第8話 殺すなよ
中央区画に入った俺たちは、服飾店から回った。
フローラさんの服を買う為で、彼女は今とほとんど同じデザイン、同じ質のものを選んだらしい。
それ自体に思うことはなかったが、エルナの発言には少しだけ驚いた。
「フローラさん、ハーディング商会の服を選ぶとは、お目が高いですわね」
「あら、そう~? ふふ、有難う~」
「エルナ、見ただけで、どこの商品かわかるのか?」
「あ……いいえ、お兄様。わたくしにわかるのは、ハーディング商会のものだけです。少し、馴染みがありまして……」
どことなく、寂し気に微笑むエルナ。
不味いことを聞いたか……?
若干後悔して、フォローしようかと思ったが――
「よしよし~」
「な、何ですの?」
「ううん~。特に意味はないわ~」
「……髪が乱れるので、やめて下さい」
フローラさんに頭を撫でられたエルナは、口では抗議しつつも大人しくしている。
そんな彼女に、俺とフローラさんは笑みを交換した。
それにしても……商会と聞くと、どうしてもレイシスを思い出してしまうな……。
気持ちが沈みかけるのを、奥歯を噛んで堪える。
フローラさんは、何かに気付いているようだったが、柔らかく微笑むだけだった。
そうしてこの場に、穏やかな空気が充満したが、それはこの瞬間までだった。
「セシルは、モテるのですね」
真っ直ぐで、美しく――極めて鋭利な声。
その一言が耳朶を打つと同時に、氷の刃で貫かれたように錯覚した。
一気に心拍数が増し、全身から汗が噴き出す。
ギギギと、錆び付いた音が鳴りそうな動作で振り向いた先には、無表情のティア。
しかし、全身から強烈なプレッシャーを感じるのは、気のせいだろうか?
何故だかわからないが、途轍もなく嫌な予感がする。
理屈じゃなく心で確信した結果、出て来たのは――
「ち、違うんだ」
必死に首を振っての、情けない言い訳。
せめて、何がどう違うのか説明しろ、セシル=タリオ……!
クルっと背を向けた彼女は、スタスタと歩き出した。
そう認識したときには、足が地面を蹴っていた。
ティアの前に回り込んで止め、身振り手振りを交えて言葉を並べ立てる。
「聞いてくれ、ティア。彼女たちとは、そう言う関係じゃない」
「別に、どうでも良いです。わたしには、関係ないですから」
「いや、怒っているじゃないか……」
「怒っていません。怒る理由がありません」
「とにかく、彼女たちは黒区の仲間で、さっき知り合ったばかりなんだ。だから……」
「そうですか。言いたいことがそれだけでしたら、どうぞ引き続き親交を深めて下さい。もう良いですか? わたしも、待ち合わせをしているので」
「ま、待ち合わせ……」
「大して付き合いが長くもない、貴方に話す義理はありません。失礼します」
ツーンとした態度で言い残し、今度こそティアは歩み去った。
今は何を言っても、無駄のようだな……。
額に手を当てて、盛大に嘆息する。
するとそこに、エルナとフローラさんが近寄って来た。
「あの、お兄様……大丈夫ですか?」
「……あぁ、気にしないでくれ」
「うふふ~。セシくんも、大変ね~。あの子、蒼区みたいだし~。でも~、わたしは応援してるわ~」
「な、何のことですか、フローラさん? それより、いつまでもここにいる訳には行きません。移動しましょう」
半ば無理やりに笑顔を作って、返事も聞かずに足を踏み出す。
止まらないまま深呼吸を繰り返し、次なる店に向かおうとして――
「な、何よあんたたち!?」
「あ、あたしたちは、買い物しに来ただけよ!?」
女性の悲鳴が聞こえた。
俺とエルナ、フローラさんが一斉に振り返る。
そこには、店から出て来た2人のプレイヤーを囲む、5人の男性の姿があった。
あの2人は……黒区か。
絡んでいるのは、紅区だな。
意識的に頭を冷やして状況を整理しつつ、エルナとフローラさんの様子を窺う。
対人戦の経験はないのか、エルナは強張った顔でスカートの裾を握り締めていた。
フローラさんは笑みのまま、冷ややかな眼差しになっている。
両者とも、戦えるのは戦えそうだが……。
「俺が行く。2人は、ここで待っていてくれ」
「お兄様!?」
「大丈夫だ、エルナ。あの5人なら、1人でもなんとかなると思う」
これは誇張じゃなく、冷静な判断。
しかし、フローラさんは更に慎重だった。
「だとしても、3人の方が安全じゃない~? あの2人も一緒なら、5人ずつになるわよ~?」
「それでもです。今回は、俺の言う通りにしてくれませんか?」
論理的に言えば、フローラさんが正しい。
だが、ここはわがままを通させてもらう。
何故なら俺は今から、人を……殺す。
その業を背負うのは、少ない方が良い。
俺の意志が固いことを悟ったのか、エルナとフローラさんが顔を見合わせ、嘆息した。
ただし、最低限のラインだけは譲れないらしい。
「わかりました、お兄様。ですが! 少しでも危ないと思ったら、すぐに割って入ります!」
「わたしもよ~。セシくん、気を付けてね~」
「エルナ、フローラさん……。有難うございます、行って来ます」
彼女たちに微笑んで感謝を告げてから、表情を引き締めて現場へと向かう。
そこでは、いよいよ争いが始まろうとしていた。
「へへ、悪いな。俺たちも、生き残る為には殺すしかねぇんだよ」
「テメェらだって、同じだろ? 恨みっこなしだぜ」
下卑た笑みを浮かべている、紅区のプレイヤーたち。
言っていること自体は、間違っていない。
もっとも、5対2はどう考えても卑怯。
ルール違反じゃないとは言え、見過ごすことは出来ないし、何よりこれ以上、紅区を放置するのは危険だ。
今から実行することを思うと、覚悟が鈍りそうになる。
知らず知らずのうちに、手に力が入った。
1歩進む度に、肩に重りが載せられて行くような気がする。
これが、命を奪う重さ……。
だからと言って、逃げる訳には行かない。
深く息を吐いて、集団に向かって言い放った。
「楽しそうだな、俺も混ぜてくれないか?」
思ってもいないことを、口にする。
黒区のプレイヤーも紅区のプレイヤーも関係なく、俺に注目して目を丸くしていた。
だからこそ、敢えて強気な笑みを湛えて続ける。
「人を殺そうとするからには、お前たちも殺される覚悟があるってことだよな? だったら、俺も遠慮しない」
「何だぁ、テメェ!?」
「見ればわかるだろう、黒区のプレイヤーだ。目が悪いのか? それとも、悪いのは頭か?」
「な!? この野郎、ぶっ殺してやる! やるぞ、お前ら!」
リーダー格の男が叫び、取り巻き4人が構える。
魔力も高まっており、誰がどう見てもやる気満々だ。
まぁ、煽ったのは俺だが。
襲われていた黒区の2人は戸惑っているらしく、あまり戦力にはなりそうにない。
さて……始めよう。
殺気立っている連中に応えるように、俺も構え――
「確かに楽しそうだな。坊主、俺も混ぜろよ」
後ろから、野太い声が聞こえた。
咄嗟に反転したところに立っていたのは、タバコをくわえた筋骨隆々の大男。
歳は、30代半ばと言ったところ。
少し長めの濃い茶髪を、首の後ろで雑に纏めている。
無精髭とボロボロの作業服から、だらしなさを感じた。
しかし、その言葉通り、楽し気な灰色の瞳の奥には、果てしない力強さがある。
右手に酒瓶を握っているが、酔っている気配はない。
黒区のプレイヤーだが、味方と思って良いのか……?
俺としては半信半疑だったものの、相手からすれば答えは明確。
「何だ、デカブツ! テメェもやるってのか!?」
「だから、そう言ってんじゃねぇか。耳が悪いのか? それとも、頭か?」
「ぐ! ふざけやがって! 死にやがれ!」
どこかで聞いたセリフをのたまった大男に向かって、リーダー格の男が火炎球を繰り出した。
威力も速度も中々のもので、得意げになるのも頷ける。
だが……周りが見えてなさ過ぎだ。
火炎球が放たれる直前に、大男は酒瓶を放り投げ、2人の紅区プレイヤーを酒塗れにしていた。
更に大男は敵の攻撃を難なく避け、大火球が傍を通過したことで、酒塗れの紅区プレイヤーに引火する。
「ぎゃあ!?」
「熱ぃぃぃ!?」
地面を転がって消火していたが、あれじゃあ戦闘続行は無理だろうな。
敵からすれば運がない……いや違う。
恐らく大男は、リーダー格の男が火炎系の異能を使うと、見抜いていた。
異能の種類は千差万別だが、練度が低いと発動兆候を悟られ易いからな。
そうだとしても、恐るべき観察眼だが。
密かに驚愕しつつも、戦闘から意識は逸らしていない。
やるぞ……。
仲間を燃やして困惑している男を討つべく、脚に力を込め――
「殺すなよ」
大男の声が耳に届く。
あらん限りに目を見開きながら、動きは止めずに踏み込んだ。
「がッ……!?」
喉に貫手を突き込む――つもりが、肘でリーダー格の男の鳩尾を撃ち抜いていた。
こと切れ……てはいない。
気を失っただけだ。
足元に沈み込んだ男を見下ろし、荒い息をつく。
そして、大男に目を転じると、残りの取り巻きを殴り倒しているところだった。
タバコの煙で拳を包んでおり、異能を使っていることが窺える。
ただ、威力を上げるのではなく、むしろ緩衝材のような役割を持っているように見えた。
その証拠に、豪快な一撃でありながら、相手は生きている。
結局、死人はゼロ。
この結果を、俺はどう受け止めるべきなんだ?
大男に声を掛けられた黒区プレイヤーたちは、ペコペコと頭を下げてから走り去った。
その背中を呆然と見送っていた俺に、彼はタバコを携帯灰皿に仕舞いながら、大股で歩み寄って口を開く。
「やるな、坊主。最初に頭を潰す判断は、正解だ。体術のレベルも相当だし、見どころがあるぞ」
嬉しそうに、俺の頭をガシガシと撫でる大男。
フローラさんと違って乱暴だが、大きくゴツゴツした手に、謎の安心感を覚えてしまった。
ただし、今は捨て置けないことがある。
彼の腕を振り払い、険しい声で問い掛けた。
「どう言うつもりですか?」
「あん? 何がだ?」
「ですから、どうして殺すのを止めたんですか? ゲームに勝つ気がないんですか?」
大男に、1歩詰め寄った。
ところが、彼は腕を組んで黙っていたかと思うと、溜息をついてからおもむろに言い放った。
「腕前と胆力、判断は見事なもんだが、まだ大局は見えてなさそうだな」
「……何の話ですか?」
「あのな、俺が奴らを生かしたのは、そうするのが黒区の為になるからだ。今はまだ、な」
「意味がわかりません。敵は殺す。それが、このゲームで生き残る、唯一の手段でしょう?」
声が掠れそうになった。
俺が言っていることは、合っているはずだ。
それなのに……認めたくない自分がいる。
握った拳を開けないまま、大男を睨み付けてしまった。
これじゃあ、八つ当たりだな……。
それでも、目を離さずにいる俺に、彼は告げる。
「ちょっと付き合え」
「え?」
「話すにしても、ここじゃ目立ちすぎるだろ? ついでに、飯でも食おうぜ」
「……わかりました」
「おし、決まりだな。俺はガレン。お前は?」
「セシルです」
「じゃあセシル、行こうぜ。連れがいるだろ? 呼んで来いよ」
「どうして知って……もしかして、見ていたんですか?」
「少し前からな。何なら、お前がティアって子にフラれてるのも、見てたぜ」
「フ、フラれた訳じゃないです!」
「わかった、わかった。良いから、行って来いよ」
バシッと俺の背中を叩いて、送り出すガレンさん。
言い足りないが、ペースに飲まれてしまったな……。
しかし、話を聞く価値はあると思う。
ガレンさんへの複雑な感情を抱き、エルナとフローラさんの方へ走って行った。
◇ ◇ ◇
「ふーん。殺さなかったんだ」
セシルたちから遠く離れた、建物の上。
常人であれば、決して見えない距離にもかかわらず、少女は一連の出来事をはっきりと把握していた。
首には、紅区のネックレス。
仲間がやられたと言うのに、全くの無関心。
彼女の意識は、セシルたち――いや、セシルに向いていた。
キャンディーをペロリと舐め、興奮したようにひとりごちる。
「あの黒房、面白そうね。適当に流すつもりだったけど、ちょっとやる気になったかも」
ガリっと、キャンディーを噛み砕く音が鳴る。
こうして、自身が注目されていることなどいざ知らず、セシルは新たな視野を持とうとしていた。




