~馬の耳に~
「伯父貴! もう嫌になっちゃうよ。さっきの強欲な米問屋の若旦那、『鰻なんてどこで食っても同じだ、タレが濃ければそれでいいんだ』なんて、うちのこだわりを鼻で笑いやがって。……僕が一生懸命、伯父貴がどれだけ炭にこだわってるか説明しても、まるっきり上の空だよ。まさに『馬の耳に念仏』だ!」
亀吉が顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいると、伯父貴はいつになく穏やかな手つきで、一串の鰻を網に乗せました。
「……亀。言葉で聞かせて分からそうとするから、お経(念仏)になっちまうんや。……馬にはな、言葉やなくて、美味い『飼い葉』を食わせるのが一番の近道やぞ」
「えっ? でも、あんな奴に伯父貴の最高の焼きを食わせるなんて、もったいないよ!」
「アホか。わしが今から焼くのは、ただの鰻やあらへん。……あいつの鈍った舌を叩き起こす、『味の説法』や」
伯父貴は、炭の爆ぜる音に耳を澄ませ、ほんの一瞬のタイミングで鰻を裏返しました。余分な脂を落とし、旨味だけを閉じ込めた、これ以上ないほど「誠実な」焼き上がり。
それを、わざとタレを少なめにして、鰻本来の香りが立つように仕上げました。
「……若旦那。お待たせ。……能書きはもう言わんわ。ただ、この一嚙みを、あんたの耳やなくて『腹』に聞かせてやってや」
若旦那は、鼻で笑いながら一口頬張りましたが……次の瞬間、箸が止まりました。
脂の甘みと、身のほどけ方。これまで食ってきた「濃いだけの鰻」とは、まるで次元が違う。
若旦那は、言葉を失ったまま、最後の一粒まで無言で平らげました。
「……大将。……すまなかった。俺は、何も分かってなかったよ」
若旦那が、憑き物が落ちたような顔で帰っていくと、亀吉が目を丸くして言いました。
「伯父貴、すごいよ! まるで奇跡だ。あんなに頑固だった奴が、一言も喋らずに改心しちゃうなんて」
伯父貴は、照れ隠しに勢いよく焼き台を掃除し始めました。
「……亀。わしも昔は、お清がどんなに『真心』を説いても、金のことしか聞こえん『馬』やった。……馬の耳に念仏っちゅうのはな、説法する側の『徳』が足りんから届かんのや。……わしはな、あいつに鰻を焼いたんと違う。……昔の自分に、お清の代わりに『目ぇ覚ませ』って、味で説教したんや」
「……伯父貴。それじゃあ、今日の若旦那の代金、また安くしちゃったのは?」
「……。……それは、馬が利口になったご褒美や! 文句あるか!」




