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6

 王都は朝からざわめいた空気で満たされていた。


 人々は家の戸締りを確認し、神殿でもらい受けた護符や店で購入した魔除けを配置するのに余念がない。店はまだ日も高いというのに、昼すぎには早々に閉められ、道行く人は普段よりぐっとその数を減らしている。閑散とした道を用あっていく人も、どこか足早に通りすぎていった。




 街全体が言い知れぬ緊張感と浮き足立った雰囲気に包まれる中、ジェライドも不安を抱えて家の中にあった。

 あの後、事情を聞いた兄にさんざん叱られ、今日一日外出を禁じられていた。


『明日までもう帰れないからな。家の周りには水系結界が張ってあるから大丈夫だと思うが、母さまを頼んだぞ。夕刻には父さまもまたでかけるからな』


 夜警のために留守にしていたグレイルが帰るのといれ違いに、神殿へとでかけていったシィシアンを見送る際、


『巫女さまにもらった、これ。返さなくていいのかな?』


 ジェライドは昨日から気になっていることを訊ねてみた。

 だが、兄は迷う素振りも見せず、つけていろ、と返した。


『確かに高価なものだが、意味もなくくださったものではないはずだからな。ジェイには必要なものなんだ。大事にしろよ』


 言い置いた兄が家をあとにし、帰った父が休むのを待って、ジェライドは自室へひきあげた。

 朝から大半の時間を魔法書を繰るのに割き、時折おちつかなげに開けた窓の外へと視線を投げた。

 日はとおの昔に中天を回り、あとは沈むばかりの空は、夜に備えて慈悲を注ぐかのごとく晴れ渡っている。風はぴたりと止んだまま、空気が暑気を帯びていく。


 ──心がざわめいて、おちつかない。


 目が字を追うばかりで、はいっていかない内容にジェライドは軽く頭を振ると、書を閉じた。不安を払うように、小さく息を吐きだす。


「──兄さまが結界を張ってくれたんだ。大丈夫」


 無意識に腕にとおした鎖をいじながら、自らに言い聞かせる。

 気をとり直して別の本を読もう、と立ちあがったジェライドの耳が小さな物音を捉えた。どこかの戸が閉まった音だ。


「あれ? 父さまが起きたのかな」


 夕刻から再び王宮へと出向くグレイルが起きだしてきたのだろう、とあたりをつけるとジェライドは部屋をでた。

 しかし、家の中は閑散としたまま、人の動く気配がなかった。使用人たちも午後から暇をだされて、今はいない。


「?」


 ジェライドは首を傾げると、足を忍ばせて階下へとおりていく。さきほどの物音が気のせいならばまだ父は休んでいるはずだ。騒がしくして起こしたくはなかった。

 階段をおりて覗いた居間には誰の姿もない。やはり気のせいだったかと、戻ろうとしたジェライドは、


「──だとッ?」


 書斎の方から聞こえてきた、低い父親らしき怒声にびくりと身体を竦めた。

 足を止めて息を殺すが、それ以上は聞こえてこない。ただ、意識して耳を澄ませば、なにやら会話が交わされている様子が窺えた。

 ジェライドは逡巡したあと、そっと声の聞こえてきた書斎の方へと足をむけた。物音をたてないように注意し、部屋の前までいきつく。

 ジェライドのことに気づいていないのだろう。若干おとされてはいるが、途切れることなく扉越しに声が聞こえてくる。よく聞き知ったそれらは、父親と兄のものであった。


(……戻らないって言ってたのに、どうしたんだろう?)


 内心疑問に思いながら、戸に耳をあてた。よくないことだとわかってはいたが、感情も露わに声を荒げる父親の姿など見たことがなかっただけに、内容が気になった。


「──して今ごろになって、そんな……もっと早く、わかったことだろう」


 父親の喉の奥から搾りだされる苦しげな声に、ジェライドは息を詰める。

 なんの話だろう? と浮かぶ疑問にさらに耳をそばだてた。


「神殿は、あの夜起ったことを何の予兆か図りかねていたんだ。前例のないことだったからと、神官長がおっしゃっていた。当時の記録にも、そうある」

「いまさら……もっと、早くわかっていたら、ラディリアだって、あの子だって」


 苦しまずにすんだかもしれないのに──。


 最後は呻きにまぎれ、ジェライドの耳には届かない。

 しかし、流れの中で心のどこかが気づきはじめていた。


「なにも、してやっていない。数えるほどしか、この腕に抱いてない。なのにっ……」

「神官長のお話では、今すぐどうこうというわけじゃないんだ。一時的な措置だと。――父さまも知ってるだろ? 今日は……今年の今日は、日が悪すぎる」

「そんなことはわかってるッ」


 荒げた声に、はっと黙りこむ気配がする。


「──すまない。おまえだって、気持ちは同じだな……大神官さままで話がとおってしまっているなら、今は一時的なことでもいずれやってくるということだ」

「そう。立証するといっても、巫女の言葉以上の神託は、ないから。巫女から話がでた時点で、神殿が動くのは間違いない」

「なにが、普通の子と違うんだ? 確かに闇には狙われやすかったが、今までなにごともなくすぎてきた。なのに──ウォルデスに預けるだけでも辛かったあの子を、手放さなければならないなんて……」


 ジェライドは雷に打たれたように立ち尽くした。



 ──これは……自分の、ことだ。



「多分、神殿にひきとられたが最後、俺たちとの関係は断ち切られる。そんな繋がりは邪魔なだけだ」


 内に苦々しいものを含んだシィシアンの口調に続いた、拳を打ちつける音に、ジェライドの身体が小刻みに震えだす。自分の立っている場所を見失い、足元から崩れおちてしまいそうだった。


(……手放す? 神殿にひきとられる? 僕、が?)


 なぜ、と叫んで部屋に飛びこみたかった。

 けれど返る言葉が、表情が恐ろしくて、結局はその場で立ち竦むしかない。


「だが、神殿の命であれば、覆らない。抗議してみたところで、私ごときの力ではどうにもならないだろう」

「逆に叛意あり、ととられかねない。神殿どころか、王宮も黙ってないだろうね。もし、ジェイのことが事実なら」


 結局のところ、渡すしかない──


「!」


 シィシアンによって重く吐きだされた決別に、衝撃がジェライドの胸を打つ。

 よろめくように、戸から身を離した。いまだ続く室内の会話も、もう聞こえてはこない。耳元でうるさいほどに脈打つ心臓の音が、すべての音を奪っていた。


「嘘、だ……」


 吐息に絡まる言葉が、囁きにもならずに霧散する。無意識にさがっていた足がそのむきを変え、階段へとおぼつかない歩みで進みはじめる。

 頭の中で二人の言葉がわんわんとこだましていた。理由も過程も関係なかった。ただ、耳にしたそれらが自身の存在を否定する響きを持って、ジェライドを責めたてた。

 よろめく身体を壁に手をついて支え、階段を一歩ずつのぼっていく。


「母さまが、いるもの……」


 自らに言い聞かせるようにいまだ会うことを許されない母の名を呟く。


「きっと……ううん、絶対、母さまは僕のこといらないだなんて、」


 言わない。


 心から願えば、言霊になる。そう信じて紡がれる言葉は呪文のようだった。

 あがりきった階段から、まっすぐに伸びた廊下をいく。普段は自分の部屋の前から見つめるだけ――まれにその前まではいってみた、奥の扉へむかう。


「母さまなら、ここにいていいって、言ってくれるよね?」


 たどりついた扉を揺れる瞳で見上げた。

 ジェライドは息を吸いこむと、ノブに腕を伸ばした。きつく握りしめ、ゆっくりと回す。


 扉は音もなく、開いた。

 喉を大きく上下させ、ジェライドはそっと室内を覗きこんだ。

 ずっと以前にはいった時と変わらない、あまり調度品も置かれていないがらんとした部屋だった。病気の母のためにと室内は清潔に保たれ、壁紙や布地は柔らかな風合で統一されている。窓際には花が飾られ、薄布のカーテンが室内にはいる陽の光を和らげている。


 その傍らのベッドの上に、ジェライドの母、ラディリアはいた。

 調子がいいのか身体を起こし、窓の外を眺めているらしかった。


「──母さま……」


 長い間見ることのなかった母親の姿に、ジェライドの口から呼びかけが零れた。ついで足を踏みいれた彼を、気がついた藤色の瞳がついっと見やった。

 あまり外にでないせいか抜けるように白い肌に、やや細った頬や腕が、彼女の体調が芳しくないことを如実に表していた。

 だが、それでも翳ることのないシィシアンによく似た美しい面差しや、緩やかに波打つ淡い金色の髪は、ジェライドの記憶と変わってはいない。


「かあ……」

「あら?」


 思わず駆けよろうとしたジェライドにラディリアは声を漏らすと、幼い少女のような邪気のない笑顔を浮かべた。



「ぼうやは、どこの子かしら?」



「──え?」


 激しいショックが、ジェライドを貫いた。

 両足がその場に縫い止められる。頭の中が真っ白になって、投げられた言葉に対する理解が及ばなかった。


「ご両親と一緒にきたのかしら。部屋を間違えてしまったの? それとも冒険してたのかな」


 男の子はそれぐらい元気な方がいいわよね、と朗らかに笑う姿は、まるで目の前の存在など知らないと言わんばかりで、動揺したままのジェライドの心が大きくざわめいた。


「──ど、したの?」


 ぽつりとおちたそれが呼び水となって、感情が堰を切ったかのごとくあふれでる。


「どうして、そんなこと言うの? 僕だよ、母さま……ジェライドだよッ」


 ベッドへと走りより、勢いに任せて言い募るジェライドを、ラディリアは不思議そうに見つめた。


「母さま?」


 呟いて首を傾げた母親に、ジェライドは必死に頷く。


「そうだよ。僕の顔、忘れちゃったの?」

「ぼうやは誰かと私を見間違えているのね。迷子になってしまったのかしら……ごめんなさい、私はあなたのお母さまではないのよ」


 困った顔で幼い手を握ったラディリアに、ジェライドは呆然と目を瞠った。


「なんで──嘘でしょう?……こんなの、」


 信じない、と緩く首を振る。


「母さまが、こんな──ねぇ、嘘だって、言ってよ。僕は、ここの家の子でしょうッ?」


 徐々に上擦っていく声に、ラディリアは更に困惑を深めた表情を浮かべるばかりで、求める言葉を口にしてはくれない。


「どうしてッ!?」


 投げかけても返らない笑顔に、ジェライドは力任せにとられた手を振り払った。拍子に腕輪がはずれ、音をたてて床に落ちる。

 しかし、彼の目に映ったのは、驚き身を竦めた母親の姿だけで、ほかはなにも意識にはなかった。


「ほんとに、わからないの……?」


 今にも泣きだしそうに震える声が問う。だが、返るのは戸惑いと沈黙ばかりで、応えもない。それがすべてを物語っていた。


 母にはもう、自分のことはわからないのだ、と。


「母さまも、僕のこと……いらないんだね」


 気づいた時には、ジェライドは駆けだしていた。母の寝室を抜け、廊下を突っ切る。階段を転げる勢いで走りおりた。

 感情も理性も頭にはなかった。

 シィシアンに言い渡された外出禁止も、今日がどんな日で、夕刻が近づいているということも、すべては消し飛んでいる。

 ただ、心のあげる悲鳴のままに、ジェライドは外へと飛びだしていった。


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