第二十一話 選ぶのは、シズクだ
シズクがBlue Motelのサポートに入る日。
俺は結局、ライブを見に行った。
「ほんとに来たんだ」
受付の前でシズクに会うなり、そう言われた。
「行っていいって言っただろ」
「言ったけど」
「嫌だった?」
「別に」
「その別に、もう信用しないからな」
「じゃあ、ちょっと恥ずかしい」
「何で」
「雨音クラブの人に違うバンドで弾いてるところ見られるの」
「今さら?」
「アキだって、自分の歌ってる動画見るの嫌じゃん」
「……それはそう」
「でしょ」
シズクはいつもより少し派手だった。
黒い服なのは変わらない。
でもメイクも濃いし、髪もいつもと違う。
「何」
シズクが俺を見る。
「いや」
「何か言いたそう」
「バンギャ感増してるなって」
「もともとだけど」
「知ってる」
「失礼」
そこへヒロキが来た。
「おつかれ」
「来たんだ」
「暇だった」
「アキと同じこと言ってる」
「俺はちゃんと来るって言った」
「暇ならって言ってたじゃん」
「今日は暇だった」
「ぶれないね」
シズクが笑う。
「じゃあ、私もう行くから」
「頑張って」
「うん」
少し歩いて。
シズクが振り返った。
「変でも笑わないでよ」
「笑わねえよ」
「ヒロキは?」
「眠くなったら寝るかも」
「帰って」
「冗談」
「絶対半分本気でしょ」
シズクはそのまま楽屋へ入っていった。
◇
Blue Motelの客は、雨音クラブより多かった。
「結構入ってるな」
「うん」
フロアの後ろ。
ヒロキと並んで立つ。
「シズク緊張してるかな」
「してるでしょ」
「見えないけど」
「アキよりは顔に出ないから」
「俺そんな出る?」
「出る」
「お前らみんな言うよな」
「出てるから」
照明が落ちる。
歓声。
Blue Motelが出てくる。
最後にシズク。
「……なんか変」
俺が言う。
「何が」
「シズクが知らないバンドの人みたい」
「もう始まる前からそれ?」
「そういう意味じゃなくて」
ヒロキは笑った。
「見れば」
「分かってる」
一曲目。
俺はすぐに黙った。
シズクのベース。
知っている。
毎週聞いている。
雨音クラブで。
でも。
全然違った。
音がもっと前に出ている。
Blue Motelのドラムに合わせて、いつもより動く。
雨音クラブでは使わないフレーズもある。
「……上手いな」
「シズク?」
「うん」
「今さら?」
「最近そればっかり言われる」
「メンバーの音って、意外と単体で聞かないからね」
「そうなんだよな」
二曲目。
三曲目。
シズクは普通に馴染んでいた。
ずっとこのバンドにいたみたいに。
胸の奥が少しだけざわつく。
でも。
前みたいな怖さとは違った。
「アキ」
「何」
「顔」
「何」
「また考えてる」
「ちょっと」
「シズクが取られるとか?」
「……少し」
「また?」
「少しって言っただろ」
ヒロキがステージを見る。
「でも、楽しそうじゃん」
「うん」
「ならよくない?」
「そうだな」
今度は。
ちゃんとそう思えた。
◇
ライブが終わったあと。
シズクはしばらく戻ってこなかった。
俺とヒロキは入口近くで待っていた。
「長くない?」
「片づけあるんでしょ」
「そうだけど」
「腹減った」
「またそれ?」
「今日何食う?」
「まだ決めなくていいだろ」
「大事」
「はいはい」
十分。
二十分。
ようやくシズクが出てきた。
「ごめん」
「おつかれ」
「どうだった?」
少し不安そうな顔。
「よかった」
「ほんと?」
「うん」
ヒロキも頷く。
「いつもと全然違った」
「それ褒めてる?」
「かなり」
「ヒロキがかなりって言うなら褒めてる」
「基準そこ?」
シズクが少し笑った。
でも。
何か変だった。
「どうした?」
「え?」
「なんかあった?」
「……」
シズクが黙る。
その時。
楽屋の方から男が一人出てきた。
Blue Motelのギター。
「あ、シズク」
「はい」
「さっきの話、急がなくていいから」
「あ、はい」
「また連絡する」
「ありがとうございます」
男は俺たちに軽く頭を下げて、外へ出ていった。
俺はシズクを見る。
「さっきの話って何」
「……」
「シズク」
「飯行かない?」
ヒロキが言った。
「今?」
「話すなら座った方がよくない?」
珍しく。
一番空気を読んでいた。
◇
近くのファミレス。
三人。
シズクはアイスコーヒーを前にしたまま、ほとんど飲んでいない。
「で」
俺が言う。
「何言われたの」
「……正式に入らないかって」
分かっていた気がした。
でも。
実際に聞くと、やっぱり胸が沈んだ。
「Blue Motelに?」
「うん」
「ベースの人は?」
「しばらく戻れないらしい」
「腕?」
「それもあるけど、本人も活動続けるか迷ってるって」
「それでシズク?」
「今日やってみて、よかったからって」
ヒロキが聞く。
「返事した?」
「まだ」
「そっか」
俺は何も言えなかった。
シズクがこっちを見る。
「何か言ってよ」
「何を」
「何でも」
「……いつまでに返事?」
「一週間くらい」
「そう」
「それだけ?」
「だって」
言葉を探す。
前なら。
たぶんすぐ言った。
やめろ。
雨音クラブにいろ。
でも。
それは違う。
「俺が決めることじゃない」
シズクが少しだけ目を細めた。
「うん」
「シズクが決めることだから」
「……うん」
「だから」
その先が出てこない。
ヒロキは黙っている。
「だから何」
シズクが聞く。
「分かんない」
「何それ」
「行ってほしくないとは思う」
言った。
ちゃんと。
「でも、それで断れとは言えない」
「……」
「今日見てて、合ってたし」
「アキ」
「楽しそうだった」
「うん」
「雨音クラブよりでかいし」
「それは今関係ない」
「あるだろ」
「ない」
「でも」
「私が何でバンドやってると思ってるの」
止まった。
「……音楽好きだから?」
「それもある」
「じゃあ何」
「雨音クラブが好きだから」
シズクはまっすぐ俺を見る。
「Blue Motelが大きいからって、それで行くと思ってる?」
「思ってない」
「ちょっと思ってたでしょ」
「……ちょっと」
「正直すぎ」
「ごめん」
シズクは小さく息を吐いた。
「私も迷ってる」
「うん」
「今日、楽しかった」
「うん」
「普段やらない音も出せたし」
「うん」
「向こうの人たちもいい人だった」
「うん」
「だから余計」
指でグラスの水滴をなぞる。
「雨音クラブ辞めるとかじゃなくて」
「掛け持ち?」
「できるなら」
「向こうは?」
「一応、専任でって言われた」
また胸が重くなる。
「……そっか」
「だから迷ってる」
ヒロキがやっと口を開いた。
「シズクはどうしたいの」
「それが分かんないから迷ってる」
「どっちが好き?」
「そういう単純な話じゃない」
「じゃあ」
ヒロキは少し考えた。
「どっちをなくしたくない?」
シズクが止まった。
俺も。
「……何それ」
「好きとか楽しいだと、どっちもあるんでしょ」
「うん」
「じゃあ、なくなったら嫌な方」
「ヒロキ」
「何」
「たまにすごいこと言うよな」
「たまに余計」
「シズクまで」
ヒロキはコーラを飲んだ。
「俺ならそう考える」
「お前なら?」
「雨音クラブ」
即答だった。
「え」
俺が言う。
「何」
「お前、別に絶対続けたいわけじゃないとか言ってたじゃん」
「前はね」
「今は?」
「なくなるのは嫌」
ヒロキはそれだけ言った。
何でもないみたいに。
「……なんか」
「何」
「お前からそれ聞くと、結構くるな」
「重い」
「言わせたのそっちだろ」
シズクが少し笑った。
「そっか」
そのあとは。
Blue Motelの話をしなかった。
◇
家に帰る。
ミョンはいない。
机の上の菓子は三袋になった。
「増えたぞ」
言う。
「もう買わないって言ったのにな」
返事はない。
ギターを持つ。
今日聞いたシズクのベースが頭に残っている。
いつもと違う。
あの音。
「……よかったんだよな」
悔しいわけじゃない。
むしろ。
ちょっと嬉しかった。
自分たちのメンバーが。
知らない場所でもちゃんと音を出していたことが。
「でも取られたくはない」
小さく言う。
情けない。
また形にこだわっている。
ミョンならそう言うかもしれない。
「分かってるよ」
誰もいないところへ言う。
「分かってるけどさ」
ギターを鳴らす。
作りかけの二曲目。
まだタイトルはない。
イントロ。
途中まで歌う。
止める。
「……シズクいないと、この曲どうなるんだろ」
考えてしまった。
雨音クラブ。
レンが抜けた。
三人になった。
続けられた。
じゃあ。
二人でも?
「嫌だな」
即答した。
そんなの考えたくない。
スマホが震えた。
シズク。
『今日は来てくれてありがとう』
返信する。
『よかったよ』
『ほんと?』
『ほんと』
『雨音クラブとは全然違ったけど』
『知ってる』
少し間。
『アキ』
『何』
『もし私がBlue Motel選んだらどうする?』
指が止まった。
何度も文章を打って。
消す。
『雨音クラブ続ける』
送った。
すぐ既読。
『そっか』
『でも』
続ける。
『普通に嫌だよ』
既読。
しばらく返ってこない。
『ありがとう』
それだけだった。
「何がありがとうなんだよ」
スマホを置く。
胸の中は全然すっきりしない。
でも。
止めるとも。
残れとも。
言わなかった。
シズクが選ぶ。
それしかない。
◇
翌日。
仕事帰りに神社へ寄った。
最近。
来る回数が増えている。
「ミョン」
鳥居の前で呼ぶ。
何もない。
中へ入る。
社の前。
「シズク、他のバンドに誘われた」
返事はない。
「俺、止めなかった」
静か。
「偉くない?」
何もない。
「こういう時くらい褒めろよ」
ちりん。
鈴が鳴った。
「……いる?」
耳を澄ます。
「ミョン」
少しして。
声。
「偉くはない」
「は?」
小さい。
でも聞こえる。
「普通じゃ」
「厳しくない?」
「選ぶのは、その女じゃろう」
「分かってるよ」
「ならよい」
「よくないから来てんだけど」
「何が嫌なのじゃ」
「いなくなるかもしれない」
「またそれか」
「分かってるって」
「では」
「怖いものは怖い」
先に言った。
ミョンが黙る。
「前にも言っただろ」
返事はない。
「怖いけど、止めない」
少し間。
「それでいい?」
聞いてから。
すぐ気づいた。
「……違うな」
自分で笑った。
「またお前に聞いてる」
静か。
「自分で決めるわ」
立ち上がる。
「シズクがどっち選んでも」
鳥居の方を見る。
「俺は雨音クラブ続ける」
言う。
「ヒロキもいるし」
少し考えて。
「一人になっても、多分やる」
言ってから。
本当にそうかと思った。
でも。
口にしたら、少しだけ腹が決まった。
「じゃあ帰る」
返事はない。
一歩。
二歩。
「アキ」
声。
振り返る。
「何」
「少しは、ましになったのう」
「何が」
「音」
「今日何も弾いてないけど」
「そういう音ではない」
「また難しいやつ」
返事はなかった。
「ミョン?」
静か。
「……最後まで喋れよ」
でも。
今日は少しだけ。
笑って帰れた。
◇
三日後。
スタジオに入ると。
シズクが先に来ていた。
「おつかれ」
「おつかれ」
顔を見る。
何となく分かった。
「返事した?」
「うん」
「Blue Motel」
「うん」
「どうした」
シズクはベースケースを床に置いた。
「断った」
胸の奥が一気に軽くなった。そのことを隠そうとも思わなかった。
「……そっか」
「嬉しそう」
「嬉しいよ」
「正直」
「だって」
「でも」
シズクが言う。
「アキが嫌って言ったからじゃないよ」
「分かってる」
「ほんと?」
「うん」
「自分で決めた」
「うん」
「雨音クラブがいいって」
「……うん」
それだけで。
十分だった。
「ただ」
「何」
「サポートはまた頼まれたらやる」
「それはいい」
「即答できるようになったね」
「成長しただろ」
「ちょっとだけ」
「そこは褒めろよ」
ドアが開く。
ヒロキ。
「おつかれ」
「遅い」
「二分前」
「アキと同じこと言ってる」
「俺ら悪くないだろ」
ヒロキがドラムの方へ歩く。
「で、どうなった?」
「雨音クラブ続ける」
シズクが言う。
ヒロキは一瞬だけ止まった。
「そっか」
「それだけ?」
「よかった」
いつもの声。
でも。
少しだけ笑っていた。
「じゃあ」
俺はギターを出した。
「新曲やる?」
「やろう」
シズクもベースを持つ。
ヒロキがスティックを上げる。
三人。
また。
三人で鳴らす。
それが。
思っていたよりずっと嬉しかった。




