第116話 囚われの探偵
天音が目を覚ますと、そこはどこかの地下室だった。
「やっと起きたのね、よく眠れたかしら?」
「……おかげさまで」
ぎし、と縄のきしむ音。
天音は自分が後ろ手に縛られていることに気づくと同時、この部屋の光源は檻の向こうで天井から吊るされた太陽石であることも認識する。
床や壁は乾いた木でかなり古いものだが、塗られた樹脂か何かがかなり頑丈なのだろう、力任せに破壊することはできなさそうだった。
檻の向こうにはレンガ積みの階段があるが、今の天音の目線では階段の上がどうなっているかまでは見えない。
「状況はわかった? だったらおとなしくしていて欲しいんだけど」
「……」
鉄格子を隔てて、向こう側にいるのは赤いドレスの女。
『白の森の魔女』。じかに顔を合わせるのは初めてかもしれないが、おそらくはお互いによく知った存在。
「返事は?」
そして言うまでもなく、敵だ。
煙管をふかして、紫色の煙を味わいながら、まるで上質な料理でも見るかのような笑みを浮かべて囚われの天音を見下ろす。
「へ・ん・じ・は?」
「……」
語ることなどない。
天音がそう言わんばかりに、ふい、と顔をそらした瞬間だった。
ゴッ、と殴打の音がして、天音の体が倒れる。
しかし続いて突き上げるような衝撃が走って、見えない何かが、天音を殴打した。
ずしゃ、と鉄格子のそばに倒され、なお無言のまま体を痛みに震わせる。
そこへ近づいた魔女がしゃがんで、天音の髪を掴んで乱暴に持ち上げ、煙管の煙を吹きかけた。
「ごほ、えほっ……」
「うん、喋れないわけじゃないみたいね? いい? 貴女は私の所有物。しばらくは人間らしい生活が送れると思わないでね?」
「ぅ……」
「?」
ようやく何かを言おうとしたのか、天音の唇がわずかに動く。
「や、め……て……ください……」
「あら」
震え、涙を浮かべ、許しを請われる。
『趣味』で何度も経験したことではあるが、だからこそ、魔女がそれを見抜かないわけがなかった。
「……嘘は嫌いなのよね」
「うぶっ!」
そのまま、顔面を床に押し当てる。
「やっ、やべっ、ぐぶっ!」
「ねえ、私が騙されると思ったの? ねえ、何とか言ってよ」
「あぐっ、ぁ……ごほ……」
何度も繰り返し、繰り返し、肉体と精神にダメージを与える。震えは大きくなり、目には涙が浮かび、ようやく『躾』が始められたことに魔女は嗤った。
「ひゃめ……ゃめて……くぁさい……」
「ふぅ。ようやく少しは躾が効いてきたかしら?」
ぱっと手を放して、顔面から床に落ちる。
そしてもぞもぞと逃げる芋虫のように、震えながら体を丸め、すすり泣く声が聞こえてきた。
そこでもう一度魔女は煙管を咥えて、満足そうに煙を吐く。
「ふぅ……。さて、手始めに教えてもらおうかしら? 貴女は……」
と、その時だった。
バン! と木の扉の開く音がして、ばたばたとした足音とともに、誰かがこの地下室らしき場所に降りてくる。
金色の長い髪をなびかせた背の高いそのエルフは、簡素な緑色のドレスのすそを持ち上げながら、慌てて階段を降り切った。
「カレン! 貴女まさか……ああもう、遅かった……殺してないわよね!?」
息を切らせて、魔女の名を呼び、怒鳴りつける。
良いところで邪魔をされた魔女は先ほどまでの目の輝きを消し、つまらなそうにそちらに顔を向けた。
「ティルティナ……そんなつまらないことしないわよ。血相変えてどうしたの?」
「どうもこうもないわよ、見て!」
「?」
突きつけられた一枚の紙を魔女が手に取って、目を通す。
最初は面倒そうにしていたその表情がぴくりと変化して、怒りに震え、歯を食いしばって、しかしそこから平常の物に戻して、尋ねた。
「……どういうこと?」
「どうもこうも、書いてある通りよ。『虜囚の交換』……まさかチアのバカが生きてたなんてね……」
「信じるの?」
「追加で魔力を込めた髪も送られてきたのよ。『赤い鳥』でね」
「くっ……」
平常心は保たれることなく、煙管はみしみしと音を立てて歪んだ。
「……交換の日取りは……一か月後……?」
「それまでは毎日、互いに『文通』をさせること、だって」
「文通?」
「お互いに手紙を書かせて、『鳥』で飛ばしあって無事を確認したいって……追加の手紙には書いてあって……」
「まさかそれを了承したんじゃないでしょうね!」
「し、仕方ないでしょ、手紙が着いたのがこの集落のど真ん中、一番に目を通したのがお父様なんだから!」
「く……ぁ……ああっ! もう!」
ダン! と地団太を踏んで、この部屋全体が揺れる。
へし折れた煙管が拳の中で燃え上がり、炭がぽろぽろと散って、やり場のない魔女の怒りはそれでも収まらない。
「これからだったのに、一番いいところで……っ! ああっ、もう! ティル! 代わりに『一名』貰うわよ! 文句はないわね!」
「っ……え、ええ……わかった。手配しておくわ。とにかく、この子は私たちが預かるから……」
「好きにして! 後で私の部屋に手配してよね!」
「どこ行くの?」
「寝る!」
そう言って去っていった魔女は、扉を乱暴に閉めて足音を響かせ去っていった。
それだけでこの場の雰囲気は、まるで違う。
「ふぅ……命がいくつあっても足りない、ってこういう意味なのかしら……」
そして残ったエルフは一言呟いて、鉄格子に近づき、手に持っていた鍵束の一つを選んで、鉄格子を開けた。
「ひ、ひぃ……こ、こないで、こないでください……」
「あー大丈夫大丈夫、アレよりは私の方がよっぽどマシだし、ひとまず貴女にひどいことはできなくなったから」
「ほ、ほんとう、です、か……?」
「ええ。だから貴女も手紙に余計なことは書かないでね? もしも変なこと書いたら……わかってるでしょ?」
「は、はい、わかりました……」
(ったく、なにが『ちょっとつまみ食い』よ、もう心まで折れてるじゃない……)
そのエルフ、ティルティナは、魔女がこの虜囚に何をしたのかは知る由もなかったが、その顔や態度を一目見るだけで大体のことは理解した。
目は怯え切って、体は震え、涙がとめどなくこぼれている。
顔の汚れ方やこの場に残る床の跡から見てもかなり酷いことをされたのは明白で、おそらく大層『お楽しみ』だったことだろう。
その証拠に、ちらっ、と視線を向けると、
「ひ……」
びくっ、と体を震わせて、少女はティルティナから目を離さない。
「あ、そうそう、これは忘れちゃダメなのよね」
ごそごそと取り出したのは、石で出来た黒い首輪。
「な、なんですか、それは……」
「ああこれ? 簡単な首輪。魔力を込めたら縮むから、首がちぎれて死にたくなかったら、私かアイツに逆らわないようにしてね」
「さ、さからいません! さからいませんから、や、やめて、やめてください……」
「だーめ。かわいそうだけど、私もアイツの恨みを買いたくないのよ」
「ひっ……」
ガキッ、と音がして、首に巻き付くようにひんやりとした石の首輪が固定された。
それを天音は震える指先でぺたぺたと触るが、ぴったりと喉に張り付いたそれを実感して絶望したように、虚ろな目で涙を流す。
「……」
「ほら立ちなさい。この村を案内してあげるから、逃げようなんて思わないでね?」
「はぃ……」
震える脚でふらつきながらも立ち上がり、よろよろと自分の傍らに寄ってきた。
しかし何故か自分の顔を上目遣いに見つめ、何か言いたげに口を開く。
「あ、あの……ひとつだけ、よろしいでしょうか……?」
「?」
「あの方と、貴女《《様》》をなんとおよびすれば……」
「……あー、どうしましょう」
魔女様、と呼ばせるのも変だし、既に自分は様付けになってしまった。
幾らなんでもやりすぎよあのバカ、と心で悪態をつきながら、
「……ま、いいわ、アイツはカレン様、私は……ご主人様、で良いわ」
抱え込んでおかないと、勝手に殺されかねないしね……と、そう判断した。
「わ、わかりましたご主人様……」
「よしよし。じゃ、着いてきてね」
首輪に縄をつけて、まるで飼い犬のように扱うが、やはり当然のように嫌悪感一つ示さない。
危ないところだったわ……と安堵するティルティナの背後で、
(ふぅ……)
天音が一瞬だけ、しれっとした表情で歩き出して――
――けれど、その火傷跡からは血が滴っていた。




