第56話
「僕への情けは無用ですクローディア様! 我々影は幼い頃より、覚悟は出来ていますので!」
ユミルが後ろでそう喚いた。
だけど自分でも驚くくらい、返す答えは決まっていた。「心の声を読むチート」で今まで何度も垣間見てきた彼の心────それが本物なのならば、彼は今心の中で、きっとこう考えていると思ったから。
「ユミルを殺して私を助けてください。この先一生、貴方に逆らわないと誓いますから・・」
これは喧嘩なのだ。私と彼の、初めての。お互いをもっと分かりあう為には、必要不可欠の。
「・・私にそう言って欲しいんですよね?
そうすれば私に失望して、未練なく私を殺せるから」
私は信じられないほど冷静に、剣を向ける彼をまっすぐに見つめた。恐怖はもう感じなかった。恐怖を感じていたのは・・きっと彼の方なんじゃないかな。
「でもそんな事、絶対言ってあげませんよ。私の選択はユミルを見逃す方です。私を殺して力を得たいなら、どうぞそうして下さい。ただし貴方にはこの先一生、私を失った後悔と悲しみで、苦しんでもらいます」
私はね、殿下────そんな風に試されて、今すごく怒ってるんですよ。
私は彼をまっすぐに睨みながら、彼の突きつけた剣を掴んで自分の方へ引き寄せた。刃に触れた指から赤い血がしたたり落ちると、彼は怯んで遂に剣から手を離した。
ガランという音を立てて、剣が地へと落下する。そして彼は・・その場に力なく崩れ落ちた。
「・・俺には出来ない・・君を殺すなんて・・」
彼は地に両膝をつき、顔を手で覆った。その指の間から、涙が溢れ落ちたのが見えた。空は既に半分ほど闇が薄らぎ藍へと移り変わり、見下ろした地平線は陽の登場を待って白く輝きはじめていて、いつの間にか私の足を捕えていた闇も消え失せていた。
長い長い夜が・・明けようとしている。
私は彼の元へと歩み寄り、夢の中と同じく暗がりの中で項垂れる彼の前へしゃがみ込んだ。だけどまだ怒り収まらぬ私の口から漏れるのは、おびただしい数の彼への苦言で・・。
「何泣いてんですか。泣きたいのはこっちですよ。監禁するわ殺そうとするわ、信じられない。最低。話だって全然聞いてくれないし私のこと疑ってばっかりだし、ユリウス殿下ってほんと、ネチネチしてて情け無くて自分のことしか考えてないですよね。私の事好きならもう少し、私がどう思ってるかとか、喜ぶ様な事してあげたいとか、思わないもんですかね。いっつも自分の欲望優先じゃないですか。挙句にこんな試す様なこと言って、性格悪いにも程がないですか? 可哀想な過去があるから、私が一方的に我慢して優しくしなきゃならないんですか? それってこの先一生? そんなのおかしくないですか? 私だって人間なんですから、ちょっとは優しくされたいし、大事にされたいし、ちゃんと信用されたいですよ」
彼は顔を覆ったまま、無言で首だけを頷かせた。私は溜息をついて────そんな彼を抱きしめた。
「・・ほんっと仕方のない人ですね。ちゃんと反省して下さい。私と貴方はこれからまだまだ長い時間、一緒に過ごすんですから」
彼の肩が小さく揺れて、覆っていた手から離れてやっと顔を上げた。その涙に濡れた黒曜石の瞳には、やはり戸惑いの色が濃く浮かんでいた。本当に仕方のない人。私は再び溜息をついて、彼を見下ろす瞳に笑顔を浮かべた。
「知らなかったなら覚えておいて下さい。私・・貴方の事が、好きなんですよ? 復讐だとか言ってないで、ちゃんと私を幸せにして下さい、この甲斐性無し」
──── 一方その頃、気を失っていた司祭様は、暗い神殿の中で意識を取り戻した。
「・・はっ・・夢??」
辺りを見回しても、もうあの不気味な目は無くなっていた。何か悪い夢でも見たのだろうか。でも自分が倒れているのは夢のとおり、神器の祭壇の前だ。混乱する司祭様の元に、どこからやってきたのだろう、一匹の白い猫がやって来て「ニャー」と鳴いた。猫は軽やかに祭壇の上へと飛び乗ると、再び鳴き始める。
「あーあーダメだよ、大事な祭壇の上にのっちゃぁ」
司祭様は立ち上がり、猫を捕まえようと手を伸ばした。すると猫はするりとその手を掻い潜り、祭壇の上に置かれた黄金の鐘の周りを鳴きながらぐるぐると周り始める。
「なんだい、この鐘を鳴らせってかい? ダメだよこれは玩具じゃないんだ。こう見えてすごい有難いものなんだよ」
司祭様が猫の胴を掴むと、猫はじたばたと暴れ回り手の中から抜け落ちた。そして再び、鐘の横で催促する様にニャーと鳴いて見せる。
「・・もう・・誰も居ないし特別に、一回だけだよ?」
そして司祭様は祭壇の上の聖なる鐘を手に取った。その手を震わすと、この世のものとは思えぬ美しい鐘の音が、空気を伝って周囲へと響き渡る。
そしてそれは神殿の外に居た私達の元にも届いていた。
「これがアリオーン聖鐘の鐘の音・・?」
なんという美しい音色なのだろう。まるで心の中を洗われている様な。鐘音は風に乗って私達の上を飛び越え、瞬く間に空へと広がっていく。地平線にはちょうど輝く朝日が顔を出し、天を覆う闇は消え失せようとしていた────。




