第34話
そこは見渡す限りの闇だった。
その中に唯一光を放つ一匹の白い猫が、異様なほど浮かび上がって見えた。その猫の前には一人の少年が、膝を抱えて闇の中にうずくまっている様子が、僅かに照らされて見える。
「やっと見つけたよ、ユリウス。随分探したよ。アンタの夢の中は暗闇すぎて・・」
シルフィ様と・・あの幼い少年は、ユリウス殿下・・?
「・・殺してやる・・。あいつら皆」
「・・母上の事は残念だった。でもそろそろ前を向いて。ずっとその闇の中ですごすつもりなの? 今のアンタにはクローディアがいるじゃない」
「・・彼女は俺を愛さない」
「どうしてそう思うの?」
「俺はいつかあいつらを殺すために、王太子になった。復讐の為だけに。そんな俺を彼女が愛する訳がない。最初はそれでもいいと思ってたんだ。誰のものにもならないでいてさえくれれば。他の誰かのものになるのを見たら、俺はきっと彼女を殺してしまうから・・」
「人は必ずしも尊敬できる人間を愛する訳じゃないよ。汚い部分も全部受け入れる。それが愛なんだから」
「・・・・」
「さぁ。もう出てきて。一緒に行こう」
シルフィ様が愛らしいその前脚を、ユリウス殿下に向けて伸ばした、その時。ユリウス殿下の周りで静かに沈黙していた闇が、黒い煙の様に蠢いたのが見えた。そしてその闇は触手の様に身を伸ばし、闇の中で唯一の光を放つシルフィ様の身体に絡みつく。よく見るとそれは、人の腕の形をしていた。咄嗟に背に生えた翼を広げたシルフィ様だが、闇から飛び出した幾つもの腕に捕らえられてしまう。
シルフィ様・・!!
心では叫んでも、私の声がそこに響く事は無かった。そしてユリウス殿下の口から発せられた次の言葉は、明らかに殿下のものではない、別のものの声だった。
「やっと捕まえた。シルフィ・・遂にここまでやって来たね」
「アンタ・・ヘルブライン!? ユリウス、アンタまさか魔神と契約を・・!?」
「提案はしてるんだけどね。一番大事なものを差し出せば、全てを奪える力をあげるって。シルフィ、君が結末を捻じ曲げたせいで、その分リスクは上がってるんだよ。ユリウスが大地に降らせる血の雨は、今度こそ僕を魔界から解放するだろう」
「・・なるほど、そういう事。どうりで一向に危険度が改善しない訳だわ。全部アンタの仕業だったのねヘルブライン!」
「仕業だなんて酷い言い方するね・・。僕はまだ何もしていないよ。むしろ干渉してるのは君の方だろ? だけどここからは僕のターン。君にはもう余計な手出しはしないで貰うよ・・」
ゆっくりと闇の一部が盛り上がっていく。そしてそれはまるで漆黒の波のように、シルフィ様の身体を、捕えていた腕ごと飲み込み始める。
「ユリウスが彼女を殺すかどうか・・それは賭けなんだよ。君と僕の、ね・・」
「くっ・・ごめん、クローディ・・」
そしてシルフィ様は、その身体に纏っていた光ごと、闇の中へと姿を消した────。
「シルフィ様!!」
私は覚醒するなり、叫び声をあげて身体を飛び起こさせた。いつもの通り実家の自分の部屋の光景が目に飛び込んでくる。昨日の夜は暑かったから、開けて眠った窓の向こうから強い風が舞い込んで、カーテンを大きく揺らした。
「た、大変だわ。ヘルブラインて、あの神界を追放されたっていう神様よね? シルフィ様が・・」
その時、廊下からパタパタと忙しない足音が近づいて来て、やがてノックの音がするやいなや、返事を待たずに扉は開かれた。
「お嬢様? 大きな声を出されてどうされました?」
「どうされたってマリア・・」
言いかけて私は言葉を止めた。なんだか不思議な感覚だった。まるで突然、頭の中の一部の記憶を切り取られてしまったかのように、その日見た夢の記憶は綺麗さっぱり、私の中から消えてしまったのだった。
「・・あれ・・? なんだったっけ・・?」




