最終話
なんと表現したらよいのだろう。それは一面に広がる、黒い面だった。どこまでも広がる果てのない黒は、鏡面のように滑らかに、ただ静かに静止してその世界を支配していた。
その静けさを乱したのは、翼の生えた白い猫だった。自らが発光体であるように光を放つ眩い猫が黒の上に降り立つと、その滑らかな面は水面のように波紋を広げる。
「・・また僕の負けだね」
「・・そーね。お疲れ様」
「残念だよ。これでまた君に会えると思ったのに・・」
輝く白猫────シルフィ様は、深くため息をついた。果ての無い闇へ向けて。
「・・会えるわよ。ただし、朔の夜だけね」
「え・・」
「もともとこの封印も風化してボロなのよね。ま、それだけ長い時が流れたって事。アタシ達の悠久の霊を持ってしてもね」
「・・そういえば君、なんでそんな姿なの?」
「んー? さすがの私も、惚れた腫れたにも疲れてきちゃってね。ま、年とったってことよ」
「君が? 信じられない」
「アンタだって随分大人しくなったじゃない。前はこんなもんじゃなかったわよ」
「そうだったかな」
「ま、アンタと会うときは元の姿になってやってもいいよ」
「・・・・そうか。楽しみにしてる」
とぷんと、黒い水面に僅かに現れた乱れは消えゆく波のように姿を消した。それきり完全な静寂が訪れる。そして輝く白い猫もまた、その背に生えた翼を広げ、無限の闇の上を飛び立った。
「またね────ヘルブライン」
これはどこの伝承であったか────月の見えない朔の夜は、影から魔物が現れるのだと。
果ての無い闇は手を伸ばす。憧れ欲し続けた光を求めて、悠久の時を彷徨い続けているのだ。
◆◇◆◇◆◇
学園の大ホールは華やかに飾り立てられ、煌びやかに着飾った学生達で賑わっていた。テーブルの上には豪華な料理や、宝石のように色鮮やかな菓子やフルーツが所狭しと並べられている。今日ブリタニア学園では改めて卒業パーティーが執り行われているのだ。
「卒業おめでとうオーウェン。騎士団へ入隊しても頑張ってね」
「ありがとうクローディア。俺が居なくなって不安だとは思うけど、お前も頑張れよ」
私は本当の兄弟のように慕う幼馴染に、心からの祝辞を送った。彼は笑顔で返答を返した後・・若干気まずそうに私の隣へと目を向ける。
「・・で・・ユリウス殿下、どうしたんだ・・?」
普段細かいことはあまり気にしないオーウェンが戸惑うのも無理はない。何故ならいつもクールに構えているはずのユリウス殿下が、まるで抱き枕でも抱く様に、横からしっかりと私に抱きついているのだから。
「私が聞きたいわよ・・いい加減離して下さらないかしら、ユリウス殿下?」
私が少し強めの口調で言うと、殿下は私を抱きしめたままで視線をこちらへと落とした。
「君を一人にすると危ないから」
「だからってずっと抱きしめてるのはおかしいでしょう・・! 恥ずかしいです。はっきり言って迷惑です!」
・・というか、一番危ないのは貴方でしょうに・・!
────あの日、アリオーン聖鐘の力でユリウス殿下を取り巻くヘルブラインの魔を鎮めた私達。お互いの気持ちを確認し合った事もあり、ユリウス殿下の狂気も少しは収まるかと思っていたのだが・・。
今度は私への愛情が爆発し、四六時中纏わりつかれる始末。あの後、怪我と心労で寝込んだ私の見舞いに来ては自ら私の世話をすると言って聞かずに侍女達を困惑させていたし、このパーティーにおいては、私に他の男を近寄らせない為か過剰すぎるスキンシップが目立ち、開始早々私を膝の上に乗せ料理をアーンして食べさせようとして周囲を騒然とさせたのだった。失踪事件の真相を知らないオーウェンは、そんな私達をにこにこ顔で宥めてくる。
「まーまー。あんな事があったから心配なんだろ。大事にされてていいじゃねーか」
元々二週間前に執り行われる筈だったパーティーは、私が消えた事が発覚し途中で中止となっていたらしい。公式には身代金目的の暴漢に拐かされたという事になっているのだが、あんな事をしでかした真犯人がユリウス殿下だと知れたら、さすがのオーウェンも仰天する事だろう。本来パーティーはそのまま中止となる予定が、王陛下のご厚意で急遽別日が設けられたのだった。
あの後陛下は、手足を怪我した私のところへ、わざわざお見舞いに来て下さった。ユリウス殿下に引き続き陛下の来訪までを受け、さすがに公爵家の使用人達も緊張に顔を強張らせていたのには、少し申し訳なさを感じた。
「婚約破棄を希望するなら遠慮なく言ってくれ」
人払いをした部屋の中で、陛下は私にそう言った。
「よろしいのですか?」
私がそう問うと、陛下はその威厳ある風格に似合わぬ、沈痛の面持ちで下を向いた。
「お前を取り上げれば、あれは太子を降りるやもしれんな。嫡子以外で候補を挙げるとなると、国は権力争いで荒れるかもしれん。・・だがこれだけの事をしたのだ。元々王妃の座など欲していないお前に、このまま嫁げというのはあまりにも酷であろう」
「・・・・」
「カーラもそうだった。私が無理矢理、妃に据えたのだ。私の執着が、彼女をあんなにも無惨な死に追いやったのだ」
「貴方様も長い間、苦しまれたのですね・・」
私がそう言うと、陛下は下を向いたまま、それきり何も言わなかった。王妃殿下は王子を亡くしてからというもの食事もほとんど喉を通らず、現在は痩せ細り寝たきりなのだという。国の事情に翻弄され不遇の七年を送ってきたのは、なにもユリウス殿下だけではなかったのかもしれないと、威厳を無くして下を向く王の姿は私にそう知らしめた。そして私は、こう答えを返したのだ。
「これからもユリウス殿下の婚約者を続けさせて頂きたく存じます。宮廷は薄氷を踏むが如き剣呑な場所。あの方を一人放ってはおけませんので」
────しかしそれからたったの二週間あまり・・過剰すぎる愛情に晒され、げっそりと憔悴してしまった私。単に魔神の干渉を受けていたからではなく元々異常思考の持ち主なのだと再確認した私の頭には、籠が取り払われたあの時に素直に逃げ出していればよかったという思いが度々チラつくのであった。そんな私の内心は露知らず、ユリウス殿下は相変わらず、私をギュッと抱きしめながらオーウェンに対してこんな事を言った。
「・・おめでとう。寂しくなるが、騎士団でしっかりな」
「え・・?」
オーウェンは、いつもは素っ気ない殿下のその言葉が、あまりにも意外だったのだろう。彼の頬が、珍しく赤く染まった瞬間を私は見た。
「殿下・・俺が居なくなって、寂しいん・・ですか?」
「そうだな。もう一生会う事もないだろうし」
「そんな事ないっすよ! 殿下のお呼びとあれば例え火の中水の中、飛んで参りますので!」
「いや。お前も新たな環境で大変だろうし、俺とクローディアの事なんかもう忘れてくれ。お前は国と自分の命をしっかり護ってくれればそれで」
「なんという有難いお言葉! 待っていてください殿下! 俺、絶対貴方様の近衛になってお側に戻ってきますから!」
オーウェンは頬を蒸気させたまま、ガシっと私ごとユリウス殿下に抱きついた。いや・・多分殿下は戻ってくるなと言ってるんだと思うわよオーウェン。ポジティブな人って凄いわ。案の定、オーウェンはすぐに殿下の拳に沈められた。しかし床に倒れながらもこんな事を呟いたのを、私は聞き漏らさなかった。
「なんだこの気持ちは・・殿下に寂しいって言われた瞬間、胸がきゅーんと・・」
・・・・。まずいわ。殿下のツンデレにやられてオーウェンが変な扉を開こうとしている・・?
「・・何やってるんですか。いい加減クローディア様を少しは解放なさっては?」
突如投げかけられた呆れを含んだ口調に、私達は一斉にそちらを見た。そこに居たのはユミルだった。その瞳には勤勉そうな雰囲気の眼鏡は無くなっていて、その態度は明らかに以前とは異なり、謎の威圧感を纏っている。
「嫌がってるでしょう。嫌われますよ。貴方の場合今嫌われてない事自体、奇跡みたいなもんなんですから」
その明らかな攻撃体勢に、殿下はもちろん不快感を露わにした。
「俺達は婚約者同士であり、同時に恋人同士でもある。お前にその様な事を言われる筋合いは無い。二度とクローディアに近づくなと言ったろう。薄汚い犬風情が、恋慕を送って良い相手ではない」
「お断りします。僕は陛下からクローディア様専属の護衛になるように言われていますので」
「クローディアは俺が護る。お前の護衛など必要ない」
「貴方が一番危ないんですよ。自覚が無いとは言わせませんよ」
「なんだと・・?」
「本当の事でしょう。言っときますけど、今回はもしもの時の許可は得ていますので。クローディア様の御身の安全を最優先せよと、陛下は仰せです」
二人から絶対零度の冷気が・・!?
陛下が私を心配しての措置なのだとは思うけど、なんか逆に苦労が増えそうな予感が・・。ああ・・なんだか頭が痛くなってきた・・。
「すみません。私すこし、席を外させて頂きますわ」
「どこへ行くつもりだ?」
「・・・・少しだけですわ。すぐに戻って参りますので」
「それなら俺がそこへ着いて行こう」
「・・お手洗いですわ!」
恥ずかしいのにどうして察して下さらないの! 目を釣り上げて彼を睨みつけ、その場に置き去りにした私。お手洗いの個室に入ると、例えようの無い安堵を覚え、自然と息が漏れでた。貴族の婚姻は政略的なもの。その相手にこれだけ熱烈に愛されているのだもの、贅沢な悩みだと言う事は重々分かってはいるけれど・・
「はぁ・・なんだかとても、疲れたわ・・」
そう呟き、用をたそうとドレスのスカートを持ち上げようとしたとき。
なにか異様な気配を感じ、私は上を見上げた。そして見た。ドアの上の隙間から覗く、私をじっと見下ろす黒い瞳────。
「嫌ァァァァぁぁぁぁ!!!!」
あまりの恐怖に断末魔の叫びをあげた私。
し、心臓が・・ほんとに一瞬止まったわ・・!!
「で、殿下・・そこで一体、何を・・」
戦慄に震える声でそう問うと、彼は覗かせた黒い瞳とは対照的な白い頬を、僅かに赤く染めた。
「俺は君の全てが知りたい。君の中を通過した排泄物すら、俺にとっては至宝に勝る価値がある。君を愛してるんだ、クローディア!」
────シルフィ様。
これって本当に────ハッピーエンドですか?
私は心の底から湧き上がる憤りを、天に向かって解放した。
「やっぱりどう転んでもバッドエンドじゃないですか!? シルフィ様のばかぁーー!」
私の叫びが届いたのだろう。その頃天界では、翼の生えた美しい白猫が、舌をペロリと出して愛らしく戯けていたのだった。
「てへっ」
(おわり)
====================
最後まで飽きずにお読みいただきました皆様、誠にありがとうございました(^^) まだまだあの殿下にツッコみたいところではありますが・・これにて終幕とさせて頂きます。
感想を頂きました葉室さん、ねっさんさん他、応援頂きました皆様に心からの感謝を────。




