第五話 最後の四人
最後のライブの日。
レンは、誰より早く来た。
「珍しい」
俺が言う。
「最後くらい遅刻すんのやめようと思って」
「だから最後って言うなって」
「今日くらい言わせろよ」
レンは笑った。
シズクは機材を置いて、レンを見た。
「おつかれ」
「おつかれ」
それだけ。
ヒロキはいつも通りだった。
「終わったら飯どうする?」
「まだ始まってないぞ」
「終わったあとの予定大事」
「お前ほんとぶれないな」
ミョンはステージ袖の壁にもたれている。
「人が多いのう」
「ライブだからな」
「菓子は?」
「今それ?」
「始まる前じゃ」
「終わってから」
「約束じゃぞ」
「はいはい」
スタッフに呼ばれる。
出番だ。
◇
一曲目。
レンの声は、いつもより軽かった。
力が抜けている。
客席を煽る。
笑う。
歌う。
そのたびに、フロアの空気が動く。
昔からそうだった。
レンは、客を巻き込むのがうまい。
俺がギターを弾いている間にも、
「もっと来いよ」
みたいな顔で前を見る。
実際には何も言っていないのに。
それだけで客の手が上がる。
「……」
これだ。
そう思った。
二曲目。
シズクのベースが、レンの歌の隙間へ入る。
意識しているようには見えない。
身体が覚えているんだと思う。
レンが一歩下がる。
その瞬間、シズクが前へ出る。
ヒロキのドラムが押す。
俺のギターが重なる。
四人。
ちゃんと四人だ。
昨日まで。
三人でいくら音を増やしても埋まらなかったところに。
今日は何も無理をしなくても音がある。
三曲目。
サビ前。
レンと目が合った。
一瞬だけ。
レンが笑う。
俺も。
たぶん。
笑っていた。
昔みたいだと思った。
最初の頃。
小さいライブハウスで。
客もほとんどいなくて。
それでも四人で音を鳴らすだけで楽しかった頃。
あの時と。
少しだけ同じだった。
「……いいじゃん」
曲間で小さく呟く。
ステージ袖を見る。
ミョンがいた。
「良い音じゃ」
口だけが動く。
聞こえた気がした。
「だろ」
小さく返す。
次の曲。
その次。
レンの声は最後まで崩れない。
シズクも。
ヒロキも。
俺も。
誰も余計なことをしない。
今までで一番いいんじゃないかと思った。
だから。
途中から。
もうライブそのものより。
別のことを考えていた。
これなら。
レンも。
やっぱり辞めたくないと思うんじゃないか。
これだけ合っている。
客も楽しそうだ。
俺たちだって。
今。
ちゃんと楽しい。
だったら。
辞める理由なんて。
なくなるんじゃないか。
最後の曲。
レンがマイクを握る。
「今日はありがとう!」
客席から声が返る。
ヒロキのカウント。
始まる。
俺はいつもより強く弦を弾いた。
最後だからじゃない。
最後にしたくなかった。
サビ。
レンの声。
シズクのベース。
ヒロキのドラム。
俺のギター。
全部。
ちゃんと鳴っている。
曲が終わる。
余韻。
次に。
大きな拍手。
「ありがとうございました!」
レンの声。
客席へ頭を下げる。
俺も。
シズクも。
ヒロキも。
四人で。
並んで。
頭を下げた。
その瞬間。
俺は本気で思った。
これなら。
もしかしたら。
◇
楽屋へ戻る。
「今日よかったよな」
すぐレンに言った。
「うん」
「めちゃくちゃよかった」
「うん」
「客も良かったし」
「そうだな」
「四人も」
「うん」
「だったら」
「アキ」
レンが止める。
「気は変わってない」
胸の奥が落ちた。
「何でだよ」
「いいライブだったから」
「じゃあ続ければいいだろ」
「違う」
「何が」
「今日、よかったから終われる」
「……」
納得できなかった。
いいライブなら。
続ける理由になるはずだと思っていた。
もっとやりたい。
次もやりたい。
普通は。
そうなると思っていた。
なのに。
レンは違う。
「意味分かんない」
「うん」
「今日あんなに良かったのに」
「だから」
「だからって」
「最後がこれでよかった」
レンは落ち着いていた。
俺だけが。
まだステージの上にいるみたいだった。
「俺は良くない」
「アキ」
「これで辞めるの意味分かんない」
「分かってもらおうとは思ってない」
「じゃあ何で」
そこまで言って。
止まる。
レンの顔。
もう。
何を言っても変わらない。
分かった。
分かりたくなかっただけで。
分かってしまった。
俺とレンは。
同じライブをやった。
同じ音を聞いた。
同じ拍手を浴びた。
でも。
もう。
違う場所に立っている。
少し離れたところで。
シズクがレンの前に立った。
「レン」
「うん」
「今まで、ありがと」
短かった。
レンも。
「こっちこそ」
それだけ。
付き合って。
別れて。
何度もスタジオの空気を最悪にした二人が。
最後は。
それだけだった。
◇
外へ出る前。
レンに呼び止められた。
「アキ」
「何」
「曲、ありがとな」
「何それ」
「ずっと歌わせてもらったから」
「これからも歌えばいいだろ」
「それ言うと思った」
「だったら」
「戻らない」
はっきり言われた。
胸の奥がまた痛くなる。
「曖昧にしたら、アキずっと待つだろ」
「……待つよ」
「だから」
レンは笑った。
「待たなくていい」
「勝手に決めんなよ」
「決めるよ」
「何で」
「俺のことだから」
何も言えなかった。
その通りだった。
レンが辞める。
それを決めるのは。
俺じゃない。
「……腹立つ」
「知ってる」
「戻ってこいって言っても?」
「戻らない」
「一ヶ月後でも?」
「戻らない」
「半年後」
「知らない」
「ほら」
「でも待つな」
「何だよそれ」
レンが少し笑う。
「じゃあな」
「……うん」
腹が立った。
でも。
もう引き止める言葉は出てこなかった。
◇
レンが帰ったあと。
三人でライブハウスの裏に残った。
さっきまでの音が。
まだ耳の奥に残っている。
四人の音。
もう。
次はない。
「で」
ヒロキが言う。
「どうする?」
「何が」
「雨音クラブ」
「……」
「ボーカルいないけど」
シズクも俺を見る。
ここで。
「解散」
と言えば簡単だった。
レンがいない。
ボーカルがいない。
それなら終わり。
理由としては十分だ。
これ以上。
どうするか考えなくてもいい。
でも。
その言葉だけは。
出なかった。
「終わらせない」
口から出た。
ヒロキが俺を見る。
「どうやって?」
「知らない」
「知らないのに?」
「でも終わらせない」
「ボーカル探す?」
「分かんない」
「アキ」
シズクが少しだけ笑った。
「何」
「アキらしい」
「何が」
「何も決まってないのに、それだけ決めるとこ」
「悪い?」
「別に」
「その別にどっち」
「今はいい方」
ヒロキが言う。
「じゃあ次のスタジオどうする」
「取る」
自分でも。
答えるのが早かった。
「三人で?」
「うん」
「何する?」
「それは」
分からない。
でも。
初めて。
四人に戻す以外のことを考えた。
ミョンが横で言う。
「なら、次を鳴らせ」
「簡単に言うな」
思わず口に出た。
「何?」
シズク。
「ミョン」
「ああ」
ミョンは笑う。
「簡単じゃろ」
「ボーカルいないんだぞ」
「だから?」
「だからって」
「音は三つある」
俺。
シズク。
ヒロキ。
「三つしか、じゃない」
ミョンが言う。
「三つある」
少しだけ。
言葉が残った。
三つある。
レンはいない。
四人には戻らない。
それでも。
全部なくなったわけじゃない。
「……次のスタジオ」
俺は言った。
「いつ空いてる?」
シズクがスマホを出す。
「私は水曜」
ヒロキ。
「俺も多分」
「じゃあ水曜」
決まった。
レンが辞めた。
なのに。
次の予定を決めている。
変な感じだった。
でも。
嫌ではなかった。
雨音クラブは。
三人になった。
まだ。
終わってはいなかった。




