幸せなんて、最初からなかった
ああ、いよいよこの日がやって来たんだ、とヴェルティ家は浮足立っていた。
正確にはリベリア、グレース、そして家長であるオルドーの三人が、ではあるが。
「お父さま……いよいよなのね!」
「ああそうだ、お前とジェレミー君が婚約者としてのお披露目を行えば、うちもグロネフェルト家も安泰だ!」
ははは! と高笑いをしているオルドーだが、一体何が安泰だというのかについては、全くもって不明である。
リベリアは父に『じゃあ、控室に行ってジェレミー様と二人の時間を過ごしてくるわ!』と告げ、足取り軽く向かった。その先にあるのが、地獄であるとも知らずに向かう彼女にとっては、これが最後の幸せの時間だというのに。
そう、オルドーも、グレースも、知らないのだ。
ジェレミーの価値など、同い年で才能あふれるレイラを繋ぎとめるだけの役割しかない、ということを。だがしかし、それを公表してしまっては、ジェレミーの嫁ぎ先がなくなってしまうから、グレッタはずっと言わないままにしておいた。
その方が、可愛い可愛いレイラを虐め倒したあのヴェルティ家によりダメージを与えてやれると思ったから。
由緒正しき公爵家が何をしているんだ、と言われてしまうかもしれないが、ジェレミーの利用価値がレイラとの婚約解消によってすっからかんになってしまったから、家を守るためには仕方のないこと。
ジェレミーごとき、切り捨てても差し支えない。そういう判断をされたのだ。
だが、ジェレミーはこれにまだ気付いていない。
今は控室でリベリアと二人、甘い時間を過ごしている頃だろう。
「……馬鹿な子」
「仕方あるまいよ、あいつはレイラ嬢の価値に気付かない……いいや、きちんと話して聞かせていたとしても、自分最優先なのだから聞き入れようとはせん」
困った、と呟いてからグロネフェルト家当主であるライアンは、葉巻に火をつけた。
嗜みとしているものの、ストレスがかかるとどうしても本数が増えてしまう、というのがグレッタとしては悩みの種ではあるものの、こればかりは仕方がないものである。
「……そういえば、レイラ嬢はどうした。受かったのか」
ふー、と煙を吐いてからグレッタに問いかけるライアン。
何を、とは聞かずとも理解できたので、グレッタはにこりと微笑んでから、ぱちん、と軽くウインクをしてみせた。
「ええ、勿論。本当に……あの子がジェレミーと結婚してくれて、うちの子になってくれたらもっともっと支援してあげられたんだけど……」
「もう遅いが何か祝いの品でも贈っておこうか。おいシルヴィオ、レイラ嬢に何か贈り物をしてあげた方が良いと思うんだが、リーシェ王女殿下に聞いてみてくれるか」
「はい、分かりました。ああでも、リーシェ個人としても贈りそうですね。うちと合同で、と付け加えておきましょうか」
「そうだな」
息子であるジェレミーの祝いは、どうでも良いことだった。
とりあえずジェレミーに関しては、無事に学園を卒業してくれれば良いようなものだったし、リベリアと婚約をして結婚するのであれば、グロネフェルト家からは出すほかない。
家にいたところで、何かがどうなるものでもなかったし、リベリアというハズレを自分から引きに行ったこと、加えて貴族間の婚約というものについて軽く考えすぎていることを、己で理解してもらう必要がある。
「……おや、時間だね」
よっこいしょ、とライアンは葉巻の火を消して立ち上がった。
グレッタも、面倒そうに溜息を吐きながら立ち上がっているし、シルヴィオもあまり乗り気ではないようだった。
縁続きになるとはいえ、リベリアは何か飛び出た才能もなく、ずっと病弱だから、とかまってちゃんアピールをし続けるだけの女性なので、果たしてここから先どうなることやら。なお、リーシェは『同じ顔だけどレイラとリベリアは全く違うんだから、祝うだなんてしないわ』と、ここに来ることを放棄している。
「行きましょうか」
グレッタの一言を合図にしたかのように、グロネフェルト家の面々は自分たちの控室を出て行った。
会場には、恐らくレイラの友人たちも多数招かれているようだが、全員が怪訝そうな顔をしている。恐らくどうにか騙すようなことをして、今回の婚約式に連れてきたのだろう。
祝いの雰囲気というわけではなく、どうにもざわついているのだが果たして本人たちは気付くことが出来るのだろうか、と思う。
そして、招待客を見渡してみると、案の定というかレイラはいないし、レイラといつも一緒にいるチェスカやリッドもいない。
あの三人が仮に招待されていたとしても、祝うような気持ちにはなれないのだろうから、不参加で正解だろう。
「……母上」
小声でシルヴィオが耳打ちしてくる。
グレッタが視線を移動させると、皆が集められているこのヴェルティ伯爵家の大広間に伯爵夫妻が顔を出す。
そして、続いてしずしずとリベリアとジェレミーが何故だか勝ち誇った顔で現れた。
「さぁ皆さま! 本日は、我がヴェルティ伯爵家とグロネフェルト公爵家が縁続きになった素晴らしき日ででございます! 可愛いリベリアと、ジェレミー様の婚約、皆さま存分に祝ってくださいませ!」
きっと、本来であればここで歓声が上がったことだろう。しかし、全体からは戸惑いの声ばかりが聞こえてくる。
「……ねぇ……」
「本当だったんだわ……」
「リベリアさんって……そういうこと、する人だったのね」
軽蔑、嫌悪、侮蔑、様々な視線がリベリアに突き刺さっていく。
きっとこれが、本来の婚約者であるレイラなら、祝福の声しかなかっただろうに……という落胆の感情すら見えてきそうなほどだった。
「……、え、あ、あの、ジェレミー様ぁ……」
「……っ」
まさかここまでだなんて、とジェレミーもリベリアも、顔色が悪いが、彼らはあくまでも『顔が同じなんだから別にいいじゃん』くらいのとてつもなく軽い気持ちで、貴族の婚約の意味を一切考えることなく婚約者を変更してしまったのだ。
これが結婚してからの浮気などではなくて良かった、と思うべきなのか何なのか……と、ライアンもグレッタも、痛む頭をそっと押さえている。
「み、皆! その、今日は私とジェレミー様の婚約式に来てくれてありがとう!」
精いっぱい明るい声を出しているリベリアだったが、大股で歩いてきたレイラの友人に、がっちりと肩を掴まれてしまった。
「ひっ!!」
「騙したのね、嘘つき!」
「う、うそ、なんか」
「アンタ、レイラとの仲直りをするから、って言ってたじゃない! 半信半疑だったけど、やっぱり嘘だった! アンタなんか信用していなかったけど、これでよーーっく分かったわ! 性根が腐りきってる、ってね!!」
叫ばれた内容に、リベリアはいつもの病弱っぷりをアピールすることもできず、呆然としてへたり込んでしまった。
ジェレミーには何も言わないとしても、レイラの友人たちはギロリと彼のことも遠慮なく睨んで、くるりと方向転換をしてヴェルティ家を後にした。
それに続け、と言わんばかりにレイラの友人関係の人たちは去っていくし、帰らないで、とリベリアがいくら止めようとも誰も足を止めない。
こんなはずではなかった、と叫びたそうにしているジェレミーが、ぐっと歯を食いしばって両親のところに走ってきて、縋りつくような目を向けてきた。
「な、なぁ! 助けてくれ!」
「何を」
冷たくライアンが問えば、ジェレミーは顔を真っ赤にして声を荒げる。
「分かってるだろう!? 俺の門出なんだぞ!? 俺は由緒正しいグロネフェルト家の……」
「ああ、お前ね。もう好きにしたらいいわ」
「……え」
グレッタが呆れて言えば、ジェレミーはポカンとした表情になってしまうが、遠慮なく言葉を続けていった。
「そもそも、レイラ嬢との婚約の意味をあれだけ言い聞かせたのに、可愛いからとか、よく分からない理由でそこの娘に乗り換えるくらいに頭の中身がすっからかんの馬鹿なんて、当家には不要ですから。ねぇ、あなた?」
「ああ、その通りだな。家はシルヴィオが既に次期公爵としてお披露目もしているんだ。お前の役割なぞ、ほぼ無いに等しい。せめて結婚で役に立てば……とも思ったが、それもなくなった」
だから、とライアンは続ける。
「好きにすればいい、当家から何の援助もせんが……それはお前が勝手な判断で勝ち取った自由の代償だと思い知れ」
「じゃあな、ジェレミー。お前は馬鹿で可愛い弟だと思っていたけれど……愚かだとは思っていなかったよ」
ひらひらと手を振ってその場を後にするシルヴィオに続いて、グロネフェルト夫妻もヴェルティ家を後にしてしまった。
まさかこの二人がこんなにも祝福されていないだなんて、と事情を知らなかったであろう面々だけが残ったが、空気はまさに悲壮そのものでしかなく、とてもではないけれど祝福ムードなんかはどこにもない。
グロネフェルト家が退出してから、一人、また一人、と帰っていくという光景を眺めることしか出来ないまま、ヴェルティ夫妻もリベリアも、ジェレミーも、立ち尽くすことしか出来なかった。
レイラに幸せを見せつけようとしたのに、彼女から届いたのはたった一言『お幸せに』と書かれた手紙だけ。
レイラの友人たちも、辛うじて少人数が呼べはしたが、はたしてここから先リベリアと交流してくれるひとがどれだけいるのだろか。
皆が帰った中、ヴェルティ伯爵夫妻は愕然としてジェレミーを見ていた。
「……まさか……レイラとの婚約は……、グロネフェルト家がレイラを欲したから……?」
掠れた声で呟かれた内容は正解だったが、今更思い出してくれたか、という言葉しかもらえない程のことだろう。
今更、何もかもが遅いということに、卒業式目前で気が付いたヴェルティ夫妻やリベリア、ジェレミーは、ただただ言葉もなく呆然とすることしかできないままで時を過ごしたのだった。




