《過去編》 4-14 暴走 カイリ その3
この後スタンの話に続きます、という話。
14.暴走 カイリ・ミカナギ その3
カイリの、いつもの、寂しげな子供の目では無かった。
何度か垣間見た、感情を殺した『処理者』の目でも無かった。
強い光を宿した、真っ直ぐな瞳だった。
「……俺も、それを望んでいる。だから、連れてきた」
無機質なドアを開け放つ。実験室の機器類は見る影もないほど破壊され尽くしていた。
「お姉ちゃん!」
カイエは、その声も届かないのか唯ひたすら隔壁と思われる鋼鉄製の壁を殴り続けていた。
その度に、低く重い音が響く。幾度も繰り返された行為のせいで、隔壁はもう随分とひしゃげ、そろそろ壁の意味を成さなくなっていた。
「ニミヤさんは下がってて……」
少年は、姉に向かって歩いていく。
「お姉ちゃん……」
隔壁に叩きつけられようとしていた少女の手が止まる。その拳からは血がボタボタと滴っている。
「お姉ちゃん、どうしたの? 何があったの?」
カイエがこちらを向いた。その形相は普段の彼女からは想像も出来ない程、苦痛に歪んでいた。
「そんな力の使い方しちゃ、ダメだよ? 精霊達が泣いてる。ねぇ、何があったの?」
少女の体がビクリと震えた。カイリの肩口に切り裂かれたような傷が走る。
「……ッ!」
風の精霊の呪力、『真空刃』だ。実験室の床に、真新しい血飛沫が飛んだ。
それでも、カイリはゆっくりと姉に向かって歩いていく。
「ダメだよ、お姉ちゃん……。
お姉ちゃんの力は……あの子を護る為の力なのに……人を傷つけちゃ、ダメ……なんだよ」
少女が砕けた拳を弟に向けた。先程と同じ傷が1本、カイリの体に刻まれる。
そこでやっと、ニミヤはさっきから感じていた違和感の正体を知った。カイリが、魔法障壁を張っていないのだ。考えられる理由は一つ。魔法力の反発作用を恐れている。
確かに、カイエの放つ魔法は強力過ぎるが故に、障壁も強力でなければ防ぎきる事が出来ないだろう。
しかし、強力すぎる魔法力と障壁の衝突は、時として当事者をも傷つけてしまう事例が多数確認されている。カイリもその事を知っているのだろう。
だが、それでは……自殺行為ではないか?!
「カイリ、もう良いッ! それ以上は、もう、お前が……」
少年が振り返る。
「ダメ、だよ。……さっき、言ったでしょ? ボクは、お姉ちゃんを、元に、戻す……って」
そう言って、カイリは極上の笑顔で笑った。
「そこで、見てて……。
ボクは……お姉ちゃんを、あの子達のようには、しない……しない、から……」
また、前を向いて歩き出す少年に、姉は拒むように首を振って腕を突き出す。
来るな、と……近寄るなとでも言っているように。
傷が、また増える。
思わず、ニミヤは目を背ける。
少年の白かったシャツは、裂け傷でボロボロになり、辛うじて残っている部分はもう真っ赤に染まっている。
「お姉、ちゃん……カイエ、お姉ちゃん……。
怖がらなくても、良いよ……ボクは、此処に、いるよ。
此処は……闇じゃ、ない。辛くても、寂しくても、一人じゃ……ないよ。
大丈夫……ボクは、ずっと……側にいるから、ね?」
優しく抱きしめて、穏やかに安らかに、幼い子に言い聞かせるように少年は囁いた。
「……かい……り……いる、の……かいり?」
「うん、此処に……いるよ。安心して」
少女の顔に刻まれていた苦悶の表情が見る見る解けていく。
「……かい……り……ワタシ……ワタ……シ…ッ」
そしてくしゃくしゃに顰められる。今度は、少女らしい、泣き顔だった。
「ワタシ……あんた、に……ひどい……こと……」
大きな赤い瞳に透明な涙をいっぱい浮かべて弟を抱きしめている。
「こんなの、平気……。それより、疲れたでしょ? 少し、眠るといいよ」
「でも……」
「オヤスミ……お姉ちゃん─────」
直後、まだ何か言い募ろうとする少女はがくりと体の力が抜け、少年がその華奢な体を支えた。
慌てて駆け寄ると、壊れ掛けた隔壁から待避していたらしい研究員達が恐る恐る出て来るのが見えた。
「……どうなったんだ?!」
「助かったのか……?」
彼らがその視界に幼い姉弟を認め、顔をしかめる。
「なんだ、”処理”したのか……。だったらもっと早く来いっていうんだよッ!」
「全くだ。死ぬかと思ったんだからな?!」
「何だと……っ」
怒鳴ろうとするニミヤを制して、少年は姉をしっかりと右手に抱いたまま、左手を白衣の団体に向けた。恐らく、殺傷力の無い衝撃波か何かだったのだろう。そこに居並ぶ研究員達がしたたかに隔壁へ打ち付けられていた。
「死んでなんかいない。……今度、お姉ちゃんに何かしたら、容赦なくお前らを全員殺す。
嚇しじゃない。……覚えておけ」
凍てついた、紺碧の瞳。その冷たさに、研究員達は凍り付いたように言葉を失っていた。
「……カイリ、お前も手当てしないと。出血が酷い」
「ボクは大丈夫。服の替えだけ用意してくれないかな?
この後、アキラさんの所に行かなきゃならないんだ。心配掛けたくないし」
全くこの少年は……と、ニミヤは思わずには居られない。そこで、カイリにとっては切り札の言葉を持ち出す。
「……判った。しかし、応急手当だけでもさせてくれ。でないと、俺が『心配』だ。……いいな?」
そう言うと、少年は困ったような顔で頷いた。
「それでいい」
ため息交じりにニミヤがカイエを抱き上げた。流石にこんな有様の場所では、満足な手当も出来ない。あの階段を今度は上るのかと思うと、違う意味でもため息しか出てこないが……仕方ない。恐らくまだエレベーターも復旧していないだろうから。
「さ、行こう。カイリ」
* * *
「まだ、目を覚まさないのか」
静かに部屋に入ってきた人物に少年は顔を上げた。
「ニミヤさん……。うん。多分、もうちょっと起きないんじゃないかな」
ああいう力の使い方は、いつもより体力を奪われるから……と、随分心配そうな表情を浮かべる。
見れば、ずっとそうしていたのか、姉の手を握っている。
あの後、強行に姉の手当を優先してくれと頼むカイリに、仕方なくカイエの処置を先に施した。
幸い、血塗れだった手も思った程大きな傷ではなく、無茶な力の行使によって受けた、体力の消耗の方が深刻だった。
その点で言えば、カイリが彼女に掛けた『熟睡』の魔法はうってつけだった。
この呪文は体力の回復の為に強制的に睡眠をとらせるもので、完全に快復するまでは普通なら、目覚めない。
で、カイエの処置を終え、いざカイリの手当をしようと思ったニミヤが、途端に絶句した。
そして、怒鳴っていた。
「馬鹿野郎! お前の方がよっぽど酷いじゃないか!」
慌てて医療魔法の専門家を呼び『高速治癒』と『高速回復』の魔法を立て続けに掛け、増血剤を投与した。
「……全く。これで傷は漸く塞がったな。痛くないのか?」
「体の痛みなんか、ガマンできる。
でも、お姉ちゃんを失うんじゃないかって思った方がずっとずっと、痛かった……」
そう言った時の表情が、焼き付いている。泣き出しそうな、寂しそうな、初めて見るその顔が。
「……ん……」
微かに声が聞こえた。
「お姉ちゃん?」
「あれ……私……おかしいな? 実験室に居た筈なのに?」
ぼんやりと、夢見心地な風にカイエが呟く。
「おはよう、お姉ちゃん。ダメだよ、実験中に眠っちゃったら?」
弟の声に、カイエの体がびくりと震えた。
「……カイリ?」
「何?」
「私……私……、あんたに、酷い怪我を……」
カイエの顔がみるみる強張っていく。
「怪我? ボクが? 夢でも見たんじゃないの? ―――ねぇ、ニミヤさん。」
微笑んで振り返るカイリに、ぎこちなく頷く。
「そ、そうだな。カイリはピンピンしてるぞ?」
「……本当? あれ、夢……だったの?」
姉の怯えを拭い去るように、カイリは優しく微笑む。
「お姉ちゃん、疲れてるんじゃない? ちゃんと食べて寝なきゃ、大きくなれないんだよ。
って、いつもお姉ちゃんがボクに言う癖に」
「……ゆっくり、眠ると良い。起きたら疲れもとれているだろう」
「……でも……」
少女の瞳は、まだ揺らいでいる。
「眠ったら……また、あんな怖い夢を見るかも知れない……」
「平気だよ。……こうやってボクが手を握っててあげる。ね?」
見えるようにギュッと手を握るとカイエは漸く落ち着いた、儚い笑顔を浮かべた。
「……うん。離さないでね、カイリ」
瞳を閉じた少女の顔は、血の気の薄い白過ぎる肌と深い隈とで、酷く窶れて見えた。
「うん。じゃ、おやすみ、お姉ちゃん」
少年は、髪を撫でてやりながらもう一度『熟睡』の呪文を唱えていた。
………。
部屋の中には、少女の立てる微かな寝息だけが音としてあった。
「何時までも、隠しおおせるとは限らないぞ……?」
「それでも良い。お姉ちゃんが、笑っていてくれるなら。
その為になら、ボクは、何でもする」
遠くでサイレンが鳴り始めた。
それは、この研究所だけではない、この里全体に響き渡る警戒警報だった。
「ニミヤさん、お姉ちゃんを頼んだよ」
少年がベッドサイドの椅子から立ち上がる。
「カイリ……」
そこへ扉が開き、この研究所の責任者が入ってきた。
その男、クライン・バーンシュタインは神経質そうなメガネを人差し指で押し上げると、手にしていた短いベルトの付いた小さな箱を、少年に投げ渡した。
「……B館の研究棟だ。さっさと行け」
カイリは受け取った箱を慣れた手つきで手首に巻き付ける。
「対象は何人?」
「……3匹だ。報告では、な」
「……そう。クライン博士―――部下の躾は貴方の責任だよね?
今度、おいたが過ぎたら……全員殺すよ」
クラインは面白くなさそうに鼻を鳴らせただけだった。
しかし、少年は遙かに年上の男を、見下すようにせせら笑う。
「―――心配しなくても、貴方だけはボクがこの手で必ず殺す。
利用価値が無くなった、その時にね」
限りなく、冷たい声だった。
「フン……出来損ないが。誰が誰を殺すって?」
平静を装っているものの、クラインの声は裏返ったやや甲高い声になっていた。
「……ボクの手は、ずっと前からあの子達の白い血で塗れてる。
そんな中に貴方の赤い血が一滴ぐらい混じったところで色は……変わらないさ」
立ちすくむクラインの横を通り抜け、カイリは振り返らずに走っていった。
ニミヤは何故か少年を追いかけていた。掛ける言葉も見つからないままに。
研究所を出る所で追い付いた。
「……カイリ!!」
少年が、足を止めた。
「ボクの役目は『剣』。剣が血に塗れるのは当然だから。
……ボクは、それで良い─────」
それだけを言い残し、カイリはB棟へ向かって走り出した。けれど、言葉とは裏腹に少年のその小さな背が、ニミヤには泣いているように見えて仕方なかった。




