第二十三話 もう、元には戻らない
次のライブまで、あと三日。
雨音クラブのグループチャットに、ライブハウスから連絡が来た。
『出演予定だった一組がキャンセルになりまして、可能であれば持ち時間を二十五分から三十五分に延ばせますが、いかがでしょうか』
「……三十五分?」
俺はスマホを見たまま固まった。
今のセットリストは五曲。
二十五分でちょうどいい。
持ち時間が十分も増える。
「無理じゃない?」
通話越しにシズクが言った。
「一曲増やせばいける?」
『曲間込みなら、六曲でギリ』
ヒロキ。
「六曲」
『昔の曲戻せば?』
「どれ」
『前外したやつ』
すぐに分かった。
レンの声ありきだった曲。
三人になって最初のライブで、セットリストから外した。
「……あれか」
『アキ歌える?』
「歌えるかどうかなら、歌える」
『じゃあそれでよくない?』
ヒロキは簡単に言う。
でも。
少し迷った。
音域だけなら問題ない。
練習すれば間に合う。
ただ。
「一回スタジオでやってから決めたい」
『明日取れる?』
シズク。
「見てみる」
予約サイトを開く。
夜。
一枠だけ空いていた。
「取れた」
『じゃあ明日』
『了解』
通話を切る。
部屋が静かになる。
ミョンはいない。
もう、それが普通になりつつあった。
「……昔の曲か」
ギターを持つ。
コードは覚えている。
イントロも。
歌詞も。
一人で弾いてみる。
最初の一行。
声を出す。
すぐに止めた。
「違うな」
誰にも聞かずに。
自分でそう思った。
◇
翌日。
スタジオで、その曲を三人で合わせた。
イントロ。
ヒロキのドラム。
シズクのベース。
俺のギター。
歌い出す。
最後まで。
演奏自体はできた。
「……どう?」
シズクが聞く。
「できる」
「うん」
ヒロキも頷く。
「普通にできる」
「でも」
俺はマイクから離れた。
「やりたくない」
二人が少し黙った。
「何で?」
シズクが聞く。
「分かんない」
「歌いづらい?」
「それもあるけど」
違う。
もっと単純だ。
「今の雨音クラブの曲じゃない気がする」
口に出した。
ヒロキがスティックを膝に置く。
「昔の曲だから?」
「昔の曲全部が嫌なわけじゃない」
「じゃあこれだけ?」
「うん」
「俺が歌うと」
少し考える。
「代わりに歌ってる感じがする」
シズクが頷いた。
「分かる」
「やっぱり?」
「うん」
ヒロキも、
「俺も前からちょっと思ってた」
と言った。
「早く言えよ」
「聞かれなかったし」
「そういうとこだぞ」
「何が」
「いや、もういい」
俺はスマホを見る。
「じゃあどうする」
「二曲目の新曲」
シズクが言った。
「まだ完成してないだろ」
「あと少しじゃん」
「歌詞も途中」
「三日ある」
「三日しかない」
「アキならできる」
「簡単に言うなよ」
「最近それ言わなくなったと思ったのに」
「こういう時は言う」
ヒロキが言う。
「俺は新曲の方がいい」
「お前まで?」
「昔のやつ戻すより」
「理由」
「今の方が楽しい」
短い。
でも。
十分だった。
「……じゃあ完成させる?」
「うん」
シズク。
「やろう」
ヒロキ。
三人で。
昔の曲を戻す代わりに。
新しい曲を一つ増やす。
「無茶だな」
「雨音クラブっぽいんじゃない?」
シズクが笑う。
「どこが」
「ギリギリで何とかする感じ」
「褒めてないだろ」
「半分」
「やっぱり」
◇
そこから二時間。
新曲を詰めた。
サビ。
まだ弱い。
「もう一回」
「今ので四回目」
ヒロキが言う。
「あと一回」
「五回目」
「数えんな」
シズクがベースを鳴らす。
「サビの頭、ギター減らしたら?」
「減らす?」
「歌、前に出したい」
「俺の?」
「他に誰が歌うの」
「そうだけど」
「まだそこ慣れないの?」
「ちょっと」
「もう何本ライブ出たと思ってるの」
「数えてない」
「私も」
「じゃあ言うなよ」
ギターを減らす。
その分。
声が出る。
「……怖」
「何が」
「隠れられない」
「隠れなくていいじゃん」
「簡単に言うな」
「出た」
シズクが笑う。
ヒロキも笑っている。
「うるさい」
もう一回。
今度はギターを減らしたまま。
サビ。
声。
ベース。
ドラム。
隙間。
前よりいい。
「これ」
俺が言う。
「うん」
シズクも頷く。
ヒロキも、
「俺もこっち」
と言った。
そこから。
歌詞。
最後の二行。
「何かない?」
俺が聞く。
「それ作曲者に聞く?」
「三人の曲だろ」
「都合いい時だけ使うね」
「いいから」
シズクは少し考える。
「この曲って何の歌なの」
「……」
「そこから?」
ヒロキ。
「いや、なんとなくはある」
「何」
「前に進むとかじゃない」
「うん」
「戻るでもない」
「うん」
「ただ、今いるところで鳴らす」
口にしてみる。
シズクが少し黙る。
「それじゃない?」
「何が」
「そのまま」
「歌詞に?」
「うん」
スマホのメモを見る。
今いるところ。
鳴らす。
「……ダサくない?」
「雨音クラブが言う?」
「お前までミョンみたいなこと言うなよ」
「でも分かりやすい」
ヒロキが言う。
「俺は好き」
「珍しく意見あるな」
「曲の最後なら」
少し変える。
そのままでは使わない。
でも。
言いたいことはそこだった。
文字を打つ。
消す。
もう一度。
「これ」
二人に見せる。
シズクが読む。
「いいんじゃない?」
ヒロキも。
「俺も」
「じゃあ」
最後まで歌う。
サビ。
最後。
音が消える。
三人とも黙った。
「……完成?」
ヒロキ。
「たぶん」
「たぶん禁止」
シズク。
「完成」
「はい」
「曲名どうする」
「また?」
ヒロキがだるそうに言う。
「必要だろ」
「歌詞からでいいんじゃない」
「どこ」
シズクがスマホを見る。
「『ここで鳴らす』」
「そのまま?」
「覚えやすい」
口にしてみる。
「ここで鳴らす」
悪くない。
「ミョンに聞いたらダサいって言いそう」
「何でも言うでしょ」
「雨音クラブよりましじゃ、とか」
「言いそう」
三人で笑った。
ミョンはいない。
でも。
こいつなら何を言うか。
なんとなく分かるようになっていた。
◇
ライブ当日。
持ち時間は三十五分。
六曲。
三人になってから一番長い。
「喉大丈夫?」
シズクが聞く。
「大丈夫」
「ほんと?」
「水ある」
「そういう問題?」
「何とかなる」
ヒロキはいつも通り。
「終わったらラーメン?」
「今日それ言うの早くない?」
「長いから腹減りそう」
「始まる前だぞ」
「大事」
「はいはい」
ステージ袖。
客席を見る。
前より人がいる。
『昨日までの音』を配信してから。
少しずつ。
本当に少しずつ。
雨音クラブを見に来る人が増えた。
「アキ」
シズクが言う。
「何」
「今日、顔そんな固くない」
「慣れた」
「成長」
「褒めてる?」
「かなり」
「それヒロキのやつ」
「使いやすい」
スタッフから合図。
ヒロキが先に出る。
シズクも。
俺も続く。
一瞬だけ。
ステージ袖を見る。
誰もいない。
「……来てないか」
小さく言う。
でも。
止まらない。
マイクの前へ。
「雨音クラブです」
拍手。
ヒロキを見る。
カウント。
一曲目。
◇
四曲目。
『昨日までの音』
客席で、最初の歌詞を口ずさんでいる人がいた。
気づいた。
聞こえないくらい小さく。
でも。
口が動いている。
自分たちが作った歌を。
知らない誰かが覚えている。
一瞬。
声が詰まりそうになった。
そのまま歌う。
最後まで。
拍手。
「ありがとうございます」
息を整える。
「次、新しい曲やります」
客席から声。
「新曲?」
少し笑った。
「昨日できました」
笑いが起きる。
シズクが横で、
「言わなくていいのに」
と小さく言った。
「ほんとだから」
「ギリギリすぎ」
「雨音クラブっぽいらしいから」
ヒロキが後ろから、
「誰が言ったの」
「シズク」
「言ってない」
「言った」
また少し笑いが起きる。
客と話している。
俺が。
前なら。
レンの役だった。
今は。
別に。
誰の役でもない。
「『ここで鳴らす』」
ヒロキがスティックを上げる。
カウント。
新曲。
◇
最初の音が鳴る。ギター、ベース、ドラム、その上に俺の声。昨日まで三人で作っていた、まだ誰も知らない曲だ。
でも、今日ここで鳴らせば、この音もここから残っていく。サビではギターを減らし、隠れる場所をなくしたまま声を前に出す。怖さはある。それでも客席を見て、シズクとヒロキの音を聞き、最後の二行まで歌い切った。
最後の音が消えた一拍あと、大きな拍手が返ってきた。
「……ありがとうございます」
俺は笑っていた。
たぶん。
◇
六曲目。
最後。
喉はもう限界に近い。
「次で最後です」
客席から、
「えー!」
と声。
「俺ももう無理です」
笑い。
言ってから。
自分でも少し驚いた。
普通に喋れている。
「また来てください」
言う。
「俺らも続けるんで」
その瞬間。
ステージ袖。
ちりん。
聞こえた。
一瞬。
神社の鈴。
顔を向ける。
誰もいない。
でも。
「……来たな」
小さく言った。
「何?」
シズク。
「何でもない」
前を見る。
ヒロキがカウント。
最後の曲。
鳴らす。
三人で。
最後まで。
◇
ライブが終わった。
ステージを降りる。
「死ぬ」
壁にもたれる。
「生きてる」
シズク。
「喉ない」
「ある」
「水」
「はい」
「ありがとう」
ヒロキが後ろから来る。
「普通に三十五分いけたね」
「普通って言うな」
「かなりよかった」
「今日はちゃんと褒めた」
「珍しい」
「失礼」
俺はステージ袖を見る。
やっぱり。
誰もいない。
「ミョン?」
シズクが聞いた。
「鈴だけ」
「聞こえた?」
「うん」
「じゃあ来てたんじゃない?」
「たぶん」
「よかったね」
俺は少し考えてから。
「うん」
と言った。
それで十分だった。
◇
物販が終わったあと。
三人で外へ出る。
「ラーメン」
ヒロキが言う。
「やっぱり行くんだ」
「今日は絶対」
「私も行く」
シズク。
「じゃあ三人で」
夜の札幌を三人で歩く。前はここにレンがいて、そのあとにはミョンがいた。今はシズクとヒロキと俺。それでも、足りないとは思わなかった。
これから増えることも、減ることもあるのかもしれない。それでも、それだけで終わりじゃない。
「アキ」
シズクが言う。
「何」
「今日の新曲、よかったね」
「うん」
「配信する?」
「早くない?」
「でも録りたい」
ヒロキが言う。
「俺も」
「珍しい」
「ドラム録るの好きって言ったじゃん」
「覚えてる」
「じゃあ決まり?」
少し考える。
「録ろう」
「うん」
また次の話をしている。それが、今は一番嬉しかった。
もう元の雨音クラブには戻らない。戻る必要もない。今の音を、また残していけばいい。




