第2話 自販機と二人の出会い
商店街に、風鈴の音だけが静かに響いていた。
俺とあゆみは並んで歩く。
さっきまで一緒にいた大和たちの姿は、もう見えない。
まるで最初から別々の道を進むことが決まっていたかのようだった。
俺は何度もガラケーの画面を見る。
次の目的地 旧商店街中央広場へ
表示はそれだけ。
地図もなければ、現在地も分からない。
「不便だな……。」
思わずつぶやく。
スマホなら地図アプリを開けば一瞬なのに。
検索すれば何でも分かるのに。
「ふふ。」
隣で小さく笑う声がした。
「迷うのも、たまには楽しいですよ。」
あゆみだった。
「え?」
「私は好きです。」
「目的地まで、いろんな景色を見ながら歩くの。」
その言葉に少し驚く。
俺なら真っ先に最短ルートを調べる。
寄り道なんて時間の無駄だと思っていた。
でも今は、その方法すら使えない。
「令和の人って……。」
あゆみが少し遠慮がちに口を開く。
「そんなに急ぐんですね。」
「え?」
「何でもすぐ答えが出るでしょう?」
俺は苦笑した。
「まぁ、そうかな。」
「分からなければ検索。」
「暇なら動画。」
「友達とはSNS。」
「写真も全部スマホ。」
話していて、自分でも少しおかしくなった。
それが当たり前すぎて、説明することすらなかった。
「便利なんですね。」
「あゆみは違うの?」
「私はどうかな。」
少し考えてから答える。
「誰かと遊ぶ約束をするときは、公衆電話か家の電話です。」
「え?」
「待ち合わせも、遅れたら待つしかありません。」
「連絡できないの?」
「はい。」
俺は思わず立ち止まった。
そんな世界が本当にあったのか。
遅刻したら終わりじゃないか。
「でも。」
あゆみは笑う。
「だから会えた時、すごく嬉しいんです。」
その笑顔を見て、返す言葉が見つからなかった。
二人で歩き続ける。
古いゲームショップ。
レコード店。
レンタルビデオ店。
どの店もシャッターは開いているのに、人はいない。
商品だけが、時間を止めたように並んでいる。
「変な街だな。」
「……。」
あゆみは少しだけ表情を曇らせた。
「この街は、ずっとこうなんです。」
「ずっと?」
「気付いたら、人がいなくなっていました。」
「え?」
「だから最初は怖くて。」
彼女はバッグをぎゅっと抱きしめる。
「毎日泣いてました。」
その横顔はどこか寂しそうだった。
聞きたいことは山ほどある。
でも今は聞けない気がした。
代わりに前を見る。
商店街の角に、一台だけ自動販売機が立っていた。
「……あ。」
あゆみの表情がぱっと明るくなる。
「良かった。」
「まだ動いてる。」
近づくと、それは見たことのない自販機だった。
『チェリオス』と書かれた、どこか色あせた赤い自販機。
中には見慣れない缶ジュースや瓶の飲み物が並んでいる。
迷彩柄の缶に、ど派手な黄色い液体。令和では見かけない『バイオガード』という怪しげな炭酸飲料。
「バイオガード……?」
「チェリオス?」
「何これ。」
知らない名前ばかりだった。
「あ。」
「あった。」
あゆみは嬉しそうに瓶入りのコーラを指差す。
「瓶コーラです。」
「飲んだことあります?」
「ない。」
「美味しいですよ。」
そう言って財布を開く。
中には百円玉が数枚。
十円玉も少し。
俺も制服のポケットを探る。
「あれ。」
財布が入っている。
開くと、中身は全部百円玉に変わっていた。
「なんだこれ。」
「お金まで……。」
紙幣はない。
電子マネーもない。
クレジットカードもない。
百円玉だけ。
まるで、この街ではそれしか使えないと言わんばかりだった。
あゆみは百円玉を一枚入れる。
ガコン。
瓶コーラが落ちてきた。
「懐かしい音。」
彼女は嬉しそうに瓶を取り出す。
「蓮くんも飲みます?」
「でも一本しか……。」
「半分こ。」
少し照れたように笑う。
「昔は、友達とよくしてたんです。」
俺は戸惑った。
同じ飲み物を回し飲みするなんて、最近ではほとんど聞かない。
感染症がどうとか。
衛生面がどうとか。
そんな言葉ばかり聞いて育ってきた。
「嫌……ですか?」
あゆみが不安そうに聞く。
「いや。」
「そうじゃない。」
「初めてだから。」
俺は瓶を受け取る。
ガラスのひんやりした感触。
キャップはもう開いていた。
一口飲む。
「んっ!」
シュワッと炭酸が弾ける。
冷たい。
甘い。
でも、ペットボトルとは少し違う。
「美味しい。」
「でしょう?」
あゆみが嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、不思議とさっきまでの不安が少しだけ薄れていく。
すると、ガラケーが震えた。
ピリリリリ……
二人同時に画面を見る。
そこには新しい文字が表示されていた。
イベント開始まで 残り30分
純愛度 0%
「……純愛度?」
俺は思わず顔をしかめた。
ゲームのステータスのような数字。
だけど、その意味だけはまったく分からなかった。
その頃。
商店街の反対側では、大和たち三組もまた、この奇妙なルールに戸惑い始めていた。
ガラケーの画面には、無機質な文字が浮かんでいた。
イベント開始まで 残り30分
純愛度 0%
俺は画面を見つめたまま首をかしげる。
「純愛度って、ゲームの好感度みたいなもの?」
「私も初めて見ました。」
あゆみも不安そうに首を振った。
「今まで、こんな表示はありませんでした。」
「今まで?」
俺はその言葉に引っかかった。
「やっぱり、あゆみはこの街で暮らしてたの?」
彼女は少しだけ視線を落とす。
「……はい。」
「でも、昔のことはあまり思い出せないんです。」
「思い出せない?」
「学校へ行っていたこととか、お母さんがいたこととか……そういうのはぼんやり覚えているんです。でも、顔を思い出そうとすると、霧がかかったみたいになって。」
彼女は困ったように笑う。
「変ですよね。」
「いや……。」
変なのは、この世界そのものだ。
人のいない街。
突然始まったゲーム。
そして、記憶が曖昧な少女。
俺は頭の中を整理しようとするが、分からないことが増えるばかりだった。
二人は再び商店街を歩き始めた。
風が吹くたび、店先の風鈴が涼しげな音を立てる。
文房具店の店頭には、色あせたキャラクターの筆箱。
おもちゃ屋には、箱に入ったままのゲーム機。
CDショップには、今では見かけないランキングポスター。
まるで時間だけが止まった世界だった。
「平成って、こんな感じだったんだ。」
俺がぽつりと呟くと、あゆみは少し笑う。
「蓮くんは、平成を知らないんですよね。」
「生まれたのは平成だけど、小さい頃だから。」
「ちゃんと覚えてるのは令和になってからかな。」
「そっか。」
あゆみは店先に並ぶカセットテープを見つめる。
「私は、この街が好きでした。」
「便利じゃないけど。」
「待つ時間も、遠回りも、全部当たり前で。」
「当たり前?」
「はい。」
「友達との待ち合わせで三十分待つこともありました。」
「今なら、絶対メッセージ送るよ。」
「ふふ。」
「送れませんから。」
二人で顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
この世界に来て初めてだった。
心から笑えたのは。
一方、その頃。
「おい、何だよこれ!」
商店街の反対側では、大和がガラケーを振り回していた。
「純愛度?」
「恋愛ゲームかよ!」
隣ではギャル姿のマミが腕を組んでいる。
「うるさい男ね。」
「騒いでもルールは変わらないでしょ。」
「はぁ?」
「命がかかってるかもしれないんだぞ!」
「だから?」
マミは冷たく言い放つ。
「そんなに怖いなら、一人で逃げれば?」
「……っ。」
大和は言い返せない。
ゲームが始まってから、彼はずっと苛立っていた。
スマホは使えない。
地図もない。
情報もない。
自分の得意だった「勢い」と「腕力」だけでは、この世界はどうにもならない。
翔太と陸も同じだった。
「純愛度って上げればいいんだろ?」
「じゃあ、好きって言えばいいのか?」
「手でも繋ぐ?」
三人は軽口を叩く。
しかし――。
ガラケーの数字は。
**0%**のままだった。
「は?」
「なんで増えねぇんだよ!」
何度試しても変わらない。
まるで見透かされているようだった。
「蓮くん。」
あゆみが急に立ち止まる。
「どうした?」
「聞こえませんか?」
「え?」
耳を澄ます。
遠くから音が聞こえる。
ドンドン。
カンカン。
ピコーン。
電子音。
ゲームセンターのような音だった。
「こんな街なのに?」
「たぶん……。」
あゆみは頷く。
「ゲームセンターです。」
二人は音のする方へ歩いていく。
商店街を抜けると、一軒の古びた建物が見えた。
看板には色あせた文字。
GAME CENTER
ネオンは半分消えている。
入口の自動ドアは開いたまま。
中は薄暗い。
「営業してるのか?」
「誰もいないのに……。」
恐る恐る足を踏み入れる。
すると。
誰もいないはずの店内で、ゲーム機だけが静かに動いていた。
格闘ゲーム。
クレーンゲーム。
音楽ゲーム。
そして、一番奥。
ピンク色に光る一台の機械が目に入る。
「あれ……。」
あゆみが小さく息をのむ。
「プリクラ。」
今では見かけない、古いデザインのプリントシール機だった。
画面は少し荒く、装飾もどこか懐かしい。
その瞬間。
ガラケーが震える。
ピリリリリ……
二人は同時に画面を開く。
第一試練を開始します。
対象アトラクション プリントシール機
制限時間 15分
失敗した参加者は、脱落候補となります。
俺の背筋に冷たいものが走った。
ゲームセンターで試練?
意味が分からない。
だが、それ以上に気になったのは。
店の奥から、誰かの怒鳴り声が聞こえてきたことだった。
「は? マジで意味分かんねぇんだけど。なんで上がらねぇの?何で増えねぇんだよ!」
その声は間違いない。
大和だった。
俺はあゆみと顔を見合わせる。
そして二人は、恐る恐る声のするプリクラコーナーへと歩き出した――。
その先で待つものが、一人目の脱落者を生むとも知らずに。




