第三話
放課後の図書室。
人っ子一人いない部屋で、僕は足を組みながら本を読む。
中学生の頃の僕が読むのは専らミステリだった。中学を卒業してから高校までの間にやることがなく、ラノベでも読んでみるかと思って手を出したが最後ドはまりしてしまい、以降はラノベしか読んでいないのだが、この頃は本格派と銘打たれた分厚い本の数々を脳に仕入れていた。
ぺら、と自分のページを繰る音がやけに大きく聞こえる。
窓越しに小さく聞こえてくる野球部の掛け声やトランペットの練習音が時間の経過を伝えている。
「一谷君」
「ああ、お疲れ」
がらがらと軋む引き戸を開けて入って来たのは小林奈央だ。久しぶりの来客かと思ったが、キャスト側の追加だった。
「調子はどう?」
「僕は元気だけど、この図書室はそうじゃないね」
「それは……困ったね」
小林がたははと笑う。
今の若者は本離れがどんどん進んでいる。正直、動画やソシャゲに時間を吸われたドーパミンの虜である現代人がまた読書文化に戻ってくるとは思えない。この中学校の図書室も、昼休みはちょいちょい本を借りに来る生徒が見受けられるが、放課後になってまで本を借りたり読んだりしに来る生徒はいない。
「今週は貸し出し週間なんだけどな」
小林が窓の方を向いた。前髪がエアコンの風で揺れる。
貸し出し週間は9月を読書の秋として過ごしてもらうべく行われている方策で、期間内に借りた本の数に応じてポイントが加算され、最もポイントを獲得した生徒には表彰が行われるほか、既定の貸し出し数を超えるとブックカバーや栞が贈られる。
だが今のところその景品たちがはける見込みはない。表彰も図書委員長の小林がされるだけだろう。
それ以降特に会話は続かない。僕は小林の方を少しだけ気にかけつつ本を読み、小林は近くの本棚に並ぶ本の順番を整理する。
そんな日々を過ごし、僕は思惑通り内申点を手に入れ、市内の少し良い高校へ進学することに成功した。
***
後少しで勤務終わるから待ってて、と小林に言われた僕は、ガーデンズのシンボルゾーンであるガーデンテラスのベンチに腰かけていた。
阪神間の豊かな自然環境との調和をもとに作られただけあり、豊かな緑や芝生、噴水が広がるなどのどかな空間が構成されている。
少しずつ日が沈みだす頃合いなこともあって辺りは綺麗にライトアップされ、幻想な空気を醸し出している。
夜は少し冷えるな、と思いながら4月の服装の難しさについて思案していると、奥のベンチに座るカップルが「寒い~」なんて言いながら互いのポケットに手を突っ込み合っていた。
本当に寒いのはお前らの行動をまじまじと見せつけられる僕の心だよなんて思いながらカップルに白い目線を送っていると、勤務を終えた小林が現れた。
カーキ色のスプリングコートで全身を包んでいる。この時期はその恰好が正しい。
小林は僕の姿を見つけると隣に座った。ただし少し隙間を開けて。
「……さっき凄い目してたけど」
「気のせいじゃない?」
「腐った魚介類の目だった」
さらっと毒づいた小林はポケットからスマホを取り出していじり始めた。
腐った魚介類。そこまで僕の目は死んでいたのか。
勤務終わるから待っててなんて小林に言われたから、感動の再開からのなんかちょっと良い感じの雰囲気になるかもしれないと思っていたが、「久しぶりー」すらない僕たちにそんな気配は微塵もない。
だが、人生がそう簡単に好転しないのは韓国語で一緒だったあの女子のおかげで学習済みなのでダメージは少ない。
「一谷って大学生?」
スマホをいじりながら小林が言った。こちらには目もくれない。
「そうだけど」
「どこ行ってんの」
「総社大」
「へえ。良い大学じゃん」
「それはどうも」
総社大学は関西のみならず全国的に名の通る私立大学だが、僕の家から通うのはかなりキツイ。
西宮から京都にある総社大学まで片道2時間はかかる。国沢は一人暮らしをしているが、僕も両親に交渉してみようか。
「一谷、賢かったもんねー」
感情のあまりこもっていない声で言われた。
そういえば、昔は小林から一谷君と呼ばれていたのを今頃思い出した。呼び方が変わったからどうだという話ではないが、印象は変わったなと思う。
「小林は今大学生?」
「いや。今は……人生放浪中ーってところかな」
たはは、と笑いながら小林が胸ポケットから小箱を取り出した。キャスター。甘い香りとマイルドな味わいで老若男女から人気のあるタバコだ。
フィルムを剥がして蓋を開け、慣れた手つきでとんとんと叩き1本取り出す。
「一谷ってタバコ吸える人?」
「吸えるっちゃ吸える」
社会人になった時みんながタバコ休憩に入っている間一人で仕事をするのは癪なので、その対策として咳き込まない程度には吸う力を身に着けている。口内でもくもくとしかしないが。
「でもガーデンズは喫煙スペース以外禁煙だぞ」
「あら残念」
「従業員なのに知っときなよ」
「働き始めたのわりかし最近だしねぇ」
残念そうに胸ポケットにタバコをしまう小林。「結構あるな」という考えがバレないように視線を逸らした。小林はタバコを吸えないストレスからか、足を組んで貧乏揺すりしながらスマホをいじっている。
そういえばこの前、国沢が小林に連絡を取りたがっていたのを思い出す。狙っていたわけではないが、いい機会だ。
「小林」と呼びかけると、不機嫌そうな顔をこちらに向けてきた。
「何」
「国沢って覚えてる?」
暫し沈黙。自分の眉間に軽く人差し指を当てていた。おそらく考えるときの癖なんだろう。
「……さあ? いたような、いなかったような。アレか、ちょっとスカしてたいけ好かない奴」
「あっ、多分それ。そいつがお前のこと探してる」
「なんで?」
明らか不審な目を向けられた。もしかしたら恋愛的に狙われていると勘違いさせたのかもしれない。一応国沢の名誉のために早めに訂正しておく。
「同窓会の幹事に加わってほしいんだと。元生徒会メンバーだからだって」
返事はすぐに帰ってこなかった。小林の方を見ると、何か形容しがたい様々な感情がない交ぜになったみたいに複雑な顔をしていたが、僕の視線に気が付くと、にへらっと嫌な笑みにすり替えた。
「一谷、あんた代わりに引き受けてくれない?」
「嫌だけど」
「つれないなあ」
スマホの電源を切り、人差し指と中指で挟みながらちっ、と明確に舌打ちされる。スマホをタバコに見立てているように見えた。
「参加したくないんだ」
「もちろん」
「ちなみに理由は?」
「あの中学、地元サイコーつって暴れてるようなバカな連中も結構いたけど、賢い人も多かったでしょ。一谷は総社大だし、他にも有名大学に受かった人が多分何人もいる。生徒会メンバーなんてエリートぶった奴らが集まる場所なんだから、高校ドロップアウトしてフラフラしてる私が入ったら浮くの確定……。ここまで言えばオーケー?」
「まあ、オーケー」
小林の言い分にも分かる部分はあるので、親指と人差し指で輪っかを作り、それ以上の追及はしないでおく。国沢には、ドロップアウトの部分を適当にはぐらかして小林の協力は無理そうだと伝えれば良いだろう。
「さて、私はタバコ吸いに喫煙所に行くよ。じゃあね」
「了解。……って、そういや僕を呼びつけたのって何か理由ある?」
後少しで勤務終わるから待ってて、という言葉の真意を聞きただそうと思ったが、当の小林はきょとんとした感じで目をぱちくりさせていた。
「久しぶりに少し話したかっただけだけど?」
「あっ、そう」
立ち上がりガーデンテラスから出ていこうとする小林。僕はそのままベンチに座っていた。
「また店来なよ。サービスするから」
「あんま本屋でそういうの聞かないけど」
「確かに。やるなら居酒屋か」
たはは、と小林が笑った。その姿が、中学生の頃と髪色も、口調も、スタイルも、何もかもが違うのに自然とあの頃に重なって見えた。
それが僕は不思議だった。




