第21話 起動
対戦場をあとにして、観戦席へと繋がる廊下に入った。
抱えたティアは丸まった猫のように、小さくなっている。
今更になって恥ずかしさを感じたが、それより遥かに強い気持ちが湧いて来ていた。
ダガガとゴールド、そして……俺自身に対する怒り。
俺がもっと警戒して、ティアに注意するように言っていれば、こんな結果にはならなかったんじゃないか……そう思ってしまう。
唇を噛み締めて、真っ直ぐに歩み続けた。
そこに駆け寄って来たのは、見覚えのある顔。
「ティア! 大丈夫!?」
転びそうな勢いの、ミカエラさん。
他区画の俺を前にしても無警戒で、ティアを心配している。
何も言わずにゆっくりとティアを下ろすと、ミカエラさんはすぐに彼女を支えた。
あとは、任せて大丈夫だろう。
そう判断を下し、無言で背を向けた。
俺が今やるべきことは、ティアに寄り添うことじゃない。
ゴキゴキと、拳が音を鳴らすほど握り込む。
そうして対戦場に戻ろうとした、そのとき――
「待って下さい」
静かな、それでいて力強いティアの声が、耳朶を打った。
ピタリと足を止めつつ、前を向き続ける。
そんな俺に、彼女は平坦な声で告げた。
「お願いがあります」
何だ?――とは聞かなかった。
ただ、立ち止まり続ける。
するとティアは、僅かに間を置いてから、はっきりと言い放った。
「わたしの為に戦うのは、やめて下さい」
心臓が跳ねる。
凄いな、ティアは……。
思わず苦笑を漏らして、肩越しに返事する。
「わかった」
それだけ言って、歩み出した。
ティアとミカエラさんの視線を感じながら、もう振り返らない。
交互に足を動かして、対戦場に入る。
観戦席から注目を浴びたが、黙殺した。
その代わりに意識を向けるのは、中央のステージ。
この戦いの先に、何が待っているのかわからない。
ただ1つ、はっきりしていることがあった。
それは――
『さぁて! 決勝戦の時間じゃ! お前たち、最後まで存分に殺し合うんじゃぞ! 観客の連中は、安全圏から見ているだけなことを恥じながら、1番の人殺しの誕生に注目してくれい!』
このふざけたイベントが、終わると言うこと。
ゴールドの耳障りな煽りを聞き流しながら、大きく息を吸い込んで、時間を掛けて吐き出す。
ダメージはゼロじゃないものの、戦闘に支障をきたすことはなさそうだ。
どちらかと言うと問題は精神面だったが……ティアの言葉が効いている。
極めて落ち着いて、感情を処理出来ていた。
決勝に進めた時点で、最低でも区画ポイント50は確定。
本当に危ないときは、降参しよう。
俺には、帰るべき場所があるからな。
視線を動かして、ガレンたちを見やる。
対する彼らは、明るい雰囲気でこちらを向いていた。
あたかも、「もう充分だ」とでも言いたげに。
そのことに勇気付けられ、少し横へと目を移す。
そこには、神妙な顔付きのティアと、彼女の肩に手を載せて微笑んでいるミカエラさん。
預けた時点で不安はなかったが、本当に平気なようだ。
密かにホッとしながら、どう反応するべきか迷ったが、頬の絆創膏に触れつつ、敢えて笑顔を作った。
するとティアはハッとした様子で、ぎこちなく笑っている。
このやり取りに、具体的な意味があったかどうかわからない。
それでも、全身に力が宿った気がした。
その勢いに乗って、ステージへの階段を駆け上がる。
既にダガガの姿があり、見るからにこちらを見下していた。
それでいて、ビリビリとした覇気のようなものを感じる。
しかし、恐れはない。
ステージ中央近くまで歩み、淀みなく構えを取った。
そんな俺に、ダガガは僅かに鼻白んで、忌々しそうに唾を吐き捨てる。
戦斧を両手で掴み、暴力的な魔力を放出した。
まだ【バーニング・アーマー】は使っていないが……初手から用心しておこう。
グッとステージにブーツを食い込ませ、開始を待った。
それから、幾つか数え――
『そんじゃ、始めるか! 決勝戦……開始じゃッ!』
ゴールドの声に合わせて、踏み込――まない。
そのことに、観戦席から騒めきが起こった。
予選、準決勝を通して、俺が常に開始直後から攻めていたせいだろう。
怖気付いたと思った者もいるかもしれないが、そうじゃない。
ダガガは、はっきり言って今までの相手とは次元が違う。
無策で突っ込んで、倒し切れるほど甘くはないはずだ。
考えを読まれたとは思わないが、俺が動かないことにダガガは上機嫌に鼻を鳴らし、重々しく足を踏み出す。
「どうした? 来ないのか? 威勢が良いのは、口だけだったようだな。あの女みてぇになぁ」
ガシャガシャと、華美な鎧と装飾品を誇示するかのように、わざと時間を掛けて歩み寄るダガガ。
ティアを貶められても、無視してその場に留まり続ける。
こちらの態度に苛立ったのか、舌打ちしながら、やがてダガガは目の前に立った。
俺も身長は高い方だが、奴はそれを優に超える。
高みから見下ろすようなダガガを、下から睨み返した。
すると奴は、戦斧を高々と掲げて、興奮したように叫ぶ。
「はッ! どうやら、マジで口だけだったみてぇだな! これで、今日から俺が紅区の王だ! 死ねッ! セシル!」
思い切り振り下ろされる戦斧。
規格外の巨体を誇るダガガだが、攻撃速度そのものは速い。
瞬きする間に眼前に刃が迫り、俺の体を破壊しようとして――
「ぐッ!?」
苦悶の声を上げたのは、ダガガだった。
奴の血走った目は、自分の左肘を見ている。
厳密に言うと、右手の中指の関節だけを尖らせた、俺の一本拳が突き刺さった肘を。
鎧が堅固なことは、ティアとの戦いで見せてもらった。
ただし、いくら強固な鎧を着ていようが、関節回りだけは守り切れない。
戦斧による一撃は空振りに終わっており、ステージに大きな裂け目を作っていた。
先制打を受けたダガガは顔を真っ赤にし、戦斧を横薙ぎにする。
だが、そのときには奴の背後に回り込み、下段蹴りを左膝の裏に叩き込んだ。
「がッ!?」
ここもやはり防御が薄く、ダガガの体勢が崩れる。
そこで正面に戻り、拳を握り込んだ。
狙うは、体勢が崩れたことによって落ちて来た、相手の顎。
精確に撃ち抜くことが出来れば、異能者であっても意識を断てる。
そうすれば、殺すことなく俺の勝ちだ。
歯を食い縛って、右腕を振り切る。
視界がスローモーションのようになり――
「調子に……乗んなぁぁぁッ!!!」
真っ赤に染まった。
次いで感じたのは、強烈な熱。
咄嗟に距離を取ったが、1秒でも遅ければ、今頃消し炭だった。
もし奴の異能を事前に見ていなければ、ここまで攻めることは出来なかっただろう。
それでも、心臓が激しく脈打ち、熱とは違う理由で汗が噴き出した。
辛うじて平静を保てているが、視線はダガガから……いや、炎を纏った眼前の化物から、離せない。
「クソがッ! テメェに【バーニング・アーマー】を使う羽目になるとは、思わなかったぜッ! 絶対、ぶっ殺してやるッ!」
怒り心頭で、地団太を踏んでいるダガガ。
足元が陥没し、なおかつ焦げている。
隙だらけのようだが、攻め込むことは出来ない。
何故なら、火力以前にダガガの異能は、俺にとって相性が最悪だからだ。
肉弾戦しか出来ない以上、敵に触れるのは必要不可欠。
しかし、今の奴に近付くのは、自殺行為。
こうなったら、ダガガの魔力が尽きるまで粘るしかないか……。
幸い、相手は俺が異能を持たないことを、知らないはず。
なら、時間稼ぎくらいは出来るかもしれない――と、考えた俺が浅はかだった。
「くくく……何か企んでるようだが、無駄だぜ? テメェに異能がねぇのは、わかってんだよ!」
鈍器で殴られたように、錯覚した。
それでも表情には出さず、平然とした態度で言葉を並べ立てる。
「どうしてそう思う? 俺がまだ、力を温存しているとは考えないのか?」
「あんま舐めんじゃねぇぞ? もし本当に異能を持ってるなら、とっくに勝負を決めに来たはずだぜ。だが、テメェはしなかった。つまり、今が全力ってことだッ!」
俺に指をビシッと突き付けながら、ダガガは叫んだ。
観戦席にどよめきが広がっているが……残念ながら、否定する材料がない。
仮に言い訳したところで、奴は信じないだろう。
良くも悪くも、自分に絶対の自信を持っていそうだからな。
黙り込んでいる俺をどう解釈したのか、ダガガの口が邪悪に弧を描く。
そして――
「生身の人間なんざ、俺の敵じゃねぇッ! 燃え尽きやがれッ!」
足裏から炎を噴出させて、突進して来た。
機動力まで上がるのか……!?
反射的に身を投げたことで直撃は避けたが、掠った炎が全身に痛みを走らせる。
炎を操る異能自体は珍しくないが、これほどとは……!
背筋に寒いものが走りつつ、体勢を整える。
そのときにはダガガも、突撃の準備を済ませており、間髪入れずに向かって来た。
今度もクリーンヒットは許さなかったものの、着実にダメージは蓄積されている。
しかも、火傷を負っていることで痛みが継続し、意識が朦朧として来た。
このままじゃ……。
忍び寄って来る死の気配に、膝が折れそうになる。
そのとき――
「もう良い、セシル! 降参しろ!」
「セシくん! これ以上は駄目よ!」
「お兄様! もうやめて下さい!」
仲間たちが、悲痛な顔で呼び掛けて来た。
あんなに必死なガレン、初めて見たな。
フローラも、いつもの彼女じゃない。
エルナに至っては、滂沱の涙を流している。
彼らの言う通り、俺は良くやったと思う。
異能なしで、ここまで来られただけでも、頑張った方だ。
区画ポイントを50獲得出来るなら、役目は果たしたと言える。
母さんたちと再会する為にも、ここで死ぬ訳には行かない。
諦める理由が、いくつも湧いて来た。
あとは、降参とだけ言えば――
「ハハハ! お仲間の言う通りだぜ! 所詮、異能を持たないテメェは、愚民の中でも最底辺! 王である俺には、勝てねぇんだよ! サッサと諦めちまえ! まぁ、降参させる前に、燃やしちまうけどなぁッ!」
それまで以上の炎を滾らせたダガガの言葉に、片眉がピクリと跳ねる。
俺が勝てないのは、認めても良い。
だが、その理由を、異能の有無にする訳には行かない。
絶体絶命の状況下で、対戦相手から目を逸らした。
馬鹿げた行為だが、それでも確認したいことがある。
視線の先には――ティア。
口を真一文字に引き結んでおり、目尻に涙が浮かんでいる。
自分の為に戦うなと言った彼女が、酷く悔しそうにしていた。
誰が彼女に、こんな顔をさせた?
ダガガか?
違う。
俺だ。
異能があろうがなかろうが、俺は強いとティアは言ってくれた。
それなのに、彼女より先に諦めようとしている。
そんな自分が、許せない。
本当に俺は、全てを出し尽くしたのか?
……いや、まだだ。
頭ではなく、体がそう叫んでいる。
全身から痛みが引き、何かがカチッと音を立ててはまった。
同時に、ティアから目を移して、ダガガを見据える。
すると奴は、勝利を確信していた顔を引きつらせ、意味不明なことを言い出した。
「テ、テメェ……何だその目は!? そ、それで、俺がビビるとでも思ってんのか!?」
何を言っている?
俺の目が何だって言うんだ?
まぁ、どうでも良い。
自分でも恐ろしいほど冷静な声で、告げる。
「決着を付けるぞ。来い」
「ぐ……! ふざけやがって……! 愚民が王に、指図すんなぁぁぁッ!!!」
膨大な炎を身に纏い、ダガガが突っ込んで来た。
本体を避けたとしても、炎の餌食だろう。
しかし――
「起動、武装」
気付けば淀みなく、その言葉を紡いでいた。
瞬間、それまで流動的だった魔力そのものが、俺の身に固定される。
まるで、それが当然かのように。
黒と銀が混ざったような光が発せられ、強大な力が迸った。
ガレンたちやティアを含めた観客は息を飲み、ダガガは裂けんばかりに目を見開いている。
それでも俺の心には小波1つ起きず、左手を前に出し――受け止めた。
突撃して来たダガガの頭を左手で押さえ、それ以上は進ませない。
炎が俺を包んだが、固定した魔力の前では無力。
熱も全く感じなかった。
この力は……そう、【マナ・オリジン】。
魔力を消費して超常現象を起こすんじゃなく、魔力そのものを力と変える異能。
圧倒的な防御力を誇るが、それだけじゃない。
ダガガの頭を左手で押さえ込んだまま、おもむろに右拳を振り上げ――ゴキッと。
嫌な音が鳴った。
「がぁぁぁぁぁッ!?」
軽く突き出した俺の右拳が、ダガガの左腕を鎧ごと粉砕する。
弾力のある筋肉が潰れるのと、硬い骨を折る感触がしたが、心は凍り付いたかのように動かない。
天を仰いで絶叫する奴を見ていると、哀れに思えて来るな。
だからと言って、容赦する気もない。
今度は左拳を引き絞り、ダガガの右腕を破壊する。
戦斧を取り落とし、喉が裂けそうなほどの絶叫を再び上げていた。
口の端から涎を垂らし、呼吸を荒らげて、膝が揺れている。
折れた腕をだらんとぶら下げている姿は、滑稽ですらあった。
そこに来て構えを解き、ダガガへと冷ややかな言葉を投げ掛ける。
「降参しろ。そうすれば、死なずに済む」
ダガガとの身長差は当初と変わりないが、精神的にはこちらが見下ろしている立場。
意識して威圧的に言い放ち、奴に負けを認めさせようとした。
可能なら気絶させたいが、【マナ・オリジン】を解除したら俺が死ぬ。
だからと言ってこのまま攻撃したら、殺してしまうだろう。
殺さずに済ませられるほどの微調整は、今は出来そうにない。
それゆえに、ダガガが生き残る方法は、降参のみだ。
……そう、そのはず。
ところが奴の目は、この期に及んで死んでいない。
「……く、くくく……出来んのかよ?」
「何?」
「あの女と同じだッ! 偽善者のテメェに、人を殺せるのかって聞いてんだよッ! 出来ねぇだろッ!? だったら、勝負はまだ付いちゃいねぇッ! 愚民どもを従えて、紅区を勝たせられるのは――」
ダガガの腹に、大きな風穴が空いた。
それを成したのは、全力で撃ち出した俺の右拳。
会場は静まり返り、ダガガは呆然と腹を見つめている。
拳が奴の体を捉えた感覚は、一瞬しかしなかった。
それほど呆気なく、腕が背中まで貫通した。
ゆっくりと引き抜くと、手が腕まで真っ赤に染まっていた。
鉄のような匂いが、意識に届く。
ソウル化が始まると同時に、手にこびり付いていた血も消えようとしていた。
無言で自然体に戻り、正面から風穴を見つめ――
「王の……俺が……。愚民どもを……導けるのは……俺……だけ……」
無念の声を残し、ダガガが青白い炎となって消滅する。
そのとき、奴がどんな顔をしていたのかは、知らない。
あとには、俺だけが残された。
……これで良い。
もしあそこで、躊躇ってしまっていたら……。
顔付きを変えず、【マナ・オリジン】を解除する。
それとともに、痛みを感じるようになったが、本当の意味で傷付いているのは体じゃなかった。
毅然とした態度で上空の画面を見ると、ゴールドが心底嬉しそうに声を発する。
『試合、終了~! バトル大会の優勝者! 自分が生き残る為に他人を殺した、最低の人殺しは! セシル=タリオじゃ~! おめでとうさ~ん!』
ゲラゲラ笑って、手を打ち鳴らすゴールド。
一方の会場には、重苦しい空気が漂っている。
俺も、ガレンたちやティアを見ることが出来ない。
ただし、言っておかなければならないことがあった。
「そうだな。俺は、人殺しだ。だから、良く覚えておくと良い。俺に……黒区に手を出すなら、命の保証はないと。それから、無駄な殺人を犯す者は優先的に狙う。嫌なら大人しくしておくんだな」
一息に言い切って、ステージをあとにする。
頭上からゴールドの盛大な舌打ちが聞こえて来たが、無視した。
区画関係なく、畏怖の込められた目で見て来る観戦者たちも、気にしない。
スタスタと歩みを進め、会場内の廊下へと入り――
「あ……」
視界が暗転した。
受け身を取ることも出来ずに倒れ込んだが、衝撃すら感じない。
次第に意識が薄れ――
「セシル!」
最後に耳にしたのは、箱庭で最初に出会った少女の声だった。




