もう、この道しか残されていない
ふらふらとした足取りで帰宅したリベリアを待っていたのは、王都でも特に有名だとされている教師だった。
男でも女でも関係なく、知識やマナーを叩き込んでくれる。それがたとえ問題児であろうとも遠慮なんかしない、とも有名だ。
「リベリア嬢、お初にお目にかかります」
にこりと微笑んで挨拶をしてくれたものの、リベリアは目の前の相手が誰だか分からない。
だから、口からそのまま出てきた言葉を吐き出してしまった。
「だ、誰……?」
それを聞いた教師の顔からは、笑顔が消える。
「あらまぁ……まるでなっておりませんのね。なるほどなるほど……。確かにこれは……ふふ」
教師の背後では、両親がガタガタと震えながら顔色を悪くして立っていた。
この教師を手配したのはグロネフェルト家であり、断ることはできなかった。ジェレミーに相応しい嫁になってくださいね、などと言われれば『分かりました』と答えることしか出来ない。それが例え、ジェレミーを不要だとして家から切り離していたとしても、だ。
とはいえ、多少なりとも残っているらしい娘可愛さという心から、何かしらの反論はしてくれたらしいが、そんなもの少しの効果もなかったらしい。
「貴女が、 リベリア嬢ですね?それは間違いございませんか?」
「だから、貴女は……」
「あら……まぁ。自己紹介もできない……なるほどなるほど。そうですか……」
その教師の視線が、ゆるりと両親に向けられる。教師の視線はとてつもなく鋭く、まるで両親は刃物を向けられているかのように震えているではないか。
「……今まで、どのようなご教育を受けさせたら、こうなるんです?」
「それ、は」
「あの」
今まで好き勝手させてきました。
リベリアの尻拭いはレイラの役目です。
だから私たちはなーんにも知りません。
……だなんてこと、言えるはずもない。
「リ、リベリアは……その、体が弱くて!」
「体が弱い?」
「そうなんです!だからあまり無理をさせたくなくて……」
「無理をさせたくないから非常識に育てた、と?」
ズバリ言われてしまい、両親は色々な意味でトドメを刺されてしまった。
いくら身内だから見逃されているとはいえ、実際のところの見え方なんて、こんなもんである。
「そうですか……世の中には体調が悪い、そしてリベリア様のように体が弱いご令嬢も多々いらっしゃいます。ですが、皆様ご自身の出来ることを、出来る範囲でされておりますよ?」
ニコニコと笑いながら言われているためか、圧を感じてしまう。
「で、でも私は咳病が!」
「治療薬を正しく服用していただければ、リベリア嬢のご年齢ではとっくに治っていると思いますが……」
正論で容赦なく殴られているような感じがして、リベリアの目にはじわりと涙が滲んだ。
「リベリア嬢は、少しだけ人とスタートがズレているだけです。今からしっかりやれば、三ヶ月後にはきっと最低限のマナーは身につきます。えぇ、そうなるように致しましょう」
「さん、か、げつ?」
まさか、とリベリアの顔色が悪くなる。
「みっちりと、三ヶ月間、お勉強いたしましょう。卒業式はご出席いただいて問題ございませんので」
「あ……」
必要なことなのだ、と理解はしている。
だがしかし、嫌なものは嫌だ、とリベリアは思ってしまう。
今までならば、嫌なことは全てレイラに押し付けていた。それで何もかもが問題なかったし、リベリアがいる世界はとてつもなく楽しいことばかりだった。
それなのに、と悔しくなってしまうが、それこそ身勝手過ぎる思いなのだとは、気付かない。
「ま、待ってよ!体調が悪い時はどうするの!?私、無理をしたらすぐに熱が……」
「熱冷ましを服用なさいませ」
教師は、どこまでも容赦がない。もっと小さい頃からきちんとしていたならば、こんな風にはならなかったのにね、とこの教師も勤務時間外に友人にボヤいていた。
「貴女は、圧倒的に教育が足りていないのです。だから、今から必死に取り戻さなければならない。噂では聞いておりますが、頼みの綱のレイラ嬢はおりません。卒業と同時にアンダース侯爵家に嫁ぐのでしょう?」
「……っ」
さっき言われたあれやこれやが、 リベリアの頭の中を過ぎっていく。
傷付けられて悲しい思いと、まさかそんなにもレイラを追い詰めていた駄なんて、という思い。そして、『言ってくれたら良かったのに』という思いまでが、ぐるぐる巡っていった。
「あぁそうだ、念の為に申し上げておきますが」
「……!」
思考が巡る中、またその教師が口を開き、リベリアは大袈裟な程に体を跳ねさせた。
「そんなに怯えずとも……私はあくまで、普通のことを申し上げるだけです」
笑いながら、ゆっくりと教師は口を開き、一歩、リベリアとの距離を詰めた。
「もう、レイラ嬢はいないのです。繰り言にはなりますが『レイラがいれば』等というお考えは早々にお捨て下さい。それから……」
笑顔だった教師の顔から、一切の感情が消え、声が氷のように冷たくなった。
「甘えることは、一切させませんのでお覚悟くださいませね」
「あ……あぁ……っ」
今まで甘えていたのは、紛れもなくリベリア自身。
ガタガタと震えようが、いくら泣こうが、嫌だと喚き散らそうが、もう逃げられないように己自身で道を全て潰しているのだから。
家を継ぐ、というのは簡単なことではない。
それらをも潰したのは、リベリアを始めとした彼ら自身と、ジェレミー。
「そうそう、リベリア嬢の基礎教育を行いつつ、ご婚約者様のジェレミー卿にもしかと経営学を学んでいただきましょうね」
「そ、そんな」
「ご安心ください、私の給金はリベリア嬢の教師代だけで構いません。由緒あるヴェルティ家を絶やすわけにはいかないのでしょう?」
ねぇ、と教師の問いかける先はリベリアではなく、両親。
ぶんぶんと首を縦に振るが、残したい理由はリベリアのためでもある。勿論それが一番大きい理由なのだ。
レイラがいなくなるかもしれない、だなんて考えなかったが、そもそも彼女は最初からヴェルティ公爵家に嫁ぐことになっていた。
だから、万が一のことがあればリベリアにこの家の資産が少しでも残るようにしたかった、という気持ちもあるし、分家から跡取りをとった場合でもこの家がある限りはリベリアは生活に困らない。
親として出来る限りのことをしてやらないと、と思う反面、ここまでレイラに突き放されるとは思っていなかったことが、こういう思考に至った最大の理由だ。
「……妻と言い争っていても、何にもならないことがよく分かりました」
「ええ……あれやこれや言う前に、リベリアを次期当主にすべく頑張った方が良いのでは……と、主人とも話しました。だから、リベリア」
どこか虚ろにも見えるような二対の眼差しが、容赦なくリベリアへと突き刺さる、
「もう逃げないでちょうだいね」
「ジェレミーくんのことも、頑張って繋ぎ止めておいてくれ。彼に逃げられてしまった場合、お前にはきっとまともな縁談なんて来ないんだからな」
そんな、と小さな声がリベリアから漏れる。
しかし本当のことだから、教師は冷たい眼差しのまま口を開いた。
「それはそうでしょう。双子だからとかそんなことは関係なく、レイラ嬢の婚約者を貴女が奪った。それは社交界に一気に広がりました。世間ではレイラ嬢ではなく、貴女ご自身が醜聞ある令嬢だ、という認識なのですよ」
「うそ……」
呆然と呟いたリベリアだったが、教師にがっちりと腕を捕まれてしまい、はっと我に返る。
「さぁ、時間がありませんよ。早速授業と参りましょうか」
「は、い……」
反射的に返事をしてしまったリベリアは、そのまま教師に連れられていった。
だが、別に何か悲しい出来事だった、というわけではない。
本来やるべき事をやるために、自室に向かった。それだけのことなのだから。




