《過去編》 4-13 異変 カイリ その2
サヤカゲと別れ、姉カイエに会いに行ったカイリの話。
13.異変 カイリ・ミカナギ その2
もう昔から顔パスになっているその研究所に入っていく。
サヤカゲさんとはこの建物の門で別れた。サヤカゲさんや他の人が、この建物を嫌っているのはボクも知ってるから、お礼だけ言って見送った。
でも、仕方ない……。普通の人には嫌われる事しか、此処ではやってないから。倫理とか、道徳とか、人の理性を意味する言葉は、この研究所では意味を成さない。そう言う言葉とは、かけ離れた事を実践して、いかに非常識な個体を造り出すか……という研究をやってる場所だから。
普通の人は、それを『人体実験』って、呼ぶ。でも、ちょっと、ボクにはピンとこない。だって……彼らに取っては、ボク達は人間じゃなくて、自分たちが造り出した『実験体』でしかないから。二言目には「実験体の分際で……」って言われるのが常だったから。
4歳まで此処にいたボクにしてみれば、ボクは人間じゃなくて「実験体」と言う名前の生き物だった。
此処を出て、初めてボクは、自分が「ニンゲン」だって知った。
色んな人に出会って、色んな事を教えて貰った。
本当の空の色、本当の太陽の光、本当の風の音―――。外の世界が、こんなにも明るい光に充ちているなんて。
ボクはその時まで、知らなかった。
いつものように、お姉ちゃんの部屋まで行って呼出ブザーを押した。
……返事がない。
「……おかしいな。ラボに戻るって言ってたのに……」
「Type:G-0498……カイエなら、居ないぞ。特課訓練に入ったそうだ。
まず、2時間は戻らんぞ。出直した方が良いな」
知ってる研究員さんが、ボクを見かけたんだろう、わざわざ言いに来てくれた。
「ニミヤさん……? ……そっか、じゃあ、少ししたらまた来ようかな」
「そうしょげるな。明日でも逢えるだろう?」
ニミヤさんは此処にいる人達の中では珍しく、ボク達を名前で呼んでくれる。最初は無口で怖い人かと思ったけど、全然違った。
「うん。じゃあ、また……」
その時だった。頭の中に壮絶な悲鳴が聞こえた!
「……お、お姉……ちゃん? お姉ちゃんの声だ!!」
まだ頭がガンガンしてる。ものすごく強烈なテレパシーのようだった。
「どうした、カイリ……?」
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんの悲鳴が聞こえたっ!」
「悲鳴……?」
訝しそうに眉を寄せる。ニミヤさんには聞こえなかったみたいだ。
「お姉ちゃんは何処ッ!? ねぇ、ニミヤさんっ! お姉ちゃんは何処にいるのッ?!!」
胸騒ぎが、する。警報が鳴りだした。
白だった照明が、赤い緊急用の物と切り替わった。
「これは……LEVEL.3!? ……まさか、カイエか……?」
警備兵が手に手に武器を携えて走っていくのが見えた。
言い様のないどす黒い不安が意識を満たしていく。
「何? お姉ちゃんがなんなの?!
ニミヤさん!! ボク、お姉ちゃんの所へ行かなくちゃ! 教えてっ!!」
彼は、ボクを見つめると、突然しゃがみ込んで目線を合わせた。
「……何があっても、驚かないか? 何があっても、目を逸らせずに居られるか?」
それはまるで、彼が自分自身に言い聞かせているようだった。
ボクは、頷く。
「よし、来いっ!」
あちらこちらで隔壁が降りているのが見える。ニミヤさんに手を引っ張られながら、研究所の中を下へ下へと走っていた。この研究所がこんなに地下深くまであるなんて、ボクは今日まで全然知らなかった……。
何階分くらい降りた頃だろう? 一際分厚い扉の部屋の前で、ニミヤさんはもう一度言った。
「何があっても、驚くな。何があっても、目を逸らすな。」
握っている手が、じっとりと汗ばんでいる。
暑いんじゃない。怖いんだ。
ニミヤさんが、微かに震える手で関係者パスを通して、暗証番号を入力すると、扉は開き始めた。
……その中は、地獄だった。何があったのか、想像も付かない。
警備員の骸が、血の海に散乱している。でも、その中に此処に本来居る筈の研究員達の姿がない。
この初めて来た一番下のフロアは、最下層とは思えない程の広さがあるらしい。
まだ何処かに居るんだろうか……? ゴクリ、と息を呑む音が嫌に大きく聞こえる。
「……行こう、カイリ。カイエが居るとすれば、もっと奥だ」
「……うん」
よく見ると、警備員の死体はとても不自然な損壊をしていた。
頭を壁に叩きつけられてぐしゃりと潰れている者、手足がねじ切られてバラバラになっている者、もう人の形の原型すらとどめていない者……。
どうやったら、こんな殺し方が出来るのかと思うほどの惨状だった。
濃く立ちこめる血の匂いに、ニミヤさんが酷く咳き込んで咽せている。
「……大丈夫?」
「よく平気だな……」
「……慣れてるから。こういうの」
だって、同じ匂いだ。あの、赤くはない血と─────。
「すまん、……行こう」
ボク達は、慎重に奥へ向かって歩いていく。
「あッ……!」
居た!
「お姉ちゃん!!」
強化ガラス越しの実験室に、お姉ちゃんの後ろ姿が見えた。
ガラスを力一杯叩いて呼んでみても、全然振り向かない。
「ダメだ、ここからじゃ、聞こえない。……向こうだ」
ニミヤさんに連れられて、回り込む。その時、お姉ちゃんの顔がちらっと見えた。
見開かれた深紅の瞳―――その目から、同じ色の涙がこぼれ落ちている。
……お姉ちゃん……何があったの? ぐるりと部屋を回り込む間、視界が阻まれる。
……ごうん。
建物全体を揺るがすような、低い轟音。
「な……何?」
「……多分、観察室に繋がる隔壁を破ろうとしている音だ」
「お姉ちゃんが、やってるの?」
「……十中八九。恐らく、カイエは実験中に暴走したのだろう」
「『暴走』?」
「……お前が”処理”させられている、元は人間だった存在が、ニンゲンの枠を外れる時に起こす現象だ」
……………。
「………元には、戻らないの?」
「………前例は、ない」
……………。
「だったら、ボクがお姉ちゃんを元に戻す。」




