六話 約束
花を受け取った僕はただひたすら亜矢さんの事しか考えられなくて、颯天を置いて、神崎さんを置いて、すぐ店を出た。
病院へ向かう為に。
ひたすらに走って、走って、走った。
自分の息が細く、強くなっていく。
どうしてこんなに僕は一生懸命に走っているのだろうか。
この銀杏の葉を見て、急に亜矢さんに会いたくなったから?
それとも、颯天に衝動を駆られたから?
どれも違うだろ。
どれも違う。全部違う。
君が好きだからだ。
君を愛してるから僕は走るんだ。
息を荒立て、汗を噴き出しながら。
全速力で走る。
右手には神崎さんに貰ったストラップを握りしめ、左手には自分の汗を握りしめ、ただひたすらに走る。
「はぁ…っはぁ…っ。」
気付いたら僕は病院に着いていた。
病院の受付から急に足が重くなる。
先程まで感じていた、亜矢さんを純粋思う気持ちとは裏腹に次に僕を襲うのは純粋な不安だ。
今日は30分しか会えない。
それに余命は後ーー。
ダメなんだ。
もう。
僕は、僕達は報われない。
そう思うと、不安で、不安で、不安で。
今にでも苦しくて、逃げたくて、自分が自分じゃなくなっているみたいだ。
『亜矢は結弦を待ってるんだよ。』
その時颯天の言葉が結弦の頭に響いた。
「颯…天。」
結弦は立ち上がった。
それは物理的ではなくて、心の中の僕が、水無瀬結弦自身が立ち上がった。
「そっか…。僕は亜矢さんに…。」
僕は歩き出す。
今までむやみやたらと突発的に行動をしてきた僕はやっと、意志を持って動いた。
僕はやっと。
ようやく、亜矢さんを幸せに出来そうだ。
「こんにちは、黒霧様の面会の方ですね。
私黒霧様の担当看護師となりました柳瀬と申します。黒霧様の面会の前に黒霧様の状態をお伝えしたいのですが、お時間大丈夫でしょうか?」
僕が亜矢さんの病室へと歩いていると看護師が声を掛けてきた。
看護師はおそらく長いであろうその黒髪を頭の上でお団子にして綺麗に纏めていた。
身長は対して高くないのにスラッとしているし、落ち着いた喋り。
これをどう表そう。
そう。
これはお姉さんだ。
「あのー。大丈夫ですか?」
看護師が再度声を掛けてくる。
ぼーっとしてる僕に、声を掛けてくる。
瞬時、僕は意識を取り戻す。
「あっ…!すみませんっ!!」
決してこの看護師にうっとりしてた訳じゃない。
それは断言出来る。
亜矢さんが大変な時期にそんなのありえない。
でも何故か、ぼーっとしてしまった。
「では、改めて説明させていただきます。
黒霧様の今の状態ですが、状態は変わらず、です。
検査データに改善傾向も見られませんし、症状の喪失も見受けられません。
このままでは、酷ですが、退院は厳しいかと思われます…。」
看護師の柳瀬さんは淡々とそう話す。
どうしてだろう。
この最悪な報告に以前の僕はきっとまた落ち込んでいただろう。
でも、今の僕はこの話を全部素直に受け止めることが出来た。
「ありがとう、ございます。
それで、今日面会は可能ですか?」
僕のその言葉に看護師の方は頷いた。
「はい。もちろんです。ですが、時間が限られてますので、そこはお気を付け下さい。
また、入室前に消毒等の予防対策を実施して頂きますので、こちらにどうぞ。」
そう言って柳瀬さんは僕を誘導した。
亜矢さんの病室に行くまでに消毒したり、服を着替えたり、それはそれは大変だった。
そしてその過程を終えた僕は病室に入室した。
「亜矢さん。こんにちは。」
病室に入ると亜矢さんはベッドの端に座り、下を向いていた。
亜矢さんに会ったことが嬉しくて、思わず亜矢さんの顔を見たその刹那挨拶をしてしまった。
「貴方は…だれですか?」
僕はきっとこの言葉をきっと忘れないだろう。
そう言った亜矢さんの言葉には重さを感じなかった。
言葉の抜け殻を受け取った様な、そんな感じだった。
「亜矢さん…?冗談だよね…?結弦だよ?水無瀬…結弦だよ?」
僕は声に若干の恐怖を混じらせながらそう言った。
怖い。
亜矢さんが僕との記憶を全て失うことが怖い。
でも。
それと同じくらい安心した。
亜矢さんが本当に記憶を失っていたら、僕との別れの苦しみがなくなるから。
本当に僕を思ってくれてたのなら最愛の人との別れこそとっても苦しい事だから。
かつての僕みたいに。
「結弦…さん?水無瀬…結弦さん?すみません。なにも分からないです。」
亜矢さんはそう言って下を向く。
そんな亜矢さんに僕はそっと側まで歩き、そっと包んだ。
「亜矢さん。…僕は君を大切に思ってる人の中の1人だ。亜矢さんの元気な姿が見たくて今、ここに来た。本当に…それだけだよ。」
僕はそう言ってゆっくりと離れた。
「…どうして…?」
亜矢さんは戸惑った顔をして、不思議そうに涙を拭っていた。
「亜矢さん、泣いてるの?」
「分からない。でも、なんだか胸が熱くて。」
亜矢さんはそう言って赤く染めあげた頬を両手で覆いながら僕を見た。
「ごめん…ね、急に抱き締めたりして、、」
「大丈夫…です。」
彼女は何故頬を赤らめるのだろう。
でも、彼女の様子を見るに、彼女の記憶から僕は消えている。
そう思った時、自分の頭の中で君と再開した。
そう。あの木の下で君と出会ったその瞬間が頭の中で再生された。
あの時の僕と同じ…なのか?っと。
そして、あの時君の頭の上に乗っかった銀杏の葉が、すーっと落ちていく。
僕はそれを落としたくなくて、その銀杏の葉を右手でギュッと掴んで、握った。
僕はその掴んだ銀杏の葉を見た。
それは美しくて、強くて、そして儚げにアクリル板の中で輝いていた。
それを僕はそっと、亜矢さんに差し出した。
「驚かせてごめんね。
これ、お土産なんだ。受け取って欲しい。」
「これ…は?」
銀杏の葉が僕の手から亜矢さんの手へ移動する。
亜矢さんは一層に頬を赤らめた。
「やっぱり…出来ないや。……。」
「え…?」
僕は下を向き、声を小さく震わせながらそう言った亜矢さんに驚いた。
「結弦君。ごめんね。
本当はね、結弦くんとの記憶、思い出全部覚えてる。」
亜矢さんはそう言った。
その声は可憐でいてそして凛としているのに、とても儚かなかった。
「どう…いうこと?」
僕がそう言うと、亜矢さんは瞳に涙をうかべ「秘密!」そう言った。
「そっか、でも良かった。
亜矢さん記憶…全部忘れてなくて…。」
胸が熱い。
目が痛い。
苦しい。
それでいて鼓動は早い。
どうしてだろう。
この感情はよく分からない。
「結弦君、今週の日曜日。8月5日、花火大会があるの。その…。
一緒に見ませんか?」
亜矢さんは照れるようにそう言った。
「もちろんだよ。楽しみにしてる。」
僕が断る訳ないじゃないか。
だって僕は君と少しでも長く居たい程、君の事が大好きなんだから。
「約束…だよ!」
亜矢さんは嬉しそうにそう言った。
「水無瀬様。面会終了時間が近くなって来ました。」
看護師さんが僕と亜矢さんとの会話を割くようにそう言った。
「わかり…ました。
じゃあ、亜矢さんまたね。お大事に。」
僕がそう言うとあやさんは子供のように無邪気な笑顔で「うん!またね!」そう言った。
僕はその笑顔を見届け、病室を出た。
「亜矢さん…。」
僕の胸の中には亜矢さんが大きくいる。
なのどうしてだろう。
その亜矢さんがボロボロと崩れていく。
どうしてだろう。
「水無瀬様。お話よろしいでしょうか。」
そんな僕を呼び止める一つの声。
振り返るとそこには後藤先生が居た。




