4
新月を二日後に控えたある日、ジェライドはシィシアンに神殿へと誘われた。
「ジェイはまだ中央神殿へいったことがないだろ?」
兄の言葉に、ジェライドは瞳を輝かせた。
中央神殿は信教の対象としてだけではなく、古くからの建築美で知られる場所でもある。
同じ様式でも王城のように、一般の民にはおいそれと足を踏みいれることが叶わない所とは違い、警備は厳しいものの非公開の場を除いて、誰でも参拝に赴くことができた。その風靡な様子から、王都から離れた地域に住む者たちも一度は訪れたいと望む、信仰の要だ。
「兄さまが案内してくれるの? 邪魔にならない?」
嬉しさの中にも気遣った様子をみせるジェライドに、シィシアンは『問題ない』と請け負った。
「明後日の晩は、王都中の騎兵隊・神官・魔法使いが警戒にあたるからな。その前に交代で休みをもらってるんだ。だから、大丈夫だ。魔法を学びはじめたおまえに中央神殿を見せてやりたいからな。きっと得るものがある」
今は新月前で慌ただしいから全部は案内できないけどな。
残念そうに肩を竦めた兄に対して、もともといきたかったジェライドに固辞する理由があるわけもなかった。
中央神殿は王都のほぼ中央に位置する。
王宮がほかを見下ろす丘にその威容を誇り、街は丘の裾から広がっていく。中央神殿は王宮から見て西北側の丘の中腹に建てられ、直線上の東北側には魔法院が建つ。その二つを従える形で王宮は南へと開けていた。
シィシアンたちは一度南の街道へと回り、ジェライド待望の龍の城門を見たあとに、西側へと丘に沿って伸びた石畳を徒歩でのぼっていった。
馬や馬車を使用できるのは、各街道が丘にさしかかる手前までである。それ以上は認められた地位や権威にある者にしか許されない。
「ジェイ。中央神殿の配置は知ってるか?」
なだらかな坂道を歩きながら、シィシアンが問う。それにジェライドは大きく頷いた。
「うん。アルクトゥース神を奉る主殿を中心に、四方へ風神殿、水神殿、地神殿、火神殿がそれぞれ配置されてるんだよね」
「正解。じゃ、由来は?」
「そんなの、簡単だよ。おばあさまが何度も歌ってくれたし、導師さまも教えてくださったもの」
彼らの預けられていた母方の祖母は、琴弾きと呼ばれる伝承者であった。竪琴を奏で、神話や精霊、国の歴史を物語る。
ジェライドは幼い頃から子守唄代わりに聞かされた祖母の美しい語りが大好きで、ことあるごとにせがみ、また自らもついて歌っていた。
知っていて当たり前だと、語りの旋律を口ずさんでみせる。
「風は闇を払い東から朝を呼び、地は西へ眠りにつく天に代わり夜を守る。水は南から希望を運び、火は北に根ざす悪意を浄化する」
けして大きくはないがよく通る澄んだ声に、同じように神殿をめざす人々が振り返る。ジェライドに対する奇異だけではない感情が、その表情からは窺えた。
周囲の様子に気づいたシィシアンは、嬉しそうにジェライドを見つめた。
「好きなだけあって、上手だな」
「僕なんて全然だよ。おばあさまはもっともっと上手だもの」
兄を見上げてにこやかに笑う。
普段は自身の外観を気にして、人目のあるところでは控えめなジェライドが無邪気にはしゃぐ様子に、シィシアンも微笑みを誘われた。
「そんなに嬉しいのか?」
「うん! とっても綺麗だって有名だもの。それに兄さまが仕事しているところだから」
ジェライドにとって、神に仕える者の象徴である白い長衣を身に着けた兄の姿は憧れであった。
袖口に縫い止められた青のラインは、中でも魔法使いの印だ。本数によって力の程がわかるようになっており、シィシアンの袖には上級魔法使いの証である三本のラインが鮮やかに浮かんでいた。
それがジェライドには、自分のことのように誇らしい。
そんな大好きな兄の仕える神殿なのだ。当然憧憬の対象であったし、なにより普段触れることのない兄の仕事に接するようで、自然と心が弾んだ。
「ウォルデスの神殿とは違うんでしょう。どんなところが違うの?」
「んー、広さが違う」
シィシアンがからかえば、ジェライドがむっと眉をよせた。
「そんなこと、ここから見てもわかるよ!」
地方神殿の主殿相当の大きさの建物が四方殿として備わっているのだ。単純計算しても五倍は広い。まだ神殿への道のりは半分残っているが、その場からでも広大さは見てとれた。
知りたいことはそんなことではない、と言外に不機嫌さを滲ませるジェライドに、シィシアンは苦笑を返した。
「悪かったよ。そうだな……四方殿があることもそうだけど、中央神殿には国中でここにしかない占呪と天星の機関がある」
「占呪と天星?」
「占呪は国の吉凶を占って、いい方向へ導くよう呪いなんかをすることだな。天星は神々の輝きの欠片である星から――もっと言えば空のあり方から、神の声を読み解くことだ」
「ふぅん。神官さまにも色々とあるんだね。お祈りをして、教えを説くだけじゃないんだね」
「まあ、それも大事な仕事だけどな。ああ、あと、今の中央神殿には百年に一人現れるか現れないかという方がいらっしゃる」
「あ! 『神眼の巫女』さまでしょ?」
兄を見上げて熱心に聴きいっていたジェライドの瞳が一際輝いた。
神眼の巫女。
彼女の噂は遠く離れたウォルデスの街にも届いていた。
どんなに修行を積んだ上級魔法使いでも、気配を感じること以外はできないとされる精霊の存在を目に捉え、時として神の姿さえ見ることのできる巫女がいる、と。舞と歌を捧げることで空という媒体を介さずして、神々の声を聞くことができる唯一だ、と人々の口に上った。
書物や口伝においてのみ認められていた、そうした能力を持つ『神眼』の存在を、四年前神殿は確認し、迎えいれた。
それが『神眼の巫女』と呼ばれる少女だ。
噂は耳にすれど、誰も見たことがない。その点で民にとっては神眼の巫女とは、今も伝説上の存在でしかなかった。
それはジェライドにとっても同様だ。
「兄さまはお会いしたことがあるの?」
興味津々といった体で見上げてくる弟の額を、シィシアンは軽く指で弾く。
「俺みたいな下っ端があるわけないだろ。会うことができるのは、上の方の神職者か魔法使い、王族の方ぐらいだ」
「じゃあ、兄さまはすごい魔法使いだから、その内会えるようになるね」
「だといいな」
含みのない笑顔で告げられた内容に、シィシアンは曖昧に笑っただけだった。
「神眼の巫女さまってどんな方なのかな?」
「兄さんと同じ年のころだっていう話だからな。持っている能力云々はともかく、見た目は普通の女の子なんじゃないか」
など、更に話を続ける間に、二人は城門から一刻ほどの道のりを歩き終え、神殿の前門へといきついた。
「少し待ってろ」
言い置いて、シィシアンが門番の兵の一人へと近づいていく。二言三言会話を交わすと振り返り、物珍しげにあたりを見回していたジェライドへ手招きした。それに気づいてジェライドが駆け寄っていく。
「ねぇ、並ばなくていいの?」
隣に並んだ自分を伴って門を抜けようとした兄に、ジェライドは小さく首を傾げた。
参拝者なら誰でもはいることができるとはいえ、国の中枢機関の一つだ。門をくぐるにはそれなりの身元確認などがある。そのため、門前は順番を待つ人々でひどく混雑していた。
「ほんとは今日は仕事じゃないから並ぶべきなんだけどな」
「いいんだよ。シィシアンの弟っていうんなら、身元は確実だしね。グレイルさまのこともよく知ってるし」
さすがに周囲を憚ってか、腰を屈め、声を低めた兄と兵士の様子に、ジェライドも自然と息を詰める。
「このために仕事でもないのに、わざわざ長衣を着てきたんだ」
ずるしても怪しまれないからな、とシィシアンが悪戯っぽく笑った。
「ほんとに?」
それでも不安げな表情をみせるジェライドの背を、本来ならばそうした所業を咎めるべき兵士が押した。
「さあ、いいから早くはいって。こんなところにいつまでもいられたら、それこそ邪魔になる」
彼の言葉ももっともで、促されるままにジェライドは門をくぐった。そして、目の前に広がった光景に息を飲んだ。
敷地をぐるりと囲った高くそびえる壁のむこうにあったのは、白く輝く壮麗な殿堂であった。
太陽の光にきらきらと外壁を反射させる石材は、おそらく外門と同じものであろう。正確に切りだされ、一部の隙もなく積みあげられている。
その場から目にできる建物は三棟で、中央の一際立派なものへと、門からまっすぐに石畳が敷かれていた。左右には前庭が広がっており、泉が湧き、木々が梢を揺らしている。
その面積は知らず奥まではいりこんでしまえば、容易には抜けだせないであろうほど、広大なものであった。
「中央にあるのが、主殿だ。右手が風神殿、左手が水神殿」
言葉を失って立ち尽くしたジェライドの上から、シィシアンの声が降ってくる。だが、それすら満足に耳にはいってはいなかった。
「すごい……」
呟いて、無意識にか足を動かしはじめた弟のあとを、シィシアンは黙ってついていく。主殿の入り口を目前にして、
「ねぇ!」
唐突に振りむいたジェライドに「ん?」と目顔で先を促した。
「どうしたら、こんな立派な建物が人間の手で作れるの? やっぱり魔法の力なのかな」
「んー、言い伝えによると、王宮と神殿は地上へと降された時、御使いがアルクトゥース神の力を借りて建てられたそうだ。人々の願いを聞いてな。それを参考にして、後々人の手によって作られたのが、魔法院だ」
「へー……神さまのお力で作られたのなら、こんなに綺麗なのもわかるなぁ」
口を開けて、アーチ状の入り口に施された華麗な装飾に見入るジェライドの頭に、シィシアンが手を置いた。
「ほら、いちいち立ち止まってたら進まないぞ」
言われて、ジェライドは慌てて前へとむき直る。
見回してみると、周囲の人も自分と同じような反応を見せていることに安堵したが、なにぶん人が多いのだ。ここでいつまでも立っていたら、それこそ邪魔になってしまう。
「まずはお祈りをして、それから中を案内してやるな」
祭壇へと歩きだした兄に従って、ジェライドも遅れないように隣をついていく。人にぶつからないように気をつけながらも、室内へと首を巡らした。
天上は見上げるほど高く弧を描き、四方の壁の上部にはとりどりの色ガラスを使用したステンドグラスが嵌まっている。それらは日に透け、美しい色彩を見せるとともに、床にも輝きをおとしていた。
部屋の中央の祭壇と周囲には、そこだけ影が切りとられたように日がさしこんでいる。
それに一際の輝きを放つのが、その昔アルクネア創始の王が天神より賜わったという、赤ん坊の頭ほどもある大きな金剛石の原石だ。厳重な魔法によって幾重にも保護された祭壇に据えられ、左右には警備が立ち、周囲に目を光らせている。
そんな祭壇をとり囲むようにして、人々が膝をつき、一心に手を組んでいた。
入り口付近にあったざわめきは消え、室内――特に中心に満ちるのは、祈りという静寂だけだ。
ジェライドとシィシアンも人の輪に加わると、そっと腰を屈めた。膝をつくとひんやりとした石の感触が伝わってくる。それをどこか心地よく感じながら、ジェライドは瞳を閉じた。
祈念することはさまざまにあるが、この場においてまず心に浮かぶのは、神々に対する畏敬と感謝であった。姿を見ることは叶わなくても、語り継がれ教え諭される中に、目に触れ感じるものの中に、神は生きていたから。
どれくらい祈りを捧げていたのかはさだかではない。気づけば自分のうしろにも参拝者の列ができていたため、決して短くはなかったのだろう。
見れば隣にいたはずの兄の姿が消えていた。
思わずでかかった声を、寸前で留める。足音や衣擦れの音がせいぜいの空間で言葉を発せば、ひどく響くだろうと思ったのだ。
見知らぬ場所で置いていかれたということに不安が募り、急ぎ立ちあがる。邪魔にならないように注意しながら礼拝の輪を抜ければ、回廊へと続く扉脇の壁際に身をよせたシィシアンの姿があった。
ジェライドはそっと息を吐いた。
高く音をたてないようにしながらも、小走りに歩みよる。
「見たら、いなかったから、びっくりしちゃった」
あがった息に、胸に片手を置く。空いた手で兄の長衣を握り締めて吐息で囁けば、『わるかったな』と同様に返したシィシアンがジェライドの頭を撫でた。
そのまま、手を肩に回したシィシアンは、
「出よう」
声にはださずに口を動かし、親指で今は開かれた扉を指した。
ジェライドとしては、もうすこし中を見てまわりたいという気持ちがないこともなかったが、促されるままに扉をくぐる。
中もさほど暗かったわけではなかったが、それでも外へとでた瞬間、夏の光が目を刺した。眩しさに瞬いていると、間近に顔を覗きこまれる気配がする。ジェライドはぼやけた焦点を合わせた。
「どうしたの?」
戻った視界に、片膝をついて自分を申し訳なさそうに見つめてくる兄の姿を認め、首を傾げる。
「悪いな。ここへ兄さんがきてることが知れたみたいだ」
ちょっといってこなくちゃならない、と謝るのをジェライドは不安に見つめ返した。
やはりさきほどのことはいけないことだったのだと、前門でのやりとりを思いだして青くなるジェライドをよそに、
「俺の担当のことで、急ぎの用がはいったんだ。礼拝してる時に、連絡がきた。いるならすぐこいってさ」
「あ、なんだ。仕事なんだね」
あからさまにほっとしてみせるジェライドに、今度はシィシアンが首を捻る番だった。
「? 仕事以外でなにかあるのか?」
「ううん。やっぱりずるしてはいっちゃいけなかったんじゃないかって、思ったんだ」
不思議そうな顔をしていたシィシアンが、ああ、と合点がいったように頷いた。思わずといった観のある苦笑を漏らす。
「違うさ、心配いらない。──それよりも、本当にごめんな。なるべく早く戻ってくる」
「新月も近いんだもの、仕方ないよ。僕なら色々見てまわってるから心配しないで?」
ここはとっても綺麗だからあきないよ、と屈託なく笑ってみせる。その笑顔がかえってシィシアンの胸にはつかえた。しかし、それを表情にはだすことはなかった。
「回廊に沿って歩いていったら、神殿を一周できる。ただし、警備のいる通路の先にはいくなよ? 立ち入り禁止で追いおされる。あと、一般の参詣者がはいりこまないように魔法がかけられている場所があるからな。地系魔法だからおまえにもわかると思うが、中にはいろうなんてするんじゃないぞ」
「うん、わかった」
頷いた弟に、シィシアンは立ちあがって、裾を払った。去り際に、再度ジェライドの頭をぐいっと撫でて、『行ってくる』と一言告げた。
「心配しなくていいからね」
回廊をはずれ、奥へと歩いていく兄の背中にジェライドは声を投げる。肩越しに振り返った笑顔に手を振った。
そうしてシィシアンの姿が建物のむこうに完全に消えた時、ジェライドは力なく腕をおろす。小さく嘆息した。
「兄さまにはああ言ったけど、どうしようかな……」
神殿の象徴である白い長衣を纏った兄が隣にいる時は、人の目など気にならなかった。
だが、一人きりになると、白く輝くこの場に自分はなんて異質な存在だろうと思えてならなかった。こどもが一人でいること自体が不自然で、容姿に注がれる通りすぎざまの視線が非難するようで、居たたまれない。
とりあえず歩きだしてはみたものの、神殿内を見てまわる勇気はジェライドにはなかった。
まっすぐいけば地神殿があったが、ジェライドは回廊をそれると、急ぎ足でその建物の影へとむかう。誰に見咎められることもなく、裏手へまわりこむと地面に腰をおろした。
身を隠すように膝を抱える。
「すこししたら、でていけばいいよね」
人目を逃れ、人心地ついたところで、ようやくあたりを見回す余裕ができる。
目にはいるのは、青々とした木がほとんどだった。右手奥に、それらにまぎれて火神殿の白が見える。
一際目をひくのが、座っていても木々の上に望むことのできる、塔の存在であった。森の中から生えてきたかのようなそれは、遠くからでも目にすることができ、さながら空に浮かんでいるかのようだ。
あそこで星を見るのだろうか、とジェライドはぼんやりとそれを眺める。時折鳴く小鳥の声や風が梢を揺らす音に身体を預けていたジェライドは、ふいにはっと身を起こした。
どこからか鳥の音以外のモノが風にのって、聞こえてくる。
そう自覚した途端、全身に怯えが走った。
(まさか、あの闇の声?)
身を硬くして、あたりに目を走らせる。
だが、森は夏の午後の光に穏やかに緑輝くばかりで、これといった異変もない。あの時、自身の内に響いた警鐘めいた胸騒ぎも感じられなかった。
むしろ──
「……歌、かな? すごくいい声だ」
微かで断片的でありながらも、空気を震わす旋律に、心が強く惹かれた。
考えてみれば、ここは国中でもっとも浄化された神域なのだ。いくら新月が近いとはいえ、闇が近寄れるはずもない。
そう思い至り、手足から強張りが解ける。と同時に腰を浮かせたジェライドは、無意識に歌声の方へと歩きはじめていた。
その声をもっと近くで聞きたかったのだ。先にあるだろうもののことなど、考えてもいなかった。




