第14話
講義の合間、私はお手洗いのため席を立った。最も近いトイレではなく、いつも空いている階下のトイレを目指して移動していると、不意に背後から覚えのある不穏な空気を感じて、私は後を振り返る。そこには誰の姿もない、無人の廊下が伸びているだけだった・・と最初は思ったのだけど。
視界に浮かんだ「心を読む」ボタン。それとほぼ同時に、すぐ脇の講義室の僅かな扉の隙間からこちらを覗く黒い目を見つけて、毛穴が総毛立つ。
ひぇぇぇぇ! どうしていつも潜むの? 見つけた時の恐怖が凄いので普通に登場して下さい!!
「で、殿下・・?」
恐る恐る隙間から覗く黒い瞳に話しかけると、ユリウス殿下も見つかった事を認識したのか、そっと扉の隙間が広げられ、中からユリウス殿下が顔を覗かせた。そしてなにやら、今日も暗黒物質を凝縮したような目をしていらっしゃいます。やはり昼時にユミルと落ち合っていたと、誤解されているのかしら・・?
「ど・・どうされましたか・・?」
怯えながらそう問いかけると、殿下はしばらく時が止まったかの様に、微動だにせず私を凝視していた。どうしよう。怖いし私、トイレ行きたいのですが。
「・・・・クローディア。君に・・」
たっぷりの間の後、ユリウス殿下は私から視線を背けながら、私に向けて手を突き出した。
「これを・・」
彼が私に差し出したのは、道端に咲く野生のタンポポの花であった。女性に贈る花としては、あまりに小ぶりでささやかな。
だけど私は知っている。これはあの満足に手入れされない荒れた離宮の周りによく咲いていた花。あの格子付きの窓の縁に、よく置かれていた花────。
私だけが知っている。この花は殿下にとって、喜びを運ぶものである事を。
だからすんなりと腑に落ちた。「優しくする」のやり方が分からない彼なりの、きっと最大限の表現なのだと。
「ありがとうございます。嬉しいです、ユリウス殿下」
私がタンポポの花を受け取り心からの笑顔を返すと、ユリウス殿下の黒色の瞳が、ようやく私を見た。そして意外な事を口にするのだ。
「・・良かったら明日また、昼食を一緒にどうだ」
彼からの初めてのプレゼント。初めてのお誘い。
私を怪しんでいた彼の胸中の変化が何によるものなのか、あのボタンを押せば、簡単に読めるのだけど。
だけどなんとなく、それをするのは勿体無いような、そんな気がして────。
「はい。もちろんです、殿下」
このタンポポは帰ってから押し花にしよう。殿下と初めて心が繋がった気がした、この日の感動の記念に。




