第四話
小林と会った日の夜。ご飯やお風呂など一日を終える準備を済ませた僕は、自宅のバルコニーに出て夜空を眺めていた。
四月はまだ肌寒い日が続くが、それでも一時のような凍てつく寒さからは解放され、何か適当に羽織っておけばこうして外に出ることができる。
夜空といっても見えるのは一等星と人工衛星と飛行機くらいなもので面白味は特に感じられないが、都会の空はこんなものと割り切ればこの機械的光にもちょっとした情緒を見出すことができる。新月なのが少し悔やまれるが。
中学生の頃の小林の姿を思い返す。今日本人と会ったことで今まで使わなかった部分の脳細胞が活性化したらしく、容易にその姿を思い出すことができた。
おさげで、黒縁眼鏡をかけていて、体も態度も小さくて、頼まれると断れない気の弱そうな感じで。
このままいけば立派な大和なでしこに成長するはずが、今のような男3女1バンドのベーシストみたいな風貌に変身するんだから驚きだ。
とか人のことを言っているが、僕自身もきっと周りから見れば少しずつ変わっていっているんだろう。特に中学生の頃の知り合いから見れば、その違いは顕著に映るに違いない。
今でこそ擦れて捻くれてやることなすこと全部にケチをつけて頑張らないことに理由をつけてそのくせ他人の頑張りは特に応援しない最悪の人格が形成されてしまっているが、中学生の頃の僕はもっと活発で利発的で穏やかだった気がする。
僕は小さい頃は何になりたかったんだっけか。確か野球選手だった気がする。それから料理人にも。プログラマー。弁護士。教師。いつしか何も目指さなくなった。
タバコでも吸おうかと思ったが、歯磨きを済ませていたうえに実家で吸うと匂いが染みつくからと親に禁止されているので辞めておく。代わりに手にしたフリント式ライターをつけたり消したりしてもてあそぶ。
僕は何のために総社大学に入ったか。大層な理由なんてない。僕の手が届きそうな範囲で一番賢い大学だったからだ。法学部を選んだのもなんかカッコいいと思っただけ。
僕は総社大学を辞めることを一瞬だけ考えて、辞めてすることもないなと思い直して辞めた。見上げた空は流れ星が降っていた。よく見たら人工衛星だった。都会の夜空に情緒はない。
***
「そういや昨日小林にあったわ」
「え、マジ。どこで?」
「ガーデンズの本屋。店員やってた」
「さっすが図書委員」
翌日。僕は国沢に昨日小林と会ったことを掻い摘んで伝えた。なお、高校をドロップアウトして——というくだりは伝える必要がないと判断してカットしている。
小林が手伝う気はない、という話を聞いて国沢は眉間にしわを寄せた。しわを寄せながらパフェを口に運ぶ。
僕たちは3限の授業を受け終えた後、総社大学前のスイーツショップに来ていた。僕はオレオクッキーがクリームに練りこまれたバニラパフェを、国沢はストロベリーソースで酸味が足されたチョコレートパフェをそれぞれ食べている。
「小林には手伝って欲しかったんだけど」
「生徒会ってそこそこ人数いたよな。別に最悪一人くらいいなくてもいけるんじゃないの」
僕たちの出身中学校は、各委員を統べる委員長のみで生徒会メンバーを構成していたが、それでも保険委員長や風紀委員長、体育委員長など、図書委員長の小林が抜けたところで気にならないくらいのメンバーを確保できているはずだ。
最も基本で根本的な部分を指摘すると、国沢は「そこなんだよ」と言いながらパフェを食べるためのスプーンをこちらに向けた。行儀が悪い。
「確かに人数はいた。でも全員が協力的ではないんだよね」
「協力的じゃない? 同窓会に?」
「うん。ほら、うちの中学って仲間意識が強かったでしょ? ボス猿を中心に女を侍らせて手下がすり寄ってマジでキモかったじゃん」
「否定はしないけどな」
中学の頃の教室を思い出す。
確かに横暴でモヒカンの亜種みたいな髪型をしたバスケ部の陽キャが、クラスの中心の席を丸ごと陣取って騒ぎ立ててうるさかったのを思い出す。
横に彼が好きなのではなく彼の持つ地位という名の特権階級が大好きで、気に入らない女子を平気でいじめてそのくせ内心稼ぎで教師に媚びていそうな、爪の長いマスカラバチバチの女たちを何人か侍らせて、駒としてテニス部に所属しておきながら卓球部はもちろんバドミントン部や同じテニス部員男子すら見下し、MV再生回数25万回のインディーズバンドを聞いているが「これが好きな俺」が好きなだけで曲自体が好きなわけではない大衆音楽を聞く奴らを皆小馬鹿にする男子たちを使っていた。
恐らくそのことを言っているのだろう。
「ああいう奴らが同窓会とは別に人を集めようとしてんのよ。こっちを経由するとホテル借りたり先生呼んだりしなくちゃで何かと出費がかかるんだけど、あいつらは人集めて飲み屋荒らすだけで済むからね」
「流石に全員が全員あいつらについていかないでしょ。あの絶対正義に媚びへつらう空気が苦手な人もいるだろうし、そもそもこっちが正統派でしょ。生徒会なんだから」
「向こうに生徒会が何人かついてるのよ」
あっ、と僕は言った。問題点に気づいたのもあるし、国沢が僕のパフェを根こそぎいきやがったからというのもある。
「おいもうコーンフレークしか残ってねえぞ。……国沢の考えている問題は、このままだと同窓会会場が二つできるってことね」
「そういうこと。人が分散して半端なことになるし、何より向こうのボス猿開催に関して不安ごとしかない。絶対何かしらやらかして、その負担が僕のところにも来るだろ。別に仲いい人たちで集まるのは良いと思うけど生徒会の名前を貸して俺にまでしわ寄せがくるのはごめんだね」
国沢の横髪が揺れて、刈り上げたツーブロックが見え隠れする。
僕が底に残ったコーンフレークをかき集めて口に流し込んでいると、牛丼の余った時の食べ方だ、と国沢に言われた。なんでこいつがモテるのか分からない。人間やはりちょっと人間性が欠けている方が魅力的に映るのだろうか。
「まあでもこの問題は何とかするよ。それに同窓会なんてまだ先のことだしね。先延ばし先延ばしぃ」
「ヤバい出来事似なり得る火種は早めに手を打って潰しておくのが定石だけどな」
バイバインの栗饅頭しかり。放置が後の悲劇を招くことは知っている。でも、正直僕はこの問題に無関係。当事者が後回しにするならば僕も後回しを選択するのが自然なものだ。
というわけで僕は国沢のパフェを奪い取り、バニラクリームの上に乗った、彼が大事に残していたカットストロベリーをクリームごと掬い取り食べた。
国沢は泣くでも怒るでもなくこちらを黙って見ていた。いや、その実彼に僕の姿は映っていないのかもしれない。まさに放心状態。甲子園をかけた県大会の決勝でサヨナラホームランを打たれた時のピッチャーみたいな顔をしている。
そんな顔をするなら僕に攻撃してくるなよ。
国沢は4限の授業に出席せず帰っていった。
被害レベルは同じなはずなのに少しだけ罪悪感が沸いた。




