崩れていった『幸せ』だった日常
拒絶するだなんて、思っていなかった。
だってレイラはいつだってリベリアのことを最優先に考えてくれなければいけないのだから、こんな返事が来るとかおかしい。
そもそもその考え自体が間違っているということにも気付くわけがなく、リベリアは怒り狂って部屋の中で大暴れをする。
そろそろ夫妻もリベリアの病についてきちんと向き合ってくれなければ困るというのに、と今更ながら執事長が思うけれど、後の祭りでしかないことは、誰も指摘しないまま時間は過ぎていく。
「なん、で」
手紙を呆然として見つめ、そうだこれは間違いに違いない、と手紙を裏返してからもう一度読んで、やはり間違いがないことを確認した。
「……っ」
自分たちがレイラをこれでもか、というほどに蔑ろにして、雑に扱った挙句、レイラ自身の判断によって出ていっただけの話。
それをいつまで経ってもうじうじと考えていたところで、何をどうすることも出来ないというのに。
「……レイラ……」
手紙を受け取ったまま、呆然と立ち尽くしているリベリアの元に、ジェレミーがやってくる。どうしたんだい、と問われ、リベリアは泣くことも忘れ呆然としたまま呟いた。
「……断る、って」
「え?」
「レイラ、断る……っ、て……なん、で」
当然のごとく受け入れられると思っているからショックを受けるだけなんだ、と第三者は冷静に判断している。
執事長は溜息を吐いてから、リベリアの方に足を向けた。
「お嬢様、よろしいですか?」
「何よ」
「リベリア、聞いてあげよう」
今はレイラへの恨みつらみがとてもあるのだろう。
ぎろりと執事長を睨んだリベリアを、ジェレミーは一応窘めている。
そんな様子を見て、こほん、と咳払いをしてから執事長はゆっくりと言葉を紡いだ。
「まず……どうして、レイラお嬢様が貴方たちを祝福してくれる、だなんてお思いになったのですか?」
「はぁ!?」
「……今になってみて、ようやく我ら使用人は理解したのですよ。皆さま方が、レイラお嬢様にどれだけの事をしでかしていたのか。……それに、我らもつられてしまった」
「……だから?」
「レイラお嬢様を、『家族』という輪から弾き出したのは、皆さまではありませんか」
え、とリベリアは目を丸くした。
執事長が何を言っているのだろうか、とか。出て行ったとしてもレイラはレイラで、家族のままだろう、とか。
「皆さまは、いつになったらご理解なさるんですか?」
淡々と、執事長は問う。
「レイラお嬢様は、ご自分の足で立とうとご決意なされたのでしょう。だから」
その先を、聞きたくはなかった。だが、執事長は無情にも言葉を続けた。
「だから、己の幸せを追い求めたからこそ、レイラお嬢様が、皆さまを捨てたんでしょう?」
「貴様!!」
「……本当のことではありませんか?」
淡々と問う執事長、激昂するジェレミー。
そして、事実を突きつけられてぱさり、とリベリアは手紙を落としてしまった。
「……捨てられ、た」
「恐らくレイラお嬢様は、もうここには戻ってこないでしょう。あの方は、間違いなく優秀な方です。この家には勿体ないくらいに……」
しみじみと執事長は呟いているが、声には後悔の音しか乗っていない。
「我々も、同罪だ。レイラお嬢様にもっとお優しく……あぁいや。お優しくしてしまっていたら、レイラお嬢様はずっとこの屋敷に縛られてしまっていた。良かったのやら……悪かったのやら……」
自嘲気味に呟いてから、すっと頭を下げる。
「出すぎた真似をいたしました。ですが、リベリアお嬢様はもう少しお考えになってくださいませ」
「……何を、考えるって、いうの」
「あ……」
ジェレミーは気付いたらしい。
さっと顔色を悪くしてからリベリアのことを、まるで化け物でも見るかのような目で見ていた。
「リベリア、お前……学校は卒業できるんだろうな?」
「へ?」
「成績は!……足りて、いるんだろうな?」
「…………」
一体なんのことだ、とリベリアは訝しげな顔をしてからすぐに、さぁっと顔色を悪くさせる。
「あ、の……えぇっと……」
そもそもとして、リベリアはレイラの助けがあってこそギリギリを攻めつつ、いや、本来そんな風に成績はギリギリを攻めるものでもないのだが……ともかく、そうやってギリギリのラインで保っていたところが大きい。
だがしかし、今回はどうだったか。
レイラの助けが一切ない状態で、とはいえノートはもらっていたのだから助けがない、ということではないものの、リベリアは普段から予習復習をしないから成績はガタガタになってしまった。
化けの皮が剥がれたお可哀想な病弱令嬢だとか、レイラの助けなしには何も出来ないお子ちゃま令嬢だとか、大変不名誉な噂が蔓延るようになってしまっていることも、リベリアのプライドをズタズタに引き裂いている要因のひとつ。
完全に目が泳いでいるリベリアを見たジェレミー、そして執事長は、何かを悟ったらしく二人でそっと顔を見合せた。
これはまずい、としか言えないが、レイラはもう既に彼女を見限っているから、助けてくれだなんて言えるわけもない。
かといってここで悩んでいても何がどうなる訳でもない。
もし仮に、リベリアとジェレミーがこんなことをしなければ、レイラが助けてくれていたかもしれないが、たらればの話をしたところでどうにもならないのだから。
「リベリアお嬢様、卒業できるか否か、については旦那様方にもお伝えくださいね。でなければ……当家の未来に関わる問題です」
「……っ」
「……よろしいですね?」
「は、い……」
ぐっと言葉につまりながらも、どうにかリベリアは頷く。
選んだ方が間違いだった、もしもレイラを大切にして婚約者のままでいられれば、こんなことにはならなかった、と色々を終えてしまってから気付いてしまう。
捨ててやった、と高笑していた方が実は捨てられてしまっていた、ということに、ようやく気が付きつつあった。
「……で?」
ぴり、とした空気の中でリベリアは震えながら自分の成績のことを正直に伝える。
「その、ええと」
「結論を言いなさい。卒業は無事にできるのか、できないのか」
「わから、なくて」
えへへ、と誤魔化すように笑うリベリアに対し、今までならばレイラを下げつつリベリアを可愛がるという行動を取っていた張本人であるオルドーが、今やリベリアを睨みつけながら話す様子は、どこか滑稽でもあった。
きっとレイラが見たら、何をしているのだろうか、という顔をしていたに違いない。
「まぁ、お前をさんざん甘やかし続けてきたわたし達がとやかく言うことではないかもしれんが、多少なりとも自分の行動に責任をもて。でなければ、親戚から養子をもらうことになるんだからな」
「はぁ!?」
「何だね、ジェレミーくん」
「待ってくださいよ、俺がこの家を……」
「君は、レイラのように数ヶ国語を話し、読み書きすることはできるのか?」
「……っ」
「書類作成は問題なく行えるのか?」
「お、教えていただければ!」
「様々な書類があり、書式だけでも十はくだらないそれらを、覚えていられるか?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問に対し、ジェレミーはまともに答えることすら出来なかった。
あわあわと口篭り、うまく言葉を発することができないままな彼を見て、オルドーも困ったような顔になってしまっている。
実際、レイラは様々な外国語を使用して、父オルドーの事業の手伝い等もこなしていたのだ。
「……一応な、君とリベリアがこういう関係にならなければ……リベリアには別の婚約者がいたんだよ。商才に恵まれ、様々な経験をし、語学も堪能なあの人ならば……レイラがいなくなったとて、我が家は問題ないはずだったんだ」
「は、はぁ!?」
そんなこと、知るはずもない。何だそれは、とリベリアもジェレミーも愕然としているまま、オルドーはつらつらと言葉を紡いでいく。
「だが、それらも駄目になってしまった。だから、リベリア。お前がどうにかして当家を守らねばならんという自覚を」
「はぁ!?ふざけないでよ!!嫌よ、そんな面倒なことは!!」
「……なんだと?」
「嫌!!嫌よ!!面倒事はレイラが片付けるって決まってることでしょ!!なんで私が!!」
まるで子供のようだ、とオルドーは思わず頭を抱える。
こんなにも幼稚なことを言うだなんて、一体誰が想像したことだろうか。
レイラ一人が居なくなったことで、ここまで崩れるだなんて、と後悔したところで遅いのだ。
今までリベリアのことを叱りつけたことがなかったオルドーやグレースが、リベリアを叱るようになってしまった。
ジェレミーも思ったより優秀ではないことが、オルドーたちに知られてしまった。
リベリア自身、レイラに頼りっきりでいたから一人では何も出来ない甘ったれが出来上がった。
とはいえ、レイラがいなくなったから、とレイラを責めるのはお門違いというもの。
今ようやく、彼らに『現実』が突きつけられてしまっただけのことなのだ。
目の前の喚き散らすリベリアを見たオルドーは、心の中で『あぁそうだ、養子を取って家の未来を安泰に導かねば』と、すっかり決めてしまった。
……が、これもまた、ヴェルティ家に不幸を呼び込む結果になるとはこの場の誰もが理解はしていないのだった。




