幸せの形、不幸の形
いつまでもいつまでも、レイラはふわふわとした感覚に包まれていた。
ふわふわした感覚に身を任せるために、寮の自室のベッドの上に寝ころんで、ぽやぽやとした、どこか熱っぽい顔のままふへ、と表情を緩める。
実家にいた時に感じたことの無い嬉しさ。
もしもあのままだったら、自分の未来はこんな風に明るいものではなかったし、間違いなくリベリアの召使いのような生活を送り続ける羽目になったことだろう。
「……私の……私自身の力で、掴み取った」
ふふ、と嬉しそうに微笑んだレイラは、もう一度合否が書かれている文書を見て、ぎゅう、としっかり胸元で抱き締めた。
「……嬉しい」
これからが大変なのかもしれない。
だが、それすら楽しみだと言えば、引かれてしまうだろうか、とレイラは真顔になる。
仕方の無いこと、とでも言えばいいのだろうか。何せ尻拭いばかりしてきたから、ようやく自分の人生を歩ける……というのは大袈裟かもしれない。だが、事実なので仕方の無いことだろう。
「王宮で働くのよね……。あ、そういえばリーシェ様にも合格しました、ってお知らせしなくちゃ!」
はっと思い出し、慌てて体を起こしたレイラは机に向かう。
リーシェといつも手紙のやり取りをする時に使っているレターセットを取り出し、羽根ペンにインクをつけてから『うーん』と唸った。
「何をどう書けば……ええと、リーシェ様へ、と。……それから……」
かりかり、と丁寧な文字でリーシェへの手紙を綴ったレイラは、少ししてからふぅ、とひと息ついてインクが乾くのを待つ。
ありきたりなのかもしれないが、無事に合格したということ。合格したのはリーシェが働いている部署なので、会える日を楽しみにしております、ということ。
「……職場見学もある、って書いていたわね」
思い出したので、追加でまた文章を続ける。
何だか取り留めのない文章になってしまったかもしれないが、リーシェからは『素直な気持ちでお手紙を書いてくれると、とっても嬉しいわ!』と言われているので、素直にそうしておいた。
リーシェと知り合ったのは、グロネフェルト家で恒例のお茶会に参加した時。
たまたまシルヴィオと演劇を見に行って、グレッタに用事があるからと屋敷に立ち寄ったところ、レイラはグレッタとお茶をしていたのだ。
ジェレミーは最初こそお茶会に参加していたけれど、母上との会話に俺がいつまでも混ざるわけにはいかないだろう、と言い残して自室にこもっていた。せめて剣術の稽古でもしてくれれば……と嘆いているグレッタの愚痴を聞いていたところに、少しだけお邪魔させてほしい、とやってきたのがリーシェだった。
まさか次期グロネフェルト家当主の婚約者であり、王女でもあるリーシェに会えるなんて、と当時は大変感動し、マナーも少しだけこんがらがってしまったかもしれない。
それをリーシェはとても優しく許してくれ、以降、タイミングさえ合えば一緒にお茶をしていたりした。
また、社交界でリーシェはとても目立つ存在でもあったのだが、そんなリーシェがレイラを見つけるたびにいそいそと駆け寄ったり、楽しそうに会話をしていれば、自然とレイラの顔も色んな意味で広がりそうなものだが、『あまり目立ちたくない』というレイラの鶴の一声でリーシェ自ら騒ぎすぎないようにしてほしい、と周囲にきちんと伝えていた。
そのおかげで、レイラがめちゃくちゃ目立つことはなかったのだが、リーシェは会話をする時間の中で、レイラが咳病を自身の手で治したことを知り、魔力運用がとてつもなく上手なことを見抜いた。
そのままジェレミーと結婚し、結婚後はグロネフェルト家の嫁という立場をフル活用して魔力運用の研究をさせる気満々だったグレッタにも相談したリーシェは、こっそりとレイラの未来についてプランを練っていたのだ。
いつか、レイラが自立できる未来が来るはずだ、とただ信じていた。
家のことも詳しく聞いていた(正確には聞き出した、だが)ため、シルヴィオに対して『レイラがあのクソ家族どもと縁切りできる未来が来たら、全力で応援しましょうね!』と何度も持ち掛けていたのだが、リベリアがそんなに簡単にレイラというちょうどいいお世話係を手放すことなんてしないだろう、と言い聞かせていたことは、グレッタとリーシェ、そしてシルヴィオしか知らない。
勿論、レイラも知らないのだが、別にばらす必要なんかないので、きっとリーシェはずっと黙ったままでいるのだろう。
「色んな手助けをしてくれたなぁ……リーシェ様。まさか、こんなにも手を尽くしてくれているだなんて……」
何度も何度も顔が緩んでしまい、レイラは手紙を書き終えたら、またベッドに寝転がる。
家だとはしたない、と怒られる行為ではあるものの、ここは家ではないのだから、遠慮なんてする必要はない。
「……とはいえ、落ち着かないから起きましょうかね」
よいせ、と体を起こしたレイラは、ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で直しておいた。
ベッドから降りると、合格通知をそっと机の引き出しに仕舞う。油断をすれば、リベリアに何もかも奪われてしまうから、机の引き出しには鍵をかけることを習慣にしていた。
「レイラー、夕飯の時間だから行きましょ。もうごろごろタイムは終わりで良いの?」
「うん、大丈夫。ごめんね、遅くなっちゃって」
「良いのよ、チェスカさんとリッドさんなら仕方ないわ」
あはは、と穏やかに笑い合いながら、レイラとルームメイトの令嬢は寮の食堂に向かう。
きっと今日の夕飯はこれだ、いいやあれだ、と何とも微笑ましい会話をし、メニューを見てまた、笑い合うのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
さて、レイラが幸せを感じていた少し前のこと。
「まぁ、婚約は認めますし、今後についても当家は何一つ反対など致しませんよ」
にこ、と微笑んでいるはずのグレッタからは、とてつもない圧を感じていた。
散々な結果になってしまった、あの婚約式は一応形だけでもということでそのまま進行し、どうにか完了させていた。
とはいえ、あまりに祝福してくれる人が少なく、またリベリアがわんわんと泣き始めてしまったので、総出で慰めていたところに、グロネフェルト家の皆様がやってきたのだ。
「何の、ご用件、ですか、グスッ」
「……まぁ、何ともみっともないこと。貴女に用件なぞありません。お伝えしなくてはいけないことがありましたので、来たというだけのこと」
「はい?」
訝しんでいる面々を気にもせず、グレッタは笑みを深くしてからジェレミーを指さした。
「そこの愚息、当家ではなぁんの価値もない大馬鹿者です。ですので、リベリア嬢との婚約はさせていただきましたが結婚後、当家からは放り出しますので、こちらでお引き取りくださいませ。あぁそれから、レイラとの再婚約などさせません。あなた方が望んだとて、レイラはきっと望まない。もうそこの娘の尻拭い等、させられませんもの」
ほほほ、と笑っているグレッタの目は本気そのもので、リベリアはかたかたと震え始める。
どうして?
自分がまるで貧乏くじを引いたかのような、おかしなことに巻き込まれているの?
だってジェレミー様はレイラの婚約者で、だからこそ羨ましくて、私のものにしたかったというのに!
心の中で叫んでいることを口に出せば終わる。それくらいのことは理解しているから、リベリアは呆然とすることしかできないままだった。
「母上、お待ちください!それはあまりにも」
「お前が……酷い、とかいう単語を使わないでちょうだい!」
叫びにも似ている言葉に、ジェレミーはぎくりと身体を強ばらせた。
どうして実の母親からこんなことを言われなければ、というところまで考え、兄であるシルヴィオに助けを求めようと視線をやってみたが、向けられていたのは絶対零度の眼差し。
「酷いのはお前たちの方だろう?」
眼差しだけでなく、言葉も冷たい。
はぁ、はぁ、と呼吸が荒くなっていくのを感じながら、乾いた口内をどうにか潤したい、そう思っても唾液が出ない。
まさか自分が兄に対してとんでもなく緊張しているとでもいうのか、とジェレミーは悔しい気持ちが溢れてくるが、実際そうではなく、ただ気圧されているだけ。
「……まぁ、お前たちが捨ててくれたおかげで、レイラ嬢はまるで蛹から羽化した蝶の如く、これから思う存分自分の才能を発揮するだろう。婚約者は……そうだな、幼馴染がいることだし、周囲も恐らく歓迎するに違いない。……馬鹿だなぁ、お前。宝石の原石を自分から捨てたんだから」
愉しそうに告げるシルヴィオの言葉が信じられなかったが、言われてみれば……とジェレミーは必死に頭を回転させていく。
「(あいつ……ここを出て寮生活をしている、とか言っていた。俺がリベリアとどれだけ仲良くしていても、最近は見向きもしないどころか……食堂でも会わなくなって、いる……?)」
いつから、こうなってしまったのだろうか、と考えても時既に遅し。
片や幸せになっていく階段を、まだまだ上がっている途中。
片や、幸せだと思っていたそれらが全て虚像でしかなく、幸せの皮を被った不幸でしかなかったという事実を突きつけられた面々。
未来は変えられるというが、彼らはどう足掻いても変えることはできないだろう。
だって、本来手を伸ばした先にいるレイラの方から、手を振り払われてしまっているのだから。




