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笑う門には福来たる(服着たる)

「あー、暑い暑い。大坂の夏は、着物一枚着ているのもごうやな」


八軒家の浜に、見るからに仕立ての良さそうな、涼しげな麻の着物を着た若旦那が姿を現した。扇子をパタパタと仰ぎ、お供の丁稚でっちを連れて歩く姿は、いかにも「ええとこの坊ぼん」である。


「若旦那、でもそのお着物、江戸で流行りの最新のデザインだそうで。素敵ですなぁ」


「当たり前や。わては中身より外見を大事にする男やさかいな」


そんな二人の鼻を、あの香ばしい匂いがかすめた。


「おや、鰻か。……どれ、このボロい店で涼ませてもらうか。……ごめんよ!」


店主は、若旦那の「服」を一目見るなり、ニヤリと笑った。


「へえ、いらっしゃいまし。……ほう、旦那。えらい立派なお着物で。その絹のような光沢、さぞや値が張るんでっしゃろな」


「まあな。わては、服が笑えば福が来ると思ってる男や。……大将、一皿焼いてくれ。一番ええやつをな!」


「へえ、承知しました。……けど旦那。鰻の脂っちゅうのは、時として『福』を汚すこともありますさかい、お気をつけてな」


店主は手際よく鰻を火にかける。パチパチと脂が弾け、あの濃密な煙が店中に充満する。若旦那は、自慢の服に匂いが付くのも構わず、鰻の焼き上がるのを待っていた。


やがて、極上の鰻が運ばれてくる。


「旨い! 旨いけど……おや。……ああっ! しまった!」


若旦那が勢いよく鰻を頬張った拍子に、秘伝のタレが、その真っ白で高価な麻の着物の胸元に、一滴、ポツリと落ちてしまった。


「あああ! わての宝物の服が! このタレ、落ちるんか!?」


「旦那、焦りなはれ。うちのタレは、百年かけて煮詰めた執念が詰まってます。洗ったくらいじゃあ、まず落ちまへんわ」


「そんな……! これじゃあ、福どころか、不幸やないか!」


若旦那が半泣きで嘆いていると、店主はなに食わぬ顔で、店の奥から一枚の「古びた、しかし味のある羽織」を持ってきた。


「旦那、これも何かの縁や。その汚れた服の代わりに、うちの先代が愛用してたこの羽織を差し上げまひょ。……これ、一見ボロに見えますが、着れば不思議と、どんな不運も笑い飛ばせるようになりますわ」


若旦那は背に腹は代えられず、そのボロ羽織を羽織って店を出た。


しかし、どうしたことか。その羽織を着て歩いていると、すれ違う人々が皆、若旦那の姿を見て「プッ」と吹き出し、やがて「ワハハ!」と大笑いし始めた。


「……なんや、皆して笑いおって。わての服がおかしいんか?」


「若旦那! 見てください。その羽織の背中……大きな『鰻の絵』が描いてありますわ!」


若旦那の背中には、まるで看板のような立派な鰻の刺繍が躍っていた。


彼は図らずも、鰻屋の「歩く広告塔」になってしまったのだ。


店主は店先で、遠ざかる若旦那の背中を見送りながら、盆の上で三文を転がした。


「……服を汚して、代わりに店の宣伝をしてもらう。……ふふ。旦那が歩くたびに、周りに笑いが起きて、うちには客が来る。まさに、笑う門には服(福)来たる、っちゅうこっちゃな。」


店主は満足げに鼻歌を歌い、次の仕込みへと戻っていった。



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