第二十四話 願いのその先
『ここで鳴らす』を録ることになった。
前回より、決まるのは早かった。
「来週の日曜、空いてる?」
シズクがグループチャットに送ってきたのが月曜。
ヒロキが、
『午後なら』
俺が、
『空いてる』
と返して。
三分後にはスタジオの予約まで終わっていた。
「早」
俺が送る。
『前回ぐだぐだしたから』
シズク。
『アキが悩む前に決めた』
「俺のせい?」
『半分』
最近。
シズクの「半分」は便利な言葉になっている。
◇
日曜日。
レコーディングスタジオへ入る。
「またここか」
ヒロキが言った。
「二回目だからな」
「今日は早く終わりたい」
「まだ始まってないぞ」
「前回待ち時間長かったし」
「歌で時間かかった俺に言ってる?」
「半分」
「お前まで使うなよ」
シズクが笑った。
俺も笑う。
前回。
この場所にはミョンがいた。
スピーカーの前に立って。
録った音を何度も聞いて。
「残ったのう」
と言っていた。
今日は。
いない。
それでも。
前ほど、そのことが気にならなかった。
「アキ」
「何」
「ぼーっとしてる」
シズク。
「してない」
「した」
「ちょっとだけ」
「ミョン?」
「少し」
「そっか」
それだけ。
もう。
いないことを説明しなくてもいい。
◇
ドラム。
ベース。
ギター。
順番に録る。
前回よりずっと早い。
「ヒロキ、一発?」
俺が聞く。
「二発」
「十分早い」
「一回目、最後ちょっと嫌だった」
「分かんなかった」
「俺は分かった」
「珍しくこだわるな」
「ドラムだから」
「そこだけ職人気質」
シズクのベースも。
前回より早かった。
Blue Motelで覚えた弾き方。
そこからさらに変わったフレーズ。
「ここ、やっぱりそれで行く?」
俺が聞く。
「変?」
「いや。好き」
「じゃあこれ」
「うん」
それだけで決まる。昔は、レンがどう歌うかを考えてから、その隙間をどう埋めるか決めることが多かった。
今は、俺の歌とシズクのベースとヒロキのドラムを最初から三つ並べて考える。それが、いつの間にか普通になっていた。
◇
「じゃあ歌いこうか」
「はい」
マイクの前に立つ。
前回ほど緊張しない。
ヘッドホン。
音。
イントロ。
歌い出す。
一番。
二番。
サビ。
最後まで。
「一回聞こうか」
ブースを出る。
再生。
自分の声。
まだ好きではない。
でも。
「前より嫌じゃない」
「何が?」
シズクが聞く。
「自分の声」
「慣れたんじゃない?」
「かな」
ヒロキが言う。
「俺も前よりボーカルっぽいと思う」
「ボーカルっぽい?」
「うん」
「俺、ボーカルなの?」
「まだ言ってる?」
シズク。
「一応ギターボーカルじゃないの?」
「……そうなるのか」
「他に何」
「ギター兼歌」
「同じ」
「呼び方が」
「面倒」
「はい」
笑われる。
俺も。
もう否定する気はあまりなかった。
「もう一回だけ歌いたい」
俺が言う。
「どこ?」
「全部」
「珍しい」
「一回目悪くないけど」
「うん」
「もうちょい行ける気がする」
自分で言って。
少しだけ驚いた。
前なら。
失敗しないように。
正しく歌えるように。
そればかり考えていた。
今日は。
もっとよくしたい。
それだけだった。
◇
二回目。今度は、マイクの向こうに誰か一人を思い浮かべるのをやめた。レンでも、客でも、ミョンでもない。
この曲を鳴らしている三人。それだけでいい。イントロから歌い、サビで声を出し、最後まで歌い切った。
「……今の」
ヘッドホンから声。
「よかったね」
「ありがとうございます」
ブースを出る。
シズクが頷いた。
「今の」
「俺も」
ヒロキ。
「じゃあこれ?」
「うん」
決まった。
ミョンはいない。
誰にも聞かなかった。
それでも。
ちゃんと決まった。
◇
ミックスの簡単な確認まで終わって。
スタジオを出たのは夕方だった。
「腹減った」
ヒロキ。
「今日ラーメン?」
「今日は寿司でもいい」
「急に豪華」
「回るやつ」
「それなら」
シズクがスマホを見る。
「近くにあるよ」
「行く?」
「行く」
二人が俺を見る。
「アキは?」
「行く」
「即答珍しい」
「今日は腹減った」
「歌ったから?」
「多分」
三人で歩く。
何でもない。
普通の帰り道。
でも。
こういうのが。
前より増えた。
◇
寿司屋を出たあと。
ヒロキは駅へ。
シズクも別方向へ帰った。
「じゃあね」
「おつかれ」
「ミックス来たら送って」
「うん」
一人になる。
少し迷って。
神社へ向かった。
「……また来た」
誰に言うでもなく呟く。
鳥居。
境内。
社。
もう何度来たか分からない。
「ミョン」
呼ぶ。
返事はない。
「今日、録ったぞ」
静か。
「二曲目」
社の前へ行く。
「前より早く終わった」
返事なし。
「俺、歌も二回で終わった」
少し得意になっている自分が恥ずかしい。
「……だから何って感じだけど」
座る。
今日は菓子を持ってきていない。
「そういえば菓子ないわ」
何となく笑う。
「怒るかな」
風が吹く。
鈴は鳴らない。
「ミョン」
少しだけ。
間を置く。
「俺さ」
言う。
「もう、お前いなくても決められるようになった」
静か。
「曲も」
「歌も」
「バンドも」
一つずつ。
「シズクが他のバンド行くかもって時も」
「怖かったけど」
「止めなかった」
少しだけ笑う。
「まあ、神社まで相談しに来たけど」
返事はない。
「でも」
社を見る。
「だからって」
言葉を選ぶ。
「お前がいらなくなったわけじゃないからな」
風。
遠くの車。
「そこは間違えるなよ」
少し待つ。
何もない。
「……聞いてる?」
ちりん。
小さく。
鈴が鳴った。
「いた」
笑う。
「返事それだけ?」
もう一度。
ちりん。
「はいはい」
立ち上がる。
「じゃあ帰る」
鳥居へ向かう。
「今度のライブ」
一度振り返る。
「来れたら来いよ」
返事はない。
「新曲やるから」
そのまま歩き出す。
◇
次のライブは。
『昨日までの音』を出してから、少し大きめのイベントだった。
対バンも多い。
俺たちより長く活動しているバンドもいる。
楽屋に入ると。
知っている顔が増えていた。
「雨音クラブですよね」
知らないバンドの人に声をかけられる。
「あ、はい」
「昨日までの音、聞きました」
「ありがとうございます」
「今日やります?」
「やります」
「楽しみにしてます」
相手が離れてから。
俺はシズクを見る。
「怖」
「また?」
「知らないバンドの人まで聞いてる」
「いいことじゃん」
「分かってる」
「顔に出すぎ」
「出してない」
「出てる」
ヒロキが横から言う。
「今日は前よりまし」
「基準それなんだ」
「成長」
「褒めてる?」
「かなり」
「はいはい」
◇
本番。
三人でステージに出る。
マイクの前。
客席。
前より人がいる。
怖い。
でも。
逃げたいとは思わない。
「雨音クラブです」
拍手。
ヒロキを見る。
カウント。
始まる。
◇
三曲目。
『昨日までの音』
もう。
客席で口ずさむ人が一人ではなかった。
何人か。
小さく。
でも確かに。
歌っている。
俺たちの曲。
四曲目。
『ここで鳴らす』
「次、新しい曲です」
言う。
「まだ配信してません」
客席から、
「いつ出すの?」
声。
思わず笑った。
「今録ってます」
少し拍手。
「そのうち出します」
シズクが横から小声で言う。
「たぶんって言わなかった」
「あ」
客席にまで聞こえたらしい。
笑いが起きた。
「出します」
もう一度言う。
また笑い。
俺も笑う。
「『ここで鳴らす』」
ヒロキのカウント。
音。
◇
ギターとベースとドラム、その中で歌う。今いる場所で、今の形のまま鳴らす。
サビに入って客席を見渡した時、ステージ袖に小さな影が見えた。見覚えのある服。壁にもたれ、腕を組んで笑っている。
ミョンだ。
一瞬、声が詰まりかけた。目が合うと、ミョンが何か口を動かした。音は届かなかったのに、不思議と分かった。
鳴らせ。
たぶん、そう言った。
俺は前を向き、そのまま最後まで歌った。
音が止まる。
拍手。
ステージ袖を見る。
もう。
いなかった。
でも。
「……来たじゃん」
小さく言う。
「何?」
シズク。
「何でもない」
◇
ライブが終わる。
物販。
片づけ。
挨拶。
全部終わって。
三人で外へ出た。
「今日ラーメン?」
俺から言った。
ヒロキがこっちを見る。
「珍し」
「何」
「アキから言った」
「腹減った」
「行く」
シズクも笑う。
「私も」
三人で歩く。
「そういえば」
シズクが言う。
「ミョン来た?」
「うん」
「見えた?」
「一瞬」
「何て?」
「聞こえなかった」
「じゃあ何してたの」
「笑ってた」
「そっか」
「たぶん」
少し考えて。
「鳴らせって言った」
「聞こえてないのに?」
「分かるんだよ」
ヒロキが言う。
「もう長いしね」
「何が」
「付き合い」
「ミョンと?」
「うん」
「友達じゃないって言ってたのに」
「……」
前に。
そんな話をした。
友達か。
神様か。
何なのか。
「まあ」
「何」
「友達でもいいのかも」
シズクが笑う。
「本人に言ったら?」
「絶対調子乗るから嫌」
「それも友達っぽい」
「うるさい」
三人で笑いながら歩く。俺は一度だけ後ろを見た。誰もいない。
それでいい。今日はちゃんと来て、ちゃんと聞いていた。それだけで十分だった。
雨音クラブは。
もう。
解散しないためだけに続いているわけじゃない。
次の曲を作りたい。
次のライブをやりたい。
もっと。
三人で音を鳴らしたい。
願いが叶ったあとにも。
ちゃんと。
続きがあった。




