~はてな?の茶碗~
八軒家の騒がしい座敷で、江戸の名高い茶人の旦那が、鰻を前にふと「……はてな?」と首をかしげ、手元の湯呑みをまじまじと見つめました。
やがて茶人の旦那が勘定を済ませて店を出ると、給仕の定吉が、いつものように空いた食器を片付けようと手を伸ばしました。
「ちょっと待ちなはれ。……その湯呑み、わてに譲ってくれんか」
近くの席で様子を窺っていた欲の皮の突っ張った客が、身を乗り出して定吉の手を止めました。
「今、あのお方が目を付けたその湯呑みや。……十両出すわ。大将にそう伝えてくれ!」
亀吉は、慌てて板場にいる伯父貴のもとへ駆け込みました。
「伯父貴、大変だ! さっきの茶人の旦那が首をかしげたのを見て、隣の客が『その湯呑みを十両で譲れ』って詰め寄ってるよ! 伯父貴、どうするんだい、あの湯呑みは本当は……」
伯父貴は、脂の乗った鰻の身に串を打ちながら、鼻先で笑いました。
「亀、おまはんはホンマに純粋やな。……茶人の旦那が『はてな?』と首をかしげ、客が『売ってくれ』と言い出した時こそ、一番の儲け物やで」
「えっ? だって伯父貴、あの旦那が首をかしげた本当の理由は、中身の茶が白湯みたいに薄いのに、器の中が真っ黒で濃く見えたからだろ? あれは銘品なんかじゃない、ただの『茶渋』がこびり付いてただけじゃないか!」
「……わかっとる。亀、商売人にとっての『はてな』っちゅうのはな……
『果……手……名』
つまり、『果てしなく、手を尽くして、名を売る』っちゅうことや。
その旦那がなぜ首をかしげたかなんて、どうでもええことや。茶人の名声が『はてな?』と疑いを生んだ瞬間、この茶渋だらけの安物は『名品』に化けたんや。わしはあの客に『旦那、お目が高い。これぞ、茶人の旦那をも唸らせた“八軒家・茶渋の雫”。器そのものに歴史が染み込んどるんですわ』と吹き込んで、十両で売りつけてやったわ」
「……でも、あとで洗って茶渋が落ちたらどうするんだよ!」
「いいか、亀。わしはすでに茶人の旦那にも耳打ちしてきたわ。『旦那、この茶渋を見て首をかしげはったのは、うちの掃除が行き届いてへんかったからでっしゃろ? その恥をかかせん代わりに、この最高級の鰻を献上しまっせ。……その代わり、あの客に聞かれたら、この茶渋を“名品の景色”だと言い張ってなはれ』とな」
伯父貴は、茶渋でどす黒く汚れた湯呑みを愛でるような目で睨みつけ、三文をチャリンと鳴らしました。
「……ふう。客は器の正体を追いますが、わしは客が落とす『茶渋の値打ち』を頂戴しますわ。……『はてなの茶碗』っちゅうのは、掘り出し物の話やありまへん。……客の『?』を『金』に変えて、掃除の不手際を十両に変える店、っちゅうこっちゃな。」




