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「なんだ?」


 ジェライドが部屋の前にいたことにも気づかないほど、周囲を気にする余裕もなく深刻に話しこんでいたグレイルとシィシアンが響いた音に互いの顔を見合わせた。軽いながらも、荒い足音が家の中をとおりすぎ、唐突に静寂が戻る。


「ジェライドか?」

「かな……すごい勢いで降りてきたみたいだけど」


 訝しげに席を立つと、シィシアンは扉へとむかった。


「ジェイ?」


 どうした、と部屋をでる。

 しかし、いつもならすぐに返る反応もなければ、姿も見えない。おかしいな、と思った瞬間、耳に届いた戸の軋む音に、嫌な予感がシィシアンの胸をよぎった。


「まさか……」

「どうした? いないのか?」


 後についてでてきたグレイルに、見てくると言い置いて、シィシアンは早足で玄関へとむかう。

 はたして、閉めてあったはずの戸は半ば開いた状態で、衝撃の名残に揺れていた。


「出てったのかッ?」


 舌打ちとともに、戸口へと急ぐ。勢いのままに押し開け、外へ踏みだす。すばやくあたりへ視線を走らせたが、姿はおろか、気配すらもう残ってはいなかった。


「あれほど言ってあったのに、どうして…」


 シィシアンはきつく眉根をよせた。

 元来、ジェライドは言いつけに背いて行動する方ではない。素直すぎるくらいに人の言うことを聞くこどもだ。容姿からくる劣等感に、なにごとも控えめで大人しい。

 そんなジェライドにシィシアンが声を荒げたことなど、数えるほどしかない。むしろ、ここ最近のことは、王都という違った環境に影響されてのことで、本来の性質とは異にする。

 だからこそ、シィシアンはきつく言い含めたのだ。本来なら滅多にわがままも言わない弟の、こどもらしい好奇心をそこまで叱る必要はなかったのだが、今日という日はジェライドを外へだすのは避けたかった。あれだけ言っておけば、素直なジェライドのこと、家の中で大人しくしているだろう、と。

 まがりなりにも上級魔法使いである自分の張った結界の中ならば、弟を守れるとシィシアンは考えていた。


「言っておくべきだったか」

 今年の新月がどんなものであるかを。


 わずかに悔やみながら、ジェライドを追うために踏みだしかけた足が、聞こえてきた父親の声に止まった。


「ラディリア!」


 はっと振り返ったシィシアンが見たのは、階段を駆けあがっていく父親の姿だ。


「どうしたんだっ?」


 続いた慌てた響きに、シィシアンは迷うように外へ視線を走らせ、だが身を返すと家の中に戻る。


「母さまが、どうかした?」

「シア」


 階段を見上げたシィシアンを、グレイルが顧みる。その腕には抱きかかえられるようにラディリアの姿があった。


「母さま!」


 今回、王都へ戻ってからは一度も目にしていない母親の姿に、驚いて声をあげる。


「シア! いつアディリルへ? 戻ってたのなら、顔くらいだして──」


 ここにいるはずのない息子の姿に驚嘆するラディリアを、説明している間はないとシィシアンが遮った。


「ごめん、仕事だったんだ。俺のことより、母さまはそんなとこでなにして……」

「そうだ。まだ体調がよくないんだ。寝てないと駄目だろう」


 夫と息子に問われたラディリアは、こちらへ小さな男の子がこなかったか、と逆に訊ね返した。グレイルの顔がさっと青ざめる。


「──男の、こ?」

「ええ。さっき、私の部屋へきたのよ。誰かと間違えているみたいで……これをおとしていったの」


 広げた彼女の手の中で、ちゃらりと金の鎖が鳴った。


「それはッ!」

「見覚えがある? 高価なものだし、大切なものだと思って、」


 持ってきたのよ、と最後まで言う間もなく、階段を踏み抜く勢いであがってきたシィシアンの手が腕輪をさらっていく。


「父さま、これ、ジェイの! さっき話した、巫女にもらった腕輪だッ」

「なんだと? それじゃ……」


 二人の間に、沈黙がおちる。


「──母さまが会ったのは、十歳くらいの暗褐色の髪の子?」


 手にした腕輪を握り締め、動揺を押し殺した低い声音に、ラディリアはぱっと表情を明るくした。


「そう。きっとその子よ。知ってるのね、よかったわ」

「その子を見て……なにか、感じた?」

「? おかしなことをきくのね。どこの子かしらって思っただけよ。泣きだしそうな顔で部屋からでていったから、気にはなったけれど」

「──そ、う」


 自分の言葉に悲しげに笑ったシィシアンを、ラディリアは不思議そうに見上げた。


「どうしたの? どこか痛い?」


 頬に手をよせた母の姿に、シィシアンの笑みが歪んだ。そっと添えられた痩せた手をとり、はずす。


「なん、でもない。俺は、ジェイを探してくる。父さま」

「ああ──さあ、ラディリア。あれは私たちが返しておくから、部屋へ戻ろう」


 妻の肩を抱いて、部屋へと促すグレイルの声を背に、シィシアンは階段をおりていく。その唇は固くひき結ばれ、眉間にはしわが刻まれていた。

 玄関の戸口の前で、消えた両親の気配に、ふと背後に視線を投げる。


「どうしてだよ、母さま……」


 苦渋の色が吐息に滲む。


 ラディリアは、心を病んでいた。少しずつ、周囲にはわからない程度に、けれど確実に彼女の中の闇は自身を蝕んでいたのだ。

 身体を壊したせいで、愛しい息子たちと離れてくらさなければならない。ジェライドをシィシアン同様愛しているはずなのに、存在を受けいれきれない。

 そんな自身の弱さを責め、湧きあがる罪悪感に苛まれ、やがて疲弊しきった精神は彼女自身が気づかない内に、原因である息子の存在をラディリアの中から徐々に消し去っていた。

 母子のためによかれと考えた別居が、仇となったことをグレイルが悟った時にはすでに遅かった。彼女は生まれてから離れていた時の方が長かったジェライドのことを、完全にないものとしてしまっていたのだ。

 

 ウォルデスの祖父母の元へその知らせが届いたのが、半年ほど前のこと。

 会えば思いだすかもしれない。けれど、ラディリアの心が戻らなければジェライドが深く傷つくことは避けられないだろう。元々自分のせいで、という思いの強いジェライドには事実が重すぎたのだ。

 だが、このまま会わさないわけにはいかない。


 ──体調の回復を待って、会わせてみよう。


 思い悩んだ末に決めたところで舞いこんだ、シィシアンの王都召還だった。


「最悪だッ」


 ダンッ、と拳が壁を叩く。誰へもむけようのない、やりきれない感情がシィシアンの胸中に渦巻いた。

 なぜ、今日なのだ、とシィシアンは強く奥歯を噛む。

 母子の再会はもっとも望ましくない日に、最悪の形ではたされてしまった。今まで気持ちを抑えていたジェライドが、会いにいった理由がわからない。

 そこまで考えて、シィシアンははっと顔をあげた。


「まさか、な。ジェイが、あの話を聞いてたなんて……」


 否定として口にしながらも、声にだしたそれは頭の中で考えているより現実味を帯びて響いた。

 すべてに説明がつくのだ。

 ラディリアに会いにいったことも、言いつけを破って家を飛びだしていったことも。

 だとするならば、なおさら早くジェライドを連れ戻さなくてはならなかった。こうなったからには、少しでも早く安全な神殿へ連れていかなければならない。

 己の迂闊さを悔やんでいる時ではない、とシィシアンは手に握ったままだった金鎖を長衣の内へとしまいこむ。


 外へ出た瞬間、さしこんだ西日にさっと目を眇めた。傾き具合からみて、もう半時もしない内に太陽は大地へと沈むだろう。そして──



 月のでない、夜がやってくる。



 表情を険しくて、シィシアンは庭先に繋いでいた馬の手綱を解くと、その背に飛びのった。











 リゴーンッ リゴーンッ リゴォ……



 一年に一度だけ、鳴り響く鐘が王都に高くこだまする。それは、人々に夕刻の迫ったことを知らせる合図だ。これより先は外へでるなという警告でもある。


 背に音色を聞きながら、ジェライドは一心不乱に丘をのぼっていた。

 だが、実際には彼の意識には鐘の音など少しも届いてはいない。

 ジェライドの心を占めているのは、拒絶の声、それだけだった。



 家という、唯一自分が守られていた場所を失ったジェライドには、もう己の居場所など残っていなかった。衝動のままに飛びだしたが、ここは自分の暮らしたウォルデスではなく、いく宛があるはずもない。

 ただ闇雲に、路地を駆けていたジェライドが息を切らして立ち止まった時、ふと気づけばあたりには固く戸を閉ざした家々が並んでいた。道をいく人は皆無で、迫る夜の気配に怯え、人々が息を殺した静寂に満ちている。


 ぴんっと張り詰めた静けさに、恐怖がじわりと足元からはいあがり、ジェライドの心臓を捕らえた。

 夕刻迫る今、一人外にいることに、ではない。

 ジェライドが感じたのは、人の世に拒まれた、自分という存在だった。


 人とは相容れない自分が、ここにいてはいけないのだという、強迫観念が胸をきつく締めつけた。

 走ったことで上気していた顔からは血の気がひき、治まりかけていた鼓動が再び早くなる。熱いはずの身体は、痺れるように手足から冷たくなっていった。



 ──あの子の色、気味が悪いね……闇に憑かれてるんじゃないの。

 ──あいつ、全然才能ないのにさ、どうして教室にいるんだ? さっさといなくなればいいのに。

 ──うちの親族に、こんな子が出るはずがないっ。化生の子だよ!



「あ……いや、だ…っ」


 囁かれ、罵倒された声が、次々と聞こえてくる。耳を塞いでも消えることなく、逆に大きく鳴り喚いた。


「これ、以上ッ、」



 ──手放さなケレバ……

 ──渡すしカ、ナイ。



「もう、聞きたくないっっ!」


 きつく目蓋を閉じ、懇願するように、ジェライドは絶叫した。





 ──ボウヤハ、ドコノ子カシラ?





 そこから先の記憶は、なかった。


 いつのまにか、街をでて丘をのぼっていた。

 いっそ破けろといわんばかりに、激しく脈打つ心臓にも足を止めない。額からすべりおちる汗を拭う素振りすらなかった。倒れ朽ちるなら、朽ちろ、とひどく乱れた呼吸を繰り返す。

 己の現状は一切構わず、ただひたすらに――その意識もなく――森をめざしていた。もう、自らの居場所はそこにしかないというように。


 大地へと沈みゆく西日が、強烈な眩しさと熱を持って、丘の上にさしかかったジェライドの肌を焼く。もし彼が顧みたならば、丘から伸びる影に侵食されていく、王都の様子が目に映ったことだろう。

 街を包んでいた昼間の輝きが徐々に色褪せ、夜が忍びよっていた。

 森は落ちる太陽を背にして、黒々と内に陰を抱き、黄金の陽光を映して輝く草地にわだかまっている。より一層世界が輝く瞬間だからこそ、陰も深かった。

 街にかすかに落ちていたジェライドの影が、短くなり、消えた。


 ひきよせられるかのように、ジェライドは小道を逸れ、森へ駆ける。下り坂に、自然加速がつき、転がる勢いだ。実際、長く伸びた夏草に足をとられ、何度か転倒しそうによろける。それでも走り続け、やがて、小さなジェライドの身体は、暗い森の中へ吸いこまれていった。


 ジェライドはなおも足を緩めなかった。ざっ、ざっと乱暴に落ち葉を踏み鳴らし、更に森の奥へとわけいっていく。

 鳥の声一つしない、不気味なほどの静寂が、薄闇の中満ちている。

 聞こえるのは、自らの足音と息遣いだけだ。けれど、恐れる風もなくジェライドは最深部へと踏みこんでいく。その様は陽を避け、光の欠片も届かぬ場所をめざすようであった。

 木々の影が折り重なり、暗さに慣れてきたジェライドの瞳にも、先の見えない濃い影を作りだす。構わず突き進んだ途端、


「っ痛ッ」


 手足に鋭い棘が纏わりつき、戯れに皮膚を傷つけた。咄嗟に目をつむって、踏みこんでしまったらしい茨の茂みを力任せに走り抜ける。

 最後に一際鋭く、棘が頬を裂いた。

 ようやく脱した先に飛びこんできたほの明るさに、ジェライドは反射的に立ち止まった。


 数瞬前まであたりは墨を流したように色彩を失い、黒一色で塗り潰されていくようだったのに、そこだけ陽の名残を留めた空間が広がっていた。密集した木々の中に、抉られた様子を呈してぽっかりと開いた穴だった。地には大人の背丈ほどもある岩が転がり、ゆっくりと上を見やれば、茜色に染まった空が黒い影に縁取られて浮かんでいる。


 ぼんやりと変わっていく空を眺めていたジェライドが、唐突にその膝を折った。限界まで酷使した身体が、途切れた緊張感に崩れたといった方が正しい。

 べったりと座りこんで、荒い呼吸を繰り返す彼を、ふいに笑いの衝動が襲った。


「……は、っはははは、っふ」


 零れた乾いた笑声とともに、涙がその虚ろな両眼から滲んだ。あふれたそれは頬を伝い、傷からぷつぷつと噴きだして玉となった血を伴って、流れおちた。

 ぽたりと赤い涙が地面におち、吸いこまれていく。


 瞬間。




 大地が──爆発した。




 ――──血ダッ、我ノ求メタ器ダ! 


 耳に届いた笑声と同時に、濃密な闇が身体をとりまき、大きな衝撃が襲った。

 すべては真っ黒に塗りつぶされ、自分の意識がないということすらわからぬまま、ジェライドは闇に身体を明け渡していた。




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