第十八話 神様がいない
ミョンがいなくなって、二日目。
朝起きても、学校へ行っても、帰ってきても、ミョンの声はしなかった。
「……本当にどこ行ったんだよ」
誰もいない部屋で言う。
当然、返事はない。
机の上には、昨日買った菓子が置いてある。
配信記念。
結局、一日遅れで買った。
いつもなら袋を見るだけで寄ってくる。
「買ったぞ」
言ってみる。
静かだった。
「赤いやつ」
返事はない。
「好きだっただろ」
分かっている。
菓子で呼び出せるようなものじゃない。
それでも、何もしないよりはましだった。
◇
夜。
三人のグループチャットに送った。
『ミョンいなくなった』
最初に既読がついたのはシズク。
『え』
『いつから?』
『昨日の朝』
『神社は?』
『まだ行ってない』
ヒロキ。
『帰ったんじゃないの』
その一文に、少し腹が立った。
『どこに』
『元いたとこ』
『知らん』
『神社じゃないの』
それは俺も思っている。
でも。
行って何もいなかったら。
それを確認するのが嫌だった。
シズクから電話が来た。
「もしもし」
『アキ、大丈夫?』
「何が」
『いや』
「別に普通」
『普通じゃないでしょ』
「何で」
『ミョンいなくなってるんでしょ』
「……うん」
『神社行ってみたら?』
「明日行く」
『今日じゃなくて?』
「もう夜だし」
『前も夜行ってたじゃん』
「雨だったし」
『それ関係ある?』
「分かんない」
言葉が途切れる。
『怖い?』
シズクが聞いた。
「何が」
『いなかったら』
当たっていた。
「……別に」
『アキ、そういう時すぐ別にって言うよね』
「言ってない」
『言ってる』
「じゃあ、ちょっと」
『うん』
「いなかったら嫌だなって」
『そりゃそうでしょ』
「でも」
『何』
「俺が勝手に連れてきたわけじゃないし」
『うん』
「勝手についてきて」
『うん』
「勝手に菓子食って」
『うん』
「勝手にいなくなった」
『怒ってる?』
「ちょっと」
『寂しいんじゃなくて?』
「それも」
言ってから、妙に恥ずかしくなった。
「今のなし」
『無理』
「忘れろ」
『無理』
「ヒロキみたいなこと言うなよ」
シズクが少し笑った。
『明日、私も行こうか?』
「神社?」
『うん』
「ミョン見えないだろ」
『でも一人よりいいじゃん』
「……」
『ヒロキも呼ぶ?』
「来るかな」
『来るでしょ』
「だるいって言いそう」
『言うと思う』
「じゃあ二人でいい」
『分かった』
◇
翌日の夕方。
シズクと神社へ行った。
「ここ?」
「うん」
「思ったより小さい」
「俺も最初そう思った」
鳥居をくぐる。
あの日と同じ境内。
賽銭箱。
鈴。
小さな社。
何も変わっていない。
「ミョン」
呼ぶ。
返事はない。
「ミョン!」
少し大きな声。
誰もいない。
シズクが社の方を見る。
「妙音天って、あれ?」
「そう」
近づく。
札もそのまま。
妙音天。
「本当に書いてある」
「だろ」
「ミョン、ここにいたのかな」
「分かんない」
「お供えとかある?」
「前はあった」
「今日は?」
見る。
何もない。
「ない」
「じゃあ」
シズクがコンビニ袋を差し出した。
「これ置く?」
「何それ」
「お菓子」
「買ってきたの?」
「一応」
「ミョン見えないのに?」
「アキがあれだけ言うから」
「……ありがと」
袋から小さな菓子を出す。
ミョンが好きだった赤い袋。
社の前に置く。
「勝手に供えていいのかな」
「知らない」
「ミョンなら食うよね」
「絶対食う」
二人で少し待った。
一分。
二分。
何も起きない。
「……来ないね」
「うん」
胸の奥が重くなる。
「帰ったのかな」
シズクが言った。
「どこに」
「ここに」
「だったら出てくればいいだろ」
「見えないだけかも」
「俺にも?」
「分かんない」
それが一番嫌だった。
もしここにいて。
もう俺に見えないだけだったら。
「アキ」
「何」
「願い、叶ったんだよね」
「一応」
「解散しなかった」
「うん」
「じゃあ、ミョンの役目終わったとか?」
考えたくなかったことを言われた。
「……それなら」
「うん」
「そう言ってから消えろよ」
シズクは何も言わなかった。
◇
その日のスタジオ。
ヒロキはいつも通りだった。
「見つかった?」
「いない」
「神社も?」
「いなかった」
「ふうん」
「もうちょい心配しろよ」
「心配してる」
「見えない」
「元から見えないし」
「ミョンの話じゃない」
「分かってる」
ヒロキはスティックを持った。
「でも、俺らにできることなくない?」
「……」
「アキにしか見えないし、連絡先ないし」
「それはそうだけど」
「だったら待つしかないでしょ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないけど」
珍しく、ヒロキが少し真面目な顔をした。
「いなくなったやつ追いかけ続けても、どうにもならないことあるじゃん」
レンのことを言っているのかと思った。
でも、聞かなかった。
「とりあえず練習しよ」
「うん」
ギターを繋ぐ。
マイクの前に立つ。
「昨日までの音から?」
シズクが聞く。
「うん」
ヒロキのカウント。
始まる。
イントロ。
歌。
音は出る。
三人とも普通に演奏できる。
なのに。
違う。
何か足りない。
いや。
足りないと思っているだけなのかもしれない。
「止めて」
自分から言った。
「何?」
シズク。
「もう一回」
「どこか変だった?」
「俺」
「歌?」
「多分」
もう一度。
歌う。
やっぱり。
何か違う。
ミョンなら。
今のは違う。
とか。
声が小さい。
とか。
レンがいる。
とか。
何か言う。
でも。
何も聞こえない。
「アキ」
シズクが演奏を止めた。
「何」
「ミョンの声待ってない?」
図星だった。
「……待ってない」
「待ってる」
「分かんないだろ」
「分かる」
「何で」
「アキ、さっきから曲終わるたびに同じ方見るから」
壁際。
いつもミョンが座っていた場所。
自分でも気づかなかった。
「……癖」
「そっか」
ヒロキがスティックを膝に置く。
「じゃあ今日やめる?」
「何で」
「集中できてない」
「できてる」
「できてない」
「ヒロキまで」
「音ずっと硬い」
その言葉で、止まった。
「……分かるの?」
「俺だって何年バンドやってると思ってんの」
「ミョンみたい」
「それは嫌」
「ひど」
「見えないやつと一緒にすんなよ」
少しだけ笑った。
久しぶりに。
「もう一回やる」
俺は言った。
「ミョンいなくても」
シズクが頷く。
「うん」
ヒロキもスティックを上げる。
「じゃあ頭から」
カウント。
イントロ。
今度は壁を見なかった。
◇
練習が終わったあと。
外に出る。
夜の空気。
少し冷たい。
「じゃあね」
シズクが手を上げる。
「おつかれ」
ヒロキも別方向へ歩いていく。
一人になる。
前なら。
ここにミョンがいた。
菓子。
腹減った。
あの曲は嫌だ。
雨音クラブはダサい。
うるさいくらい喋っていた。
「……静かすぎるんだよ」
誰もいない横に言う。
当然、返事はない。
コンビニの前で止まった。
入る。
菓子売り場。
赤い袋。
一つ取る。
レジへ。
何やってるんだろうと思う。
それでも買った。
◇
家に帰る。
机の上には、昨日の菓子。
まだ開いていない。
今日買ったものを、その横に置く。
「二袋になったぞ」
言う。
「早く来ないと増えるからな」
返事はない。
パソコンを開く。
『昨日までの音』。
再生。
ミョンが何度も聞いていた曲。
俺も聞く。
ドラム。
ベース。
ギター。
歌。
三人の音。
最後まで。
曲が終わる。
その直後。
かすかに。
鈴の音がした。
「……え?」
振り返る。
誰もいない。
もう一度再生する。
最後まで。
終わる。
何もない。
「今の何」
ファイルの中か。
外か。
分からない。
もう一度。
最後。
静寂。
やっぱり聞こえない。
「……ミョン?」
小さく呼ぶ。
返事はない。
でも。
さっき確かに。
神社の鈴みたいな音がした。
気のせいかもしれない。
そう思おうとして。
やめた。
ミョンが最初に言っていた。
音は残る。
今は鳴っていなくても。
残っていることがある。
俺はイヤホンを外した。
部屋の静けさに耳を澄ます。
何も聞こえない。それでも、その夜初めて、ミョンは消えたのではなく、どこかにいるのかもしれないと思えた。
根拠は、たった一度の鈴の音だけだった。




