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A Drop of Blood  作者: ベルン
第三章 その先は新たな殻の空
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024 扉を開け、迎え入れる

ブックマークありがとうございます。感想や評価などお待ちしております。メッセージもありがとうございます。一つ一つ読ませていただいております。

 



 サキはアネットとクレアを交互に見やり、にこりと微笑んだ。

「大方、アネットさんはお母さまの家系に組み入れられることに賛成されるようなので、一応準備は前向きに進めておきますね。……とはいえ、実際に準備に関わるのはわたしではなくて、他のかたですが……。正直に言わせていただきますと、わたしは実の親戚ということで、あくまでもあなたに会いたくて勝手に来ただけなので……」

 そう言って、サキはクレアの方をちらっと見た。

(え?)

 しかし、それはほんの一瞬のできごとであり、アネットの中でそれが疑問に結びついた頃には既にサキはその視線をアネットの方へ戻していた。

 そして、彼女は恥ずかしかったのか、はにかんだ笑顔を見せた。恐らく実の親戚だからという理由で、アネットに会いたい一心で訪れたことに関してなのだろう。サキにはそれが照れ臭く、あるいは恥ずかしいことだと思われたのかもしれない。だが、アネットにとってはその心意気がうれしかった。

 アネットはぱっと笑顔になってサキを見つめた。

「サキさんはそうおっしゃいますけれど、わたしはサキさんが会いにきてくださってうれしかったですわ。また機会があればぜひともご一緒したいと思います」

「ええ、ぜひ! またお会いしましょうね」

 サキは大きな目を真ん丸に開き、ぜひぜひと応えながら首を熱心に縦に振った。

(何となく……二人とも似ているな)

 同じく首をブンブンと縦に振りまくるアネットを見て、それからサキもチラリと見遣ると純粋にそう思えてきた。

 クレアは先程からなるべくアネットが自主的に話を進め、望むように話を持っていけるようただ見守るだけだったが、色々と観察できてそれなりに楽しんでいた。

 先の両隣のアカネとスミレとやらはクレアをたまにじっと見据えていたが、クレアはそれに対して気にしないよう努め、何もないかのような態度を貫いた。


 時間は当初の予定よりかなり経ったところで、ようやく別れた。


 さきは店に着く前のようにフードをかぶった。

「すてきな人だったね」

「そうですね! 遠い親戚なんてほぼ他人みたいなものだと思ったんですけど、意外と似てました」

 あかねの言葉にさきは目を丸くして小首を傾げる。予想外だった。

「そうなのかな。姉妹でもないのよ?」

「はい! 雰囲気とか、優しそうなところとか!」

 あかねと違ってすみれは黙っていたが、あかねが急かすようにどんどんとすみれの背中を叩くものだから、観念した。

「芯の強そうなところは、似ていると思いました」

 さきは面食らったように固まった。

「そうなんだ……」

 へええ……と少し驚いた風にさきは笑っていた。隣であかねもにこにこと笑っている。すみれはそれを黙って見つめている。

「話は大体まとまったし、よかったね。帰りましょうか……」

 そして三人は並んで帰路についたのだった。


 一方で、アネットはクレアと隣だって歩を進め、家に向かっている。

 頭一つは優に高い彼を横からちらちらと見上げた。普段ならこうやって彼を盗み見したことが当事者にばれやしないかと緊張するものだが、今日のアネットはそうする心的余裕を持ち合わせていなかった。

 気がつけばアネットはいつもの癖で、クレアに謝っていた。

「クレア、ごめんね」

「何が?」

 クレアは片眉を跳ね上げた。

 彼は前触れもなく突然謝ってきたアネットに対し、純粋に疑問を感じて聞き返しているのだろうが、何となくアネットはびくりと肩を跳ねさせた。

「…………」

 クレアはそれに目敏く気付いては、それを見逃さなかった自分に溜息を零した。しかし、そうするとアネットに対して呆れたから溜息を零したのかと誤解されるので、クレアは内心舌打ちを打った。

(厄介だ)

 彼女の前ではどうしても要領良く振る舞えない。彼はただ沈黙してしまう自分に苛立った。何か気の利く事を言えれば良いのに。他の者に対してはそれが自然に出来る癖に、アネットに対しては出来ない。

 アネットは努めて気にしていない風を装っているが、内心びくびくしてかなり気にかけているに違いない。伊達に何年も弟を務めてきたわけではない。

「…………」

 何も言わない彼女に、クレアは途方に暮れた。暫く待っても何も変わらないので、首を傾げその横顔を覗き込む。

「–––––!!」

 クレアはアネットの表情を確認するや否や、仰天した。


 彼女は、泣いていた。


「どうした!?」

 柄でもないくらい声を張り上げてしまった。

「ごめん、違うの……」

「何が」

 彼女は暫くの間、ただ涙をさめざめと流していただけだったが、これではと人目を憚ったのか間もなく無理に泣き止んだ。

(馬鹿だな)

 無理に泣き止む事もないだろう。

(泣きたい時には泣けばいい)

 その為に隣にいるのだから。

 クレアはさりげなく道の曲がり角の方へアネットを誘導した。立ち止まり、ホッとしたのかみるみる彼女はまた涙を流し始めた。時にずずっと涙と洟を啜り、「み、見苦しいところをごめんね」などと謝っていた彼女は、やがて本当に泣き止んだようだった。

 クレアは怒っていると誤解される事のないよう、慎重を期して質問を投げかけた。

「で、何でそんなまた泣いてるの」

「ねえ……」

 アネットはただ下を向いていた。顔が見たいのに、これでは見られない。アネットはしばらく言い出せず、もじもじとしていたが、クレアは根気強く待った。

「サキさんが頑張ってお医者さんになれることは、喜ばしいことよね」

「…………」

「心から応援して、夢や目標を叶えたからには一緒に喜ぶものだし、祝うものだよね。だってサキさんはそのために努力したんだから。…………その祝福を受ける資格があるでしょう」

 アネットはそこでまた、顔をくしゃっと歪めた。

「でもね……わたしは心から彼女のために喜べなかったの。祝福できなかった……。同い年で、わたしがちょうど使用人としてこき使われていた時、みんなの軽蔑に耐えていた時、屋根裏部屋に監禁されていた時……あの子はお母さまに世話されて、みんなの好意を受け取って、自由に生きられたんだなって思ってしまうの。わたしはこんなに虐待されて理不尽な思いをしたのに、あの子は自分の権利を守られてやりたいことができた。こんなの不公平だって……。何でわたしが……どうしてわたしはこういう目に遭わなきゃいけなかったのかなって、そう思ってしまったの」

「……アネット」

「妬んじゃったの、わたし。サキさんのこと、羨ましくて……でもそれだけじゃなくて……妬みの対象でしか見られなかったの。こんなひねくれるはずじゃなかったのに。わたしって、どうしてこんな嫌な人間になっちゃったの。惨めでみっともない。見た目だけじゃなくて中身も小汚くて……」

 支離滅裂に、訥々と本心を吐露した彼女は悲痛な声色で訴えていた。

「アネット」

「どうして。どうしてわたしはこんな人になるしかなかったんだろう」

 ああ。

「わたしがもっと強かったら……もっとちゃんとしていたら、あんなにばかじゃなかったら。……あんな風に、人を信じなかったら……こんな風に生きるんじゃなかった」

 止められない。

「生まれちゃいけなかっ……」

「アネット!!」

 クレアはアネットを抱き締めた。もうそれ以上自虐する事は許さないと、息苦しいほどに強く、ぎゅっと。このまま窒息させてしまうのではないかとさえ思われる。

 しかし、こうでもしないと彼女は止まらなかっただろう。

 言葉で止められないなら行動で示すのみだ。

 アネットの顔はクレアの胸に埋まっていた。

「アネット」

「クレア、はなして」

「離さない」

「いや! 離してよ!」

「離さない! 離すものか!」

「っ……!」

 アネットが腕の中で強張ったのが解る。クレアは未だ嘗てない程必死で、恐ろしい形相をしていた気がした。

 息を止めていて、生きているのか死んでいるのか判別つかない程じっとしているアネット。

「…………お願いだ。そうやって独りで傷つくな」

 クレアは懇願していた。哀願していた。

 アネットが受けてきた数々の虐待を止めなかった。止められなかった。だから、それを傍観していた自分にも責任がある。クレアは深い懺悔の気持ちで眉を寄せた。

 しかし、それを面と向かって、こういった形で噴出されるのは予想外に堪えた。

「クレア……?」

「お前を傷つけるのは、たとえお前自身でも許さない」

「…………」

(ほら、お前は今こんなに小さくて……震えていて)

 あちこちから血を流しているじゃないか。

 クレアは心臓が張り裂ける痛みを感じた。自分が被害を受けたわけではない。むしろ自分は加害者だ。悲しみ苦しみに嘆く資格もない。

 しかし、なぜ我が事よりもこんなに辛くて苦しいのか。……どうしてこんなにも、鋭い苦痛に苛まれてしまうのか。

 彼の目に映るアネットは、ベタベタに血塗れで、今にも死にそうな姿だった。

 こんなに頼りなげで華奢な心から、血がどんどん溢れている。

 その心臓は必死に動いているが、もうじき止まるかもしれない。その前に張り裂けてしまうかもしれない。

(俺はそれを黙って許すわけにはいかない)


 そうでなければ、自分が生きている意味など存在しない。


「アネット。お前は世の中全ての人に好かれ、尊敬されたいのか」

 アネットは少し考え込んだ。その目は滑稽な程に赤く腫れている。

 しかし、クレアにとってこれほど美しい女人はいなかった。

「さすがに、『世の中全て』というのは無理があると思うわ」

「そうか」

 クレアは優しく微笑を浮かべていた。彼はアネットの乱れた横髪をそっと耳の後ろに撫で付けた。

 アネットは今さらながら妙に気恥ずかしくなり、顔を逸らした。

 クレアは憂愁漂う視線のまま俯き、腕の中の女だけに聞こえるような声で囁いた。


「俺は、自分を偲んでくれる人が一人いれば……それで十分だと思っている」


 彼女は少し驚いたようだった。目を丸くし、こちらを呆然と見つめている。

「…………わたしも、そう思っているの」


 刹那、二人の視線が絡み合う。


「アネット。俺が、お前にとってその一人になってはだめか?」

 聞き間違えたのだろうか。

「クレア?」

 不思議そうに、信じられない気持ちで反応したアネットに構わず、彼はただ続ける。

「心からお前を慕い、記憶し、敬愛したら……それだけでも、お前の人生は意味あるものだったと胸張って言えるような存在に、俺はなりたい」


 アネットの手を取った。節くれ立ってあかぎれていた手は、ようやく本来の美しさを取り戻しつつあった。

 彼女の得る筈だったもの。

 それを取り返してあげたい。贖罪の一環として全うさせてほしい。

 クレアはその小さく柔らかな手をそっと撫で、その手を自分の頰に持っていった。そのまま甘えるようにアネットの掌に頬を擦り付ける。アネットは彼の想定外の行動に驚いて目を瞠り、クレアを凝視した。

 彼は少しだけ首を傾げ、哀しげに微笑する。

(こんなに優しく笑えるのね)

 彼の目は、春の日の下麗らかな海の色だった。

 アネットがその時どんな顔をしたか、彼女自身はわからない。

 ただ、その時のクレアの表情を見たら……自分の表情は何となくわかったような気がした。



 一方、フェイン邸では主人たちが不在だったため、使用人らはいくらか解放された雰囲気の元でゆったりと就寝の支度をしていた。

 メイベルはというと、ベイカー夫人と共に明日の朝食の仕込みをちょうど終えたところである。まかないができたので厨房を出て、ウィルキンソンを夕食に呼ぶために玄関ホールに踏み入ったところだった。

 何かを手に取ってウィルキンソンが佇んでいる。

「ウィルキンソンさん、夕飯できましたよ。食べましょう!」

 彼はハッとしたようにこちらを振り向いた。

「ああ。そうだね。すぐに行こう」

 いつも落ち着いていて年輪と貫禄を否応なく感じさせるウィルキンソンだが、この時ばかりは動揺丸出しだった。何があったのだろうか。

 恐らく、ウィルキンソンが今持っているものがその原因なのだろう。

「それ、何ですか?」

「……とりあえず厨房に行こう。ベイカー夫人にも話さねば」

 メイベル一人だけには何も語るつもりはないらしい。でもそう言ったところで何も気にならない。どうせ伯母がいれば良い話だ。

(それに)

 ウィルキンソンがこんなに揺れ動くほどの話を一人で聞く勇気はなかった。


 厨房に向かい、そこで彼から知らされたものは、衝撃以外のなにものでもなかった。


「ご実家のフェイン家からの電報が来た。ご主人様の父君、エリオット様が亡くなったと」




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