卒業式はもう目の前だというのにやってきてしまった
職場見学も終えたし、挨拶も滞りなく終えた。将来の上司になる人物にも挨拶は済ませたし、リーシェはこれから先輩として一緒に業務にあたることになる。
楽しみなことがいっぱいだ、とうきうきしているレイラだったが、それよりも楽しみなことはあるのだ。
それは、リッドとの婚約についてのこと。
婚約をする=将来的に結婚することになる、といういことだがつい最近、未来へ向かっての新たな一歩を密やかに踏み出したのだ。
何をしたか、というとリッドとの婚約式も内々に済ませた、ということ。あまり大々的に公表してしまうと、よろしくないのでは、というリッドの判断によるもの。
そもそも、レイラは婚約者を失って(奪われて)しまったため、世間からの認識としては『捨てられてしまったご令嬢』となってしまっている。
レイラの名誉が傷つかないように細心の注意を払いつつ、リッドと不貞関係にあったわけではないという情報も広めてから、婚約式を執り行うことになったのだ。
念には念を、ともいうし、疎かにしてしまえばここぞとばかりにリベリアが突撃してくるかもしれない。
こういう懸念がある、というものは全て洗い出した上で、色々な人の力を借りて婚約式は実現の運びとなった。
また、婚約式に関しては、さすがにまだ両親の承諾が必要ではあったものの、リッドの両親がにこにことしながら『まぁまぁ、リベリアさんが大変優秀なんだ、ちょっと病弱なだけなんだ……と、申されておりましたでしょう?でしたら、レイラさんは当家が喜んでお引き受けいたしますわ。リッドも初恋が叶ってとっても嬉しい、ってご機嫌ですから』とまくし立ててしまった。
実際、今回の件が起こるまではそう吹聴していたのだから何も言えないまま、頬をヒクヒクとさせながら、了承することしかできなかったようだ。
「……お義母さま、すごかったね」
「それだけ、レイラのことが大好きなんだよ」
レイラは卒業したらリッドの家に行く。もう卒業が間近に迫ってきているから、寮も出なくてはならないため、荷造りをしている真っ最中。
そもそも荷物が少ないものの、寮に入ってから増えたものもある。
一人で出来なくもない……と悩んでいるレイラをチェスカが見つけ、即座にリッドに情報が共有された結果、今に至っている。
「リッド、荷造り手伝ってくれてありがとう。本当に助かるわ」
「こちらこそ。早く家に来てほしいから、手伝いにいけー、って姉さんたちに言われちゃって」
「ふふ、言いそう」
家族皆とも仲のいいレイラだから、何事もなく荷造りも終わるだろう。
そう、思っていた。
「レイラ!まずい、ちょっと奥のラウンジに避難して!」
ばん、と扉が開かれ、息を切らせたルームメイトが慌てた様子でレイラの腕を引く。
リッドは何があったのかとルームメイトを落ち着かせようとしたものの、ルームメイトはリッドの手もがっちりと掴んでぐいぐいと引っ張ってきたのだ。
「え、ええ!?俺も!?」
「そうよ!マジで急いで!」
「ちょっと、一体何が」
あったの、と続けようとした時だった。
「いるんでしょ、レイラ!!」
怒鳴り声が寮に響き渡って聞こえてきた。
「リベリア……?」
まさか、本当にやってくるだなんて、とレイラは顔色を悪くしたものの、リッドがすぐさま状況を理解してくれたおかげで、腕を引かれ立ち上がる。
「……っ」
「レイラ、ごめんね。でも今はリベリアのことだけは避けよう」
「う、うん!」
ようやく綱んだ明るい未来への一歩なのに、とレイラの頭は途端に動かなくなってしまう。今まで搾取し続けられてきたから、当たり前なのかもしれないけれど……それでも今は、己の足で立って、カッコ悪くともリベリアからは逃げる必要があるのだ。
「声が聞こえるだけだろうし、レイラはリッド君を奥のラウンジに早く!」
もう一度促され、レイラは深呼吸をしてからぐっと足に力を込める。
リベリアが怖い、だなんてもうそんな情けないことは言っていられないから。
「リッド、こっち!」
二人で手を繋ぎ、そろりとドアを開ければどすどすと足音が聞こえてくる。
「あんたのせいで! 家はめちゃくちゃよ!!」
そして、リベリアの怒声もじわじわ大きくなってきている。
恐らく寮生が止めてくれているのだろうが、静止を振り切ってから上がってきているのだろう。レイラの部屋は二階、早く……と気がせいてしまった。
――がたん!
「……確かさっき、今日は二階にはあまり人がいない、とか言ってなかったかしら?」
「そうだよ!多少は人がいる、だからお前をそこに行かせる訳にはいかないの!」
「へぇ……?」
(……まずい)
知っている、あの声音は何か面白いものを見つけてしまった時の、リベリア特有のもの。
いつもいつもあの後に、レイラにつっかかってきたりしたものだ。
なおもリベリアは二階に上がってこようとしているらしい。
「おいやめろ、二階は関係者以外マジで立ち入り禁止で……」
「なら、何でリッドの家の馬車がいつまでも停まってるのよ!」
普段は注意力散漫すぎるくせに、何でこんな時だけ色々と周囲を見ているんだ! と、叫びそうになったレイラとリッドだったが、今はとりあえず気にしないでおこう、と決めた。
何となく最近リベリアが元気だな、と思ってしまうほどにはリベリアの顔色も良いのだ。
「一階にはリッドがいない、なら二階でしょう?どうせレイラと一緒に決まってるわ!」
そして、とってもお元気に叫び散らかしている。
「リッド……」
「まさかうちの家紋をちゃんと覚えていたなんて……っていうか、元気だねあの人」
「それはそう」
レイラたちに隠れろ、とアドバイスをくれた人も頷いている。
あれが病弱だとずっと自己主張していた人間なのだろうか、と思えるほどには元気だし、足音も大変賑やか。
「……とりあえず二人とも、ラウンジに避難して。ほら早く」
「そうだった、ついうっかり」
「リベリアったら、めちゃくちゃ元気じゃないの……」
何やかんやで口を開いてしまうと文句は出てしまう。
よくもまぁここまで色々な人を騙し続けてこれたものだ、とも考えてしまうが、うまくいっていたのはレイラが己を犠牲にしていたからに過ぎない。
外から離せ、とか、触るな、とか聞こえてくるものの、そろりと部屋から出てラウンジに小走りで向かう。
リベリアに見つからないように、と気を付けながら向かっていたものの、背後から急に奇声が聞こえてきた。
「いたぁぁぁぁ!!」
その声量、どこから出てるんだ、というくらいにやかましすぎる叫びにレイラは思わず耳を塞ぎ、リッドはすぐさま背中にレイラを隠すように立った。
「あ、あは……やっぱり私は神様に愛されてるんだわ……」
どこかおかしくなってしまったのかもしれない、というくらいにギラついた目でリッドを指さし、ふらふらとこちらに歩いてくる姿はまさしくホラーでしかない。
「レイラ、俺の背後から出ないで」
「う、うん」
「何で……何でアンタが、よりにもよって……っ!」
凄まじいほど怒り狂った眼差しを向けられ、レイラはゾッとするものの、それは同時にリッドにも向けられていることになる。
それをリッドが許すか、と問われれば勿論『否』である。
……そしてもう一つ。
リベリアはレイラのものを欲しがる習性がある、つまり今、彼女が欲しがっているのは……、
「リッドくん!ねぇ、そんな奴に騙されないで!!」
「……」
あぁ、やはりな。リッドが小さく呟く声が、レイラにだけは聞こえた。
あれだけとんでもない眼差しを向けてきたにも関わらず、リベリアはすぐさま表情を変えて、うるうるとしたおめめをリッドに向けてきたのだ。
「ねぇねぇ、そんな奴よりも私の方が……」
何を言うのか、と思う前にリッドはリベリアの言葉を遮って、口を開いた。
「…………黙ってくれないか、仮病人。お前の声を聞くと、虫唾が走るんだよ」




