不束者ですがよろしくお願いします
午後の授業なんて、何がどうなっていたかなんて分からなかった。
寮の自室に戻ってからも、レイラの頭はふわふわとしたものに包まれたような感じがあり、まるでこれが現実ではないような、そんな感覚だった。
「こんやくしゃ」
ゆっくりと呟いてみれば、一気に襲ってくる実感。
「リッド……いつから……」
ずっと一緒にいたから、そういった感情はないと勝手に決めつけてしまっていた。
単なる友達として、これからもずっと付き合っていくのだろう、と思っていたが、自分に対して男女間という意味での好意を持っていただなんて。
「……私、は」
どうしたいのか、と己に問うてみる。
嬉しくないか?いいや、嬉しい。
嫌か?まさか、嫌だなんてとんでもない。
答えなんて決まりきっているようなものだが、もしもまたジェレミーのようなことが……と考えかけてレイラははっとした。
「いやいや、絶対に無いわね」
口にしてみて実感でき、ふわふわした感覚が一気に落ち着いていく。
「リッドは、あんな不誠実な人じゃないわ。何を言ってるのかしら私ったら」
口に出したこと、更にはどうしてジェレミーなんかと比べてしまったのかしら……とまで思ってしまったことに、笑いが出てしまう。
「ふふ、思ったより色んなことがふっきれてるのかしらね」
抱いた気持ちをどうやって表現したらいいのかは分からないけれど、でもこれだけははっきり言える。
「……うん、リッドの申し出は受けましょう」
思いつつも、私なんかでいいのかしら、と悩んでしまうのだが、きっと口に出してしまえばリッドもそうだし、チェスカも『お馬鹿!』とレイラのことを叱ってくれる。
あまりにも蔑ろにされることが当たり前すぎたレイラだから、仕方の無いことだと理解はしてくれているが、あの二人がいなければレイラは最悪のルートを辿っていたかもしれない。
だから、大切な友人たちに感謝をしつつ、これからは婚約者になってくれるというリッドにはどうやって恩返しをしたらいいのだろうか、と思いながら授業の課題をてきぱきとこなしていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「レイラ、おはよう!」
「おは、よう」
意識してしまったからだろうか、いつもならレイラ自身もにっこりと微笑んでリッドに挨拶を返していたのに、何だかリッドのことがめちゃくちゃキラキラと輝いて見えてしまう。
「課題、やった?」
「ええ。リッドも?」
「やったけど、数学の方は自信がなくて……」
「なら後で答え合わせしない?あ、私の答えが全部正解とか、そういう自信はないんだけど……」
「是非、喜んで」
いつも通りの朝の光景。
ただ、レイラがとてもリッドのことを意識し始めたということだけを除けば、周りにもおかしなようには映っていないだろう。
それに、レイラは何も後ろめたく感じる必要なはい。
先日の婚約者とりかえっこ騒動は、レイラが知らないところでとんでもない勢いで広まっているのだ。広めているのはグレッタを筆頭に、グロネフェルト公爵家の皆様方、更にはリーシェ、チェスカも使える伝手をフル活用している。
レイラのことを大切に思っているが故に、蔑ろにするような馬鹿共を許してなるものか、というのが彼らの共通認識となっている。
「……あのね、リッド。朝から変なことを言うんだな、って思わないでほしくて」
「ど、どうしたの?」
リッドは不意にレイラが放った言葉にギョッとする。
昨日勢いのままに婚約者になってほしい旨を伝えたけれど、まさかその返事か。いいや、こんなに早くレイラが決断するなんて、だとしたら……とグルグル考えていると歩く速度は緩めずに、レイラがふと顔を上げてリッドを見上げた。
「謹んで、お受けします」
「……それ、って」
「……あ、の……。うん、えっと、婚約の、話……」
微笑んで言ってから、恥ずかしくなってしまったのか、レイラはリッドからぱっと視線を外した。
よくよく観察すると、耳がほんのりと赤くなっている。
珍しい光景が見れたことと、レイラが自分のことを受け入れてくれたことがとても嬉しくて、リッドはふわりと表情を緩ませたが、勢いに任せて抱き着いたりは出来ない。
「(耐えろ……俺……っ!)」
「(何アレ)」
そんなリッドの後ろ姿を、たまたま後ろを歩いていたチェスカが怪訝そうに見ていた。
会話の内容までは聞こえてこなかったが、ほんのりとレイラの耳が赤くなっているのが見えてしまい、なるほどなと察した。
「……上手くいったのね」
思わず笑みが零れ、少しだけ早歩きをしてから二人の肩をぽん、と叩く。
「二人ともおはよう!」
「チェスカ、おはよう」
「おはようチェスカ、ちょっとびっくりしちゃった」
笑いながら挨拶をしてくれるレイラとリッドに、チェスカも何だか嬉しくなってしまう。
長年の片思いがようやく実りそうな雰囲気もあり、大好きな親友が幸せの第一歩を踏み出したのだから、祝わない、だなんて選択肢はありえない。
「二人とも、色々と後で聞かせなさいね」
「え!?」
「チェスカ待って、まさか俺たちの話聞いてたの!?」
「察しただけよ。はいはい、真ん中しつれーい」
わちゃわちゃとしながら、三人で並んで歩く。
場所が場所なら文句を言われそうだったが、とても広いから道を塞ぐということもない。
教室に入ると、同じクラスのメンバーからは『本当に三人とも仲良しよねー』と笑われたが、三人は揃って『仲良しだよ!』と笑顔で返した。
ようやく訪れた平和な日々を、レイラは満喫していた。
やっと、何も気にすることなく笑えるんだ。家族だった人たちのことなんか、気にしてやる必要もない。
自分で、自分の未来を少しずつ切り開いていくんだ。
そう思いながら、友人の温かな気持ちに何度目か分からないくらい、胸がいっぱいになったのだった。
ただ、レイラは知らない。
笑っているレイラを、たまたま久しぶりに登校してきたリベリアが見て、恐ろしい表情で睨みつけていたことを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「酷いわ、レイラったら」
体調が悪くなった、と早退したリベリアは、部屋にこもってベッドの上で膝を抱えて座り、がりがりと爪を噛んでいた。
別に、レイラは何もリベリアに対して酷いことはしていない。
だが、リベリアにとってはいつまで経っても『自分を助けてくれる便利な人』でしかない。認識を改めようともしないから、いつまでも逆恨みを続けることしか出来ないのだ。
「……この咳病が治る、ですって……?ふざけないで。嘘よ、ぜーんぶ、嘘……っ、ごほっ!」
ほら、やはり治らないではないか、とリベリアは仄暗い笑みを浮かべる。
そもそも主治医からのアドバイスを完全に無視しているリベリアは、都合のいいようにしか考えていない。
いつまでも、誰かに縋り、頼っているばかりだからどう足掻いたところで前に進めないのだ、ということにも気付かないまま、リベリアはどうにか課題を済ませなければとのそりと重たい体を動かしたのである。




