第133話 命は散って悪魔は笑う
マカの翼で飛んだ先は、当然橋の上。
こうして飛んでいる間にも、下ではどんどん命が消費されていく。
――ああ本当に吐き気がする。
そして僕は左手を構えて、叫んだ。
「誰かを殺したいやつは!今ここで跪け!」
弾丸を撃ったつもりになると、橋の支柱の上に立つ僕を中心に、爆風が広がるように影響が伝播していく。
その場のほぼ全員が動きを止めて、猛り狂っていた戦場の空気が、熱だけを残して静まり返っていた。
「Grrrrrrrr……」
だから、残っているのはこいつ――ティラノサウルスだけ。
僕は、6枚の黒い翼を広げて、羽毛を散らす。
「あっは、いいお手本がありましたね?」
脳内でマカの声がする。うるさいよ。
「あ、悪魔……?」
「悪魔だ、悪魔が出たぞ!」
「逃げろ、逃げろぉお!」
跪かせたのも数秒だから、逃げたいやつを追う余裕はない。だから、仕留めるのは速攻で、だ。
鎌を生み出して、
「Gr……」
ティラノサウルスと、向き合う。
始めて見た生の恐竜の息遣いはあまりにも暴力的で、映画で見たどんな化け物よりリアルだ。……ただ、ここで『良い勝負』じゃダメなんだよな……
「ねぇマスター」
「ん?」
「私に任せてくれませんか?」
「……できるのか?」
「ええ、ちょっと試したいことがありまして……マスターの体を、10秒下さい」
笑いながら囁くように言われて、特に悩む理由はなかった。
「ふーん、いいよ」
「え?」
「じゃあ30秒やるから、できる限り上手いこと頼む」
「あっ、いっ……良いんですか?」
「良いに決まってるだろ。じゃあよr」
瞬間、僕の身体が僕のものじゃ無くなった。
「ひゃっ……はーーーー!」
ビキビキと音を立てて、僕の身体に『闇』が入り込む。いっそ懐かしさすら感じるこの感覚は、初めてマカと会ったときに、身体を譲り渡したあの感覚。
「Gr――――!」
ティラノの牙が迫る。
すると6枚の翼から放射するように黒い羽が散って、その規模に驚いたティラノは一旦動きを止め、周りを警戒するように羽をキョロキョロと見回す。
「呑気にしてんじゃねーですよお客様!」
そこへ、真正面から鎌が振り下ろされて、ティラノの口が縦に裂けた。
「ありゃ、切れ味が良すぎましたか」
あっさりと骨まで割った悪魔の鎌は、赤い血が付いていたのでバトンのように振り回して血を払う。
「Gr――!」
怒り狂ったティラノが今度こそ橋を踏み壊す勢いで迫りくるが、それは流石に遅すぎた。
空中に撒いていた黒い羽がぴたりと止まって、それがそのままティラノサウルスを食い止める盾になる。
尾を振ろうとしても羽に阻まれ、散った羽はその密度をどんどん増して行った。
「あと何秒でしたっけ?」
「18秒」
「なら少し遊べますね……っと!」
マカがそう言うと、炸裂したのは『目』だった。ティラノの目のあたりに浮いていた羽が黒い炎になって、その左眼球で爆発する。
(うわグロ……)
しかも、5発。
花火のように響き渡る着弾音が、周りの兵士たちを恐れさせる。
しかもそれで飛び散った血を操って、マカに貸した僕の体の口元へ持ってくる。
「ちゅ……うぇまっず」
飲むなよ。
と思ったけどそれも演出なのか、眼球の血を舐めた瞬間、浮いていた羽が大きな眼球に変わり、全ての目が血を流す。
そしてその血の涙が触れたところは、酸に焼かれたような音を立てて赤い煙を上げた。
「熱い、溶ける、か、身体がぁ!」
「いやだ、嫌だぁあ!」
誰が堰を切ったのか、橋から一斉に兵士が逃げ出した。
剣も盾も弓も放り出して、ティラノサウルスの断末魔を背景に、仲間の死体を踏み潰しながら、赤い目と煙の狂乱の中を逃げる。
「Co……a……」
そして誰もいなくなった橋の上、肉を溶かされ、体が骨だけになったティラノを、
「ぱんち!」
マカが一発冗談のように殴って、その体は崩壊した。
しかしそのアホな発言を耳にするやつは、周囲にはいない。
両軍が一斉に橋から撤退して、死屍累々、血まみれの橋があるだけだ。
「……あれ?やりすぎました?」
「いや良いんじゃないか」
そう言って飛び立つと、すぐに両陣営から音が響く。各々の突撃の合図らしきそれが響いたが、最強兵器のティラノがやられた側とそうでない側とでは、士気の差がありすぎた。
橋を破壊しようと一応は動いたエルフもまるで動きが悪くて、駆けつけてくる兵隊の群れに押し流されるように潰走していく。
「うわーすっごいですねマスター!圧倒的勝利じゃないですかやりましたね!」
「あー……」
圧倒的、かぁ……
確かに目の前ではエルフの陣地が壊滅していく。テントには火が放たれ、兵士が逃げ惑い、いくつかの部隊は遠くの森へ撤退して行く。
「助けに行きます?」
「は?」
空中で羽ばたく僕に、しれっとマカが尋ねる。
「助けにって……誰を?」
「今あっちで死んでいくエルフですよ」
――誰かに、胸を矢で撃たれたのかと思った。それくらい、図星だった。
「……何、で?」
「あっはは、私が答えて良いんですか?」
「だから、なんの……」
「だって可愛そうじゃないですか、ほら、足を引きずって逃げ惑ってますよ?何度も何度も石で殴られてますよ?あーいうのの1つくらい止められますよね?」
言うとおりだ。
今から僕が助けに行けば止められる。
だけど……止めて、何になる?
「ほら、いつもみたいにやれば良いじゃないですか……悪いやつはその手で、正しくしてあげましょうよ。ね?マスタぁ……」
マカの吐息と赤い舌が、すぐ隣りにある。
まとわりつくような悪魔の声が、僕の脳内に響き渡る。
「ほら、正義くん」
けれどその声が木崎さんのものに変わった瞬間、
「むぎゅ」
脊髄反射で、僕は木崎さんの顔をした悪魔の顔を掴んでいた。
「まひゅたー?」
「二度とやるな」
「ぇ……」
「聞こえてないのか?ニ度と、やるな、って言ってんだよ」
「ぁ……ひゃぃ……」
みしみしと、骨のきしむ音がする。
割れそうなくらいに僕の手の骨が負荷をうけて、熱いくらいの痛みが走る。
「わ、わかりまひた……まひゅ、たぁ……」
「だったらさっさとその顔を戻せよ!」
「しゅ……しゅぃま、げぶっ」
物わかりの悪い悪魔の、喉を掴む。
ばたばたと暴れる悪魔の顔がじわじわといつものものに戻って、放り投げると、橋の支柱にしがみついてぜぇぜぇと息をしていた。
「ゲホ……」
あー気持ち悪い。
こいつと僕の体はある程度リンクしてるから、コイツのダメージはある程度僕に来る。でもそんなことはどうでも良くなるくらい、こいつはやっちゃいけないことをやりやがった。
「死ぬ気、ですか、マスター……」
「あ?」
「私にこんなことして!死んでも良いのかって聞いてんですよ!」
「テメエがそれくらいのことをしてんだろが!」
「いっ……意味が!わかりませんよ!たかが声真似でしょ!?」
「こんな状況で冗談言うやつがあるかバカ野郎!こうしてる間にも木崎さんは……!」
「あ、なーんだ、そういうことですか」
「は?」
しれっ、と悪魔が立ち上がって、あっさりと言う。
「マスター、もしかしてあの人が心配だったんですか?」
「お前何を今更……」
「全然助けに行かないからどーでも良いかと思ってましたよ」
「っ」
今度こそぶん殴ろうと思ったが、どうせ手は届かないし、殴るだけこっちも痛い。
「……なんちゃって。みんなで助けに行く事に意味があるんですもんね?ちょっと退屈なんで、からかっちゃいましたよ。ごめんなさいマスター」
ぺこ、と頭を下げる悪魔。
そして戻した顔はにっこりと笑っていて、
「……それで、吐き気は収まりましたか?」
えっ、と思った瞬間――歓声が上がった。
世界そのものを揺らすような大音量。
――勝利万歳!勝利万歳!トラングル王国万歳!!
――勝利万歳!勝利万歳!トラングル王国万歳!!
気づけば橋の向こうにあったエルフの陣地は完全に掌握されて、いるのは喜ぶ鎧姿の兵士だけだ。
……さっきまでいたエルフは、もういない。
「ぐっ、ぶ……」
「あーあーマスター、急にそんなもの見るから……背中さすりましょうか?」
橋の支柱に膝をついた僕の答えを待つまでもなく、マカが近寄る。
歓声の中、こんなところにいる僕は多分誰にも見つからないだろう。
「ごぽっ……おぇ……」
「あーあ。帰りましょうか。ね?マスター……私達の勝ちですよ」
そう言って、笑う悪魔は、
僕を見て、心底楽しそうに笑っていた。




