いつから間違えていたのか
いつからだろう、レイラを放置しても大丈夫だと思っていたのは。
いつからだろう、レイラの笑顔を見ていないのは。
いつから、いつから、いつから、いつから。
今更考えたところでどうしようもないし、過去に戻れるわけでもない。
ガイラルディアもアリーゼもいなくなった部屋で、ぼんやりと座って何をするでもなく空中を見ているオルドーは、必死に考えを巡らせる。
グレースも、まさかガイラルディアに拒否されると思っていなかったようで、悔しそうな表情を浮かべている。
「あなた……どうしたら……」
「なぁ……いつから俺たちはレイラの笑顔を見ていないんだろうな」
「え?」
「……あの子の笑顔、見たことあるか?」
笑顔なんて、いつだって浮かべていたんじゃないだろうか、とグレースは訝しげな顔になって考えるが、何故だか思い浮かばない。
「……っ」
あれ、と小さく呟いてからハッとした。
「……で、でも……あの子は笑って」
「本当の笑顔を、見たことは?」
「本当の、って……嫌だわ、そんな大袈裟な」
「今思い返したら、レイラの笑顔はまるで貼り付けただけのものでしかないような気がしてな……」
それはきっとオルドーの思い込みに違いない、だから気にしなくていい、と言葉を発しようとしても、グレースの口から音が出てくることはなかった。
「……」
そういえば、グロネフェルト家との交流がある時は、そこそこ笑っていたような気がするが、いつからなくなったのだろうか。
だが、本当の笑顔ではない。
所謂、貴族令嬢としての『笑顔』。
心から笑っているものではなく、ただ、仮面のように貼り付けたものでしかなかった。
「……っ!」
それに気付いたグレースは、慌てて口を手で覆ったが、今更何かを変えられるものでもない。
「あな、た」
「何だ」
「あの子……笑っていなかったわ」
「そうだろう?だから」
「そうじゃなくて!」
妻の悲鳴のような声に、オルドーはぎょっとして思わず言葉を止めた。
「あの子は……レイラは、『貴族令嬢としての笑顔』しか、浮かべていなかった!本当の笑顔なんて、きっと小さい頃に封じ込めてしまっているのよ!」
「はぁ!?」
「だって、わた、私たちが」
かつて、自分がレイラに放った言葉が、次々と過ぎっていく。
『レイラ、貴女はグロネフェルト家に嫁ぐんだからヘラヘラしないで!』
『お前は嫁入りするんだぞ、しゃんとしろ!今から出来なくて将来的に出来るというのか!?あぁ!?』
『マナーも勉強も手を抜かないで!』
『遊ぶ暇があるならもっともっと勉強しろ!それくらいしか取り柄がないんだからな!!』
小さいレイラに対して、激しく怒鳴りつけて、泣いたら叩く。
いつしかレイラは声を殺して泣くようになったし、下を向いて涙を落とせば、瞼も腫れないということが分かったから、部屋の隅でそうやって泣いて、泣き疲れて眠っているところを容赦なく叩き起して勉強もさせた。
「俺たちが……間違っていた、というのか?」
「今更よ……!」
「だが、本当にどうするんだ!!リベリアは本格的に役に立ちそうにない、ガイラルディアは逃げた!」
「逃げたのではなく、私たちの馬鹿な思考がダダ漏れだったから逃げた、ということでしょう!?」
「あぁうるさい!!騒ぐな!」
「先に大きな声を出したのはあなたじゃないの!!」
壊れていく。
レイラという支えがいなくなったことで、ガラガラと崩れていった『平穏』。
音もなく崩れたから、気が付かなかった。
崩れた後で気が付いても、元に戻そうとしたところで、元の形を覚えていないから、戻しようがない。
「…………何よ、これ」
扉の外でことの全てを聞いていたリベリアは、愕然とした。
レイラが支えだなんて思っていなかった、いいや、理解はしていたけれど、支えだと思いたくなかっただけ。
「だって……私は、ジェレミー様と婚約できて、幸せなの。ジェレミー様だって、いつかグロネフェルト家に戻れるだろうし、そうなったら私は公爵家の関係者になれる……あぁでも、この家の跡取り……」
ブツブツと言いながら、リベリアは自分の部屋に戻っていく。
その様子を見たあるメイドは、あまりに悲壮な顔に少しだけ悲鳴をあげ、慌ててメイド部屋に駆け込んでメイド長に辞めたい、と訴えかける。
果たして、これで何人目だろうか。何回引き止めれば良いのか、とメイド長は頭を抱えてしまった。
頭の片隅で『もし、レイラがいればこんなことにはなっていないのでは』と考えてしまうあたり、レイラという人間に未だに必死に縋り、犠牲になってくれれば良い、そうしたらこの家は平和なんだからと簡単に思っているのだ。
この考えこそが、レイラを追い詰めた一因であるとも気が付かないまま。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ジェレミー様、いつになったら当主教育を真面目に受けてくださるのですか!」
「うるさいなぁ、お前がやればいいだろう!?この家の直系の娘だろうが!」
「そんな……っ!」
体が弱いんだから、と続けようとしたところで、ジェレミーは今まで見せたことの無いような形相で、リベリアを怒鳴りつけた。
「お前、甘ったれるのもいい加減にしろよ!?いつまで病弱のままなんだ!?俺を支えるために病を克服した、とかいうシンデレラストーリーを作り上げてみせるくらいしろよ!ただでさえ学校での評判も悪くなってるんだからな!?」
「それ、は」
「薬だってちゃんと飲めよ!お前、たまに苦いからって捨ててるだろうが!知らないとでも思っているのか!?子供じゃないんだから、ちゃんとしろ!」
バレていた、とリベリアは目を見開いた。
病が完治したら勉強しろと言われる、運動もしろと言われる、社交界にも出ろと言われる。
今まで『病弱だから』と回避していたことを、全てやらなくてはいけなくなる。
そんなのは嫌だ、とリベリアは震えながらいつものように目に涙を溜めて、か細い声で必死に訴えかけ始める。
「だ、だって……私だって、ずっとこんな病気と向き合い続けることは辛くて……それに、ジェレミー様だって私のことを心配して……」
「最初はな」
「…………え」
「今ならわかる……といっても、後の祭りかもしれないが……お前との婚約関係を見直したい」
「な!?」
「そもそも、最初から間違っていたんだ」
まるで自分こそが被害者だと言わんばかりに、ジェレミーは呆れた眼差しをリベリアに向けた。
「婚約者の変更なんかしなけりゃ、俺だってグロネフェルト家に……」
「い、今更そんなことを言うんですか!?」
「確かにお前のことは愛らしいと思っていたさ!だが……」
きっと、その後に続くのは、レイラの才能に関しての言葉だろう。
リベリアの世話を焼くことをやめて以来、レイラの価値があっという間に見直されている。
学校でも、貴族の社交場でも。
今まではリベリアの陰に隠れているかのように、そもそもレイラの話は出てくることが無かった。だから、話題にも上らなかったのだが、今は状況がほんの少し前とは全く異なっている。
リベリアの病弱っぷりが知られているあまり、レイラが少しでもリベリアのことを気にかけなければ『冷たい』だとか『双子なのに蔑ろにして、自分だけ』とか、散々な言われようだった。
だが、リベリアの愚かで浅慮過ぎる行動は、あの婚約のお披露目の件によって、あっという間に広がっていったのだ。
レイラの味方だったのは、学校の友人たちだけで限られた人たちだけ。それが、じわじわ覆され始めている。
レイラは学園を卒業すれば王宮勤めが確定しており、更にはリッドとの婚約話が浮上している。ジェレミーとのことがあったから、悪い噂が飛び交うかと思っていたものの、ジェレミーの行動も何もかも悪手でしかなかったため、リッドについては『支え続けてきた幼馴染をこれからも支えていく健気な男子」だと囁かれているそうだ。
これらの話は、普通に人付き合いをしていればリベリアやジェレミーのところにも情報が入って来たかもしれないが、婚約のお披露目の時にやらかしてしまったために人付き合いを避けているから、きっと遅れて情報を仕入れることになるのだろう。
(何もかもうまくいかない……!)
どこから間違えていたのだろうか、と必死に考えるリベリアだったが、結局何をどう考えても『最初から間違えている』という結論に達してしまう。
早く謝っていれば……いいや、そもそもリベリアが自身の体をもっと早くどうにかしていれば、と、いつまでもたらればを考えてしまい、結局虚しさに支配されてしまうのだった。




